Spukort - ウィーンの心霊スポット | おかるとぶろぐ

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"Fain would we remain barbarians, if our claim to civilization were to be based on the gruesome glory of war."
Kakuzo Okakura

先週、義理の母の誕生日プレゼントを探しに本屋さんに行ったとき、自分のためにも面白い本を見つけてしまった。ウィーンで観光ガイドをされている著者ガブリエレ・ルカーチ氏が、本業のついでに、ウィーン市内にある不気味な謂れのある場所のエピソードを集めて「Unheimliches Wien (「不気味なるウィーン」とでも訳せるだろうか)」を出版されたようだ。

まだ数日前に買ったばかりなので、当然読み始めたばかりなのだが、とりあえず第一章のあたりをざっと読んでみると、まず最初にウィーンの所謂「心霊スポット」、というより「幽霊屋敷」がいくつか紹介されている。
ドイツ語で「心霊スポット」を「Spukort」、「幽霊屋敷」 は「Spukhaus」という。「Spuk-(シュプーク)」の部分は、英語でいう「spuky(スプーキー)」などと同じ語源で、幽霊に関連した「不気味さ」とか「恐ろしさ」という意味だ。各項に幽霊屋敷とされている場所の住所がきちんと書かれているのだが、ほとんどが公共の施設となっていて、観光客でも誰でも中へ入れるような場所も多い。私自身も行ったことがあったり、通りがかりで知っている場所が多かった。

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とりあえず、第一章の「幽霊屋敷」について読んでみると、まず最初にウィーン1区Herrngasse9の「Palais Mollard-Clary」(「モラード・クラリー宮殿」)が挙げられていた。かつてこの建物は、1922年までウィーン英国大使館として使用されていたのが、当時の英国大使サー・ホレイス・ルンポルド(1869-1941)の回想録中には、この館の所有者であるクラリー侯爵夫人が大使に語った不思議な話が記されているのだという。

それによると、宮殿付の家政婦が、しばらく留守になっていた屋敷に準備のために入ってみると、怪しげな声や物音が響き、ドアの曇りガラスの向こうには古めかしい衣装を着た人間らしき姿が見えたので、部屋に入ってみると中には誰もいないし、人が中にいた形跡もなかったというのだ。

また大使は、ある前任の大使の妻子が体験したという話も書き記している。ある日大使令嬢が居間で母親に本を読み聞かせていたとき、入口の方に突如として大使付きの狩猟官の姿が現れ、令嬢に「フリッツ(狩猟官のこと)に、父上に御用があるのでそちらへ行くように、と伝えてください。」と言った。令嬢が近寄ってみると、狩猟官は既に消えていた。奥にいる母親の元へ戻ってみると、再び男が先ほどの場所に立っているのを2人で確認できた。そんな出来事が3回も繰り返し起こったのだという。クラリー侯爵夫人によれば、例の居間である狩猟官が殺害されたことがあり、それ以来この家には幽霊が出没するのだとのことだった。

さらには、クラリー家の子孫であるあるフォンス・クラリー・アドリンゲン氏の著書にも、クラリー宮殿での自らの霊体験を記録しているし、1922年からニーダー・エスタライヒ州の役所として使用されていた時期にも怪しげな姿が見かけられたという。

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現在この宮殿は、オーストリア国立図書館 付属の地球儀博物館エスペラント博物館 、並びに音楽関係のコレクション が収容されているそうで、観光客も入れる施設となっているので、日本のウィーン観光ガイドにも載っていることだろう。「幽霊屋敷」とは知らずに入ってみた日本人観光客もきっと幾人かいるはずだ。

ちなみに、義母の誕生日パーティで夫の弟家族が「昨日家族で、地球儀博物館に行ってきたよー」、と話していた。夫の姪っ子が最近コロンブスにはまっているためだという。次の日に問題の本を読んで、弟家族も何も知らずに心霊スポットを訪れていたことが判明したのであった。

参考文献 Gabriele Lukacs 著 「Unheimliches Wien: Gruselige Orte, Schaurige Gestalten, Okkulte Experimente」 14-15ページ

お詫び 
本文および参考文献で、著者の名前を写真家のものと取り違えておりました。すでに訂正いたしましたが、著者はガブリエレ・ルカーチ Gabriele Lukacs です。