♯36 小室(海士)→野原(御所浦) 西畑(粟島) 前田(対馬) | 島つなぐ手紙 島人ブログ

♯36 小室(海士)→野原(御所浦) 西畑(粟島) 前田(対馬)

小室です。

西畑さん、前田さん、野原さん。

こんばんは。


今日は隠岐の昔について、ちょっと書きます。

島の方に昔話を伺ったものから、興味が出て簡単にまとめたものです。


隠岐の航路の昔についてです。


はじめにお話を伺った島の方に、「チョッコウ」と「カッコウ」があったでしょと言われたときに漢字も思い浮かばず???だったのですが、話を聞いていくうちに、

それは直航と各港というダイヤがあったんだということに繋がりました。


それは電車でいう各駅と急行と近いもので、昭和十年頃の話、隠岐四島の様々な集落の港に隠岐汽船(その当時は隠岐丸という船)が着いていていました。


分かりにくいと思いますが、直航は(松江-境-美保関-崎-知々井-西郷)の往復ルートで、各港は(西郷-都戸・都万-菱浦-別府-浦郷-知夫-美保関-境-松江)の往復ルートです。


のちに呼称も乙線と甲線という風に変わって、昭和四十三年には、都万・知々井・崎の集落の寄航が廃止され、またその後は一つの島に一つの寄港地というように集約化もされていきました。


同時に「かよいせん」と呼ばれる大型船へのはしけも、フェリーが着岸できる大型の港へ変化していくにしたがって、その姿を消していって、大勢の人や大きな荷物を櫓こぎの舟に載せて、別れを惜しむ姿なんていうのはもちろん見られなくなります。

この「かよいせん」には写真があるのですが、このはしけにも別れを惜しむように紙テープを張って見送りをしている姿が印象的な写真です。


大型のフェリーが着くようになってから、高速船のマリンスターという船ができ日帰りが可能になったり、超高速船レインボーができ約一時間で本土とを結ぶようになったりしました。


自分の子供のとき、ちょうどこのマリンスターとレインボーとが交代する時期で、

高速船が超高速船になり、

これがまた数年したら、

超超高速船やスーパー高速船なんてものも出てくるのかな、なんていうことを

子供の会話でしていた記憶があります。


航路というのは、島においては昔も今もなくてはならないものです。

だからこそ、そこに魅力的な部分が含まれるんだと思います。


変な意見ですが、島よってやその船やルートによってちょっとしたローカルルールがあったりしませんか?私はそれが楽しい部分だったりします。




おむろ