今、上記の本を読んでいる。初版は何と平成11年12月20日であり、嫌韓本が雨後の筍の様に出版されるようになった現在より15年以上前の出版である。


 サブタイトルに書かれているように、金 文学、金 明学の両氏は韓国系中国人三世であり、お二人とも日本で学び、文学氏はそのまま帰化し日本に居住されている。明学氏の方はネットでは近況が不明である。


 内容は一言では言い切れないが、基本的に韓国民に対し韓国語で書かれたものであり、翻訳本である。ただ、翻訳の堅苦しさは微塵もなく、原文が優れているのか、翻訳者である蜂須賀光彦氏が優れているのか、あるいはどちらも優れているからか、いずれにしても論理的で読みやすいことは事実である。


 この本をおじさんは古書店で購入した。まだ表紙が白地の第6刷(平成12年2月20日)である。2ヶ月で6刷というのが早いのかそれともよくあるケースなのか、専門外でよく分からないが、よく売れていたものと推定する。


 当時、おじさんは特定アジア国の問題は、知れば腹立たしいだけなので、敢えて避けていたところがあり、在日問題についても触れず関わらずがモットーだったので、背表紙を見ても手にすら取らなかったと思う。


 目次だけを見ても、少し前に、おじさんが大発見したようにブログに書いた韓国人が何故ノーベル賞が獲れないのか、その理由が既に書かれていたりもする。これは本当に読んでいないので、発想は独自のものであった事は宣誓してもよい。ネットで発見した受賞者ゼロを分析したブログを紹介するスタイルで書いたのも、まあおじさんの奥ゆかしさの表れである。今世間を賑わせている五輪のエンブレムのような事は決してない。


 その証拠と言っては何だが、おじさんは専ら科学分野に於けるノーベル賞に関して述べたが、本書に書かれている受賞できない例は、文学賞に的を絞って論証してある。おじさんはまだ文学賞は可能性があると見ていたが、ノーベル賞受賞がないのは翻訳されていないからだと、間違った文法の翻訳をして、アメリカの聞いたこともない出版社から出版してみたりと、これらのエピソードを読むと、こちらも甚だしく遠いという印象を持った。


 

出典:Wikipedia(金 文学氏)


 韓国人お得意の【情】にしても、厳しく書いてある。『――韓国人には「情」というものがないのかもしれない』と手厳しい。さらに『ただ自ら「情の民族」だという思い込みが、屈折したイメージと誇大な妄想にとらわれて、勝手に肥大化し、盲信を生んでいるだけなのだ』と、断定する。自らレッテルを貼り、それに縛られた自縄自縛ぶりが韓国人の情のある行動であり、表現であるということか。


 引用したい箇所には事欠かないが、おじさんの解説などこれくらいにして。、本書の目次を挙げておくほうが上だろう。


 第一章 大人の国・日本、未熟の国・韓国
    ――あまりにも幼稚で感情的、なぜ国をあげてバタバタ騒ぎするのか

 第二章 「東方礼儀の国」が聞いてあきれる
    ――サービス精神はゼロ、あるのは自分勝手な情の押し付け

 第三章 差別大国・韓国の知られざる実態
    ――身障者、外国人、不美人は、なぜ差別されるのか

 第四章 かくも融通性のない硬直社会
    ――日本に差をつけられた本当の理由とは?

 第五章 なぜ「文化果つる国」と言えるのか
    ――古書店・読書事情、異文化受容にみる日韓比較

 第六章 見かけばかりで内実のない国・韓国
    ――続発する事故を招いた驚くべき「張り子文化」

 第七章 「日本」なしでは生きられない哀れな国
    ――昔は中国、今は日本への事大主義が支配する


 さあ、どうだろう、いま巷に溢れている韓国物に書かれてる事柄は、すべてこの時点で指摘され尽くしている。本書出版以後、韓国は変わったであろうか。たしかにサムスンが家電で世界のシェアを奪い、日本企業を倒産寸前にまで追い込んだ。また、ヒュンダイ自動車がシェアを拡大し、トヨタをライバルと宣言するところまで成長した。


 むろん両社の経営陣の努力もあっただろうし、社員の頑張りもあっただろう。だが、日本の無為無策にも大いに助けられた面もある。しかし、韓国人はそれには気付いていないだろう。その証拠に安倍政権が景気回復に力を入れ円安が進んだとたん、身もだえして苦しんでいる。似たような価格帯なら、メイドインジャパンを選ぶのは当然である。その程度の信用は築いてきている。


 対日本だけでなく、自ら招いた廉価競争が、中国の台頭によって逆に危機をもたらしている。しかも、おそろしく早いサイクルでそれは訪れた。国策であらゆる優遇措置を受けていても、ジリ貧は明らかであり、体力があるうちに次の手を打たなければならないはずだが、サムスンはスマホからロゴを消し、ヒュンダイはトヨタの特許終了を見越してか、事もあろうにプリウスとそっくりのハイブリッド車を出すという。恥も外聞もないといったところか。


 さて、本書を読んで、韓国ひいては朝鮮民族を知るためには、本書からスタートすべきではないかと思えた。本書に先立つこと約10年前に呉 善花(オ・ソンファ)氏が書かれた『スカートの風』がベストセラーになったが、日本に来た韓国人ホステスの日常に焦点を当て、そこから韓国文化の問題点に迫った構成で、全般的な考察は為されていない。よって、本書が所謂韓国問題について書かれた書物としては嚆矢と言えるのではないだろうか。


 最後に、本書の著者(金文学氏)から見た呉 善花氏について引用して終わろう。出版後、韓国内はもちろん日本の韓国人も、呉氏を裏切り者として会ったら殴りたいといういう人がほどんどであったそうだ。


 おかしいのは、呉氏が日本語をあれほど書ける筈がないと考え、しきりにゴーストライター説が出たことだ。ともあれ、金兄弟は中国で生まれた中国籍の朝鮮族だから、中国語と朝鮮語を日常的に使用するバイリンガルであり、長じて来日し日本語を学んだという経歴から分かるように、中韓の文化比較と客観視を生まれながらに獲得していた。


 しかし、韓国で反日・克日の教育を受けた韓国人が韓国を客観視するためには、相当の時間と苦悶の日々を送ったに違いない。そして「――海外の同胞として、ひとりの若い比較文化研究者として、呉善花氏の発想の客観性を高く評価したいと思う」レベルにまで至るのである。また殴りたいと言った来日している韓国人インテリに、その本(「スカートの風」)を読んだかと聞くと、誰も読んでいなかったそうだ。おじさんはここにインテリをも逃れ得ない付和雷同型の韓国人の一特性を見るのだが、評価は皆さんにお任せしよう。


スカートの風―日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)/角川書店
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by 考葦(-.-)y-~~~