昔、このブログで神に関する話をしたと思うのだが、神については宗教というものが不可分であって、宗教は昔ながら?の宗教が由緒正しいものとされる傾向がある。


 おじさんは宗教団体に入るのではなく、個人と神の関わりというスタイルもあると思うのだが、あまり歓迎されないようだ。


 おじさんが昔から嫌悪を感じていたのは、既存の宗教が多くの禁忌を設け、その許される範囲内での自由しか認めないように見える点だった。


 以前にも書いたが、どれほど大規模な宗教だったとしても、何かをするなとか、何かをしてくれなかったから怒るとか、人をがんじがらめにしている、そんな神には魅力を感じない。


 それに、昔に聖なる言葉を授かった人がいて、それ以降、神から聖なる言葉は発せられていないということを信じてよいのか、という点も疑問だった。


 何時の時代にもマスターとよばれる人はたくさんいて、自分の近くの人を真理に導いているのではないのだろうか。


 真理は永久に変わらない。だから真理なのだ。昔、語られた言葉は今も真理であり、後世の人間がいたずらに変えてはならない。


 原理主義といわれるものだね。


 おじさんは問いたい。貴方の神は偉大な神であることはよく解るが、ほかにも多くの信者を擁する宗教があるが、邪教なんでしょうか、と。


 貴方の神は、人を殺せとおっしゃることがあるが、そういう神なんですか、と。


 あなたの神を信じるほかに救われる道はなく、他の神を信じる者達も、無神論者も死後にあるのは地獄への道だけなんですね、と。


 おじさんはそんな狭量な神には近づきたくないし、信者になるなどまっぴら御免である。


 だったらおじさんは無神論者? と聞かれそうだが、おじさんは神を信じてるし、どうやらおじさんが考える神が、どんな宗教よりも、より神に近いと感じる。


 しばらくこのテーマで話を進めようと思う。