1月17日 午前5時46分。
去年に続いて職場にてその時を迎えました。
どんなに仕事に追われていても
さすがに起立し黙祷はできないまでも
その時だけは仕事の手を止めて、
静かに心の中で祈りを捧げたきょうのわたしであります。
ただ、犠牲者の中には
その瞬間に何が起きたのかわからないまま倒れた建物の下敷きになり
遠退く意識やせまりくる炎への恐怖の中で
必ず来ると信じていた助けを待ち続けるも
無念のうちに亡くなられた方もいらっしゃるかと思います。
決して5時46分の瞬間だけで終わるのではなく
きょう1日、可能な限り御霊に哀悼の意を表し
そうした方々への無念に思いをいたす日でなかろうかと思います。

さて、この14年目となったことしのこの日ですが
震災復興住宅に住む高齢者の割合が半数を越え
地域における人のつながり、
とくに若い世代とのつながりが課題であるとききました。
いちど壊れたコミュニティをもとに戻すのははっきり言って至難の技です。
ましてや、年月を重ねるにつれて
震災に関心を持とうとしない人
震災そのものを知らない世代も当然出てくるわけです。
たしかに外の立場からコミュニティ云々に口を出すのはなかなかできません。
しかし、そうした中であっても、
無関心の人たちにすこしでも関心を持ってもらうこと。
そして、そうした「つながり」を戻すことに
少しでもお手伝いできるように
直接的にも間接的でも震災のことを知っているわれわれの世代が
なんらかの行動や意思の発信をしていかなければならないと思います。
それは阪神・淡路大震災に限らず
さまざまな事件や災害、事故においても
同じことが言えるのではないかと思います。
そんな、えらそうなことを書いているわたしでありますが
久しく「現場」から遠く離れて
まだまだわからないこと、思いの至らないことがたくさんあります。
じつは、たまたま別件があるため
きょうこのあと、嫁さんの実家のある兵庫県尼崎市へと向かいます。
さまざまな思いをいたす日に
ひさびさに「被災地」に立ち
いろいろと考えてみようと思う所存であります。
最後に私の好きな曲。
以前にも紹介したことがある歌ですが
今はこういうかたちでも歌われているんですね。