新月。新しい人生の、流れの始まり | サイレントルーツの実

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先住民文化と歩く毎日のつれづれ。
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民族楽器とともに語る昔話への道・先住民の方々との日々。
淡路島移住生活・母子疎開支援

今日16日、11時新月。
もう過ぎちゃったね。
まぁ、あと8時間は新月効果あるみたいなことがどこぞに書かれてたな。
なので、19時まで。わお。まだ時間あるな。

なんでも今回は牡羊座だったけかな、の新月で一つの新しいサイクルの始まり、なんだそうだ。
(このサイクル長いよ!最低12年、それ以上やね)
鰯の頭も信心から。
畑やってると月の満ち欠けの威力をまざまざと思い知るんだけど、都会にいると実感ないと思う。
なので、土から離れて生きてる人は
いい区切りでこの機会に、くらいでいいんでないかと思う。
フォト

以下長文です。
ヒーラーなのに体壊れてんの、心病んでるの、とか言う人もいるけれど、私は言わせておく。
人を人が癒せるなんておこがましい。
完璧な人なんていないと思うよ、この世には。
居るとしたら人間になんぞ産まれてこない。
人ができるとしたら、奇跡が起こるとしたら、それは共振なんじゃないんだろうか。
だとしたらヒーラーは自分に正直に人生さらすこと。
押し付けるんじゃなくサ。わめくんじゃなくてさ。
不完全なまま、もがいてもんどりうって地べた這って、それでも越えようとしてる自分の姿、魂に気がつくこと。
自分のエッセンスになって、ありのまま、そのままでいること。
そん時に眩しい共振っておこるんじゃないかな~、と思うよ。
それがヒーリングじゃないのかな?

なので、おっと思った人とか覚悟して読んでみて。

今まで私はあんまりというか初めてじゃないかな、ここまで深く、こういうこと書いたり人に言ったことないから。
(3年前から小出しにはしてきたけどな)
かなりこっぱずかしい。けど、これでいいのだ。どう逆立ちしたって自分は自分でしかないから。
そして私は自分自身て言うか、自分のエッセンスっていうの?濃い自分色になりたいからサ。
                 
*とてもハズカシ、すっぴん画像。これ、検査結果聞く直前の。
なんかすっぴんさらしたくなってね。自分の作り笑いじゃない笑顔で。
FBで画像一日さらしてひっこめるつもりだったんだけど、海外の友人からも反響多くてね。
私につながる人たちはみなさん勘がいいわ。何事かを察してくれてたみたい。

一つの巡りが終わって新しく始まるような時を、私は迎えています。
             
私の心臓のほうは検査結果が出て。
心臓の痙攣性のもの、手術とかしないで薬で治せる、疲れが取れたら薬もいらないものだと判明。冠動脈静脈、毛細血管まで、健康オタク道の効果、まーきれいなもんでしたわ。
やったね!!これからやったるでー。
(ここら辺は私の十八番だ。
21でペースメーカー埋め込み拒否して正常値にしたからね、自分で。医者自然治癒ありえないとかぬかしておったけど。この洞不全は今回全く出てなくて、他の症状で。また新たなチャレンジや。)

            
こういう時って人生を振り返ってしまうのだけれど、ホンマ自分の一つの人生の流れが終わった感じ。昨年はそのしんどい一年でした。
ホンマに環境激変よ。俯瞰してみると必然だったなと思うの。
            
21歳で洞不全症候群が発覚(心臓ね)ペースメーカー手術を拒否した時も、検査入院(カテーテル検査。足の付け根から動脈だったかな、ファイバースコープみたいなの通す検査)で、発熱して一週間病院にいて、21年で大して生きてなかったけど私の人生なんだったんだろうとか思うわけ、こういう時。
今まで信じてたもんとか、就職して堅実に生きてとか(本来の私ではない。実家両親教員だし、親せき一同ほとんど先生や大学教授だから、ガチガチ)うまくいってなかったけど非常に頑張ってたもんが足元から崩れていった時だったな。
              
この時は変な夢ばっか見てた。
梯子かけて上に登ってるんだけどその梯子ごと倒れて奈落に落ちていく途中で目が覚めるの。
              
まーたそういう時、リンクしたように病院にいる間、知り合った子や同室の入院患者さんとか、ドラマがあってね。まー大なり小なり、誰にでも入院した時あると思うんだけどね。
10代の白血病だか骨髄炎だかの女の子が、骨折で入院してた19か20歳の子好きになっちゃって。毎日相談に来るんだよね、私のところに。その男の子も。
「薬で髪の毛が本当はないんだけど、それでも好いてくれるかな」男の子は「俺どうしたらいいだろう?好かれてるのわかるけど受け止めきれないよ。でも一緒にいてやりたい」とか。
日に日に衰弱して歩けなくなってる女の子を男の子は良くおぶってやってたっけ。男の子、私が入院して4日目で退院。女の子5日目で転院。
その他同室のおばあちゃんの人生を聞くことに、とか、しょっちゅう看護婦さんに怒られながらタバコがやめられないおじいさん、おばあさんらの、人生の話とか。
やっぱりどこかで覚悟してるから皆誰かに聞いてほしかったみたいで。
                 
私は自分のこと誰にもしゃべれんかったな。
カテーテル検査嫌なんですけど、変な夢見るんですけどと看護婦さんに話すのが精いっぱい。それもトツトツと。
この頃は聞き役ばっかりで自分のこととか感情とか話すってのをどうやってしたらいいのかというか、自分に起きている内面をどう話し言葉にするか、その知恵が全くなかったからね。
閉じてたよね。
                    
私の両親ってのは自分のことで手一杯で子どもを励ますとか、気持ちを聞くとかできない、というか自分たちのことを聞いて支えてほしい人だったからね、モノ心ついた時はすでに。
日常は毎日サバイバル。
どうやって生き残るかしかなかったからね。弟と母親守らなきゃならんかったし。父をなだめて気分よくしてやらないとあかんかったしね。(ここでひねくれていく私。隠れて悪さしまくってた、たちの悪い空恐ろしいガキだったね)
                
なので、私が21で検査入院しても気遣うとかあんまりないんだな。
入院費がかかって迷惑だとか(貧乏と言うわけでもないのにね)、これで一生傷物お前を相手にする人なんかいないとかだもんね。
それでもイヤイヤでも父親入院費出してくれたからね。そしてカテーテル検査の後、母親大泣きしてるんだわ。あーこの人は人を気遣う偏差値0だからしかたなかったのかぁ(お前は美人じゃないからとか、賞を取ればいい気になるからと教えてくれなかったりとか言葉の暴力ひどかったんだけど。私が検査入院する一年前に脳こうそくで入院。脳梗塞起こしてる異変に気がついて救急車呼んだの私。救急車呼ぶなんて本人と家族中から罵倒されつつ。あと数分遅かったら脳溢血でやばかったらしい。つまり結果オーライだったのだけど)、ってなんか
どうでもよくなっちゃって。
ハズカシイからやめてくれ~と点滴されてベットで車輪ついたやつ、あれで拘束されて(大動脈がふさがるまでは血が吹き出しちゃうから拘束バンドで絶対動けないように固定されるの)運ばれてる時に思いつつも、「もういいよ。とっても下手だけど愛してくれてたんだね」って思ってなんか力が抜けた。
               
まーそれでも結局21、それから半年で家飛び出しちゃったわ。
母親は脳梗塞後の身体で必死で探してくれたけど、家には戻らないって決めて(塀の陰に隠れてた。少し胸が痛かったね。今でも思い出すと胸が痛い。その後振り切るように新天地へ)。
父親はいまでもこれをネタにネチネチ言ってくるわね。病気の母親おいて勝手に出ていったんだから、すべての実家の不幸はお前のせいだ(父親が母親殴ってたから脳梗塞だろう、21歳の時これ以上ここにいたら自分が死ぬか父親殺しちゃうかだったんだよ、口に出かけてそれいったら父親、血管切れて死んじゃうだろうから言えないんだけど)勝っ手に死ねとか言われるもんね。もちろん援助なんぞしない。私もいい加減50過ぎた大人だし家出た時覚悟したからね。いいんだけどさ、ちょっと痛いわ。もう父親ビョーキだね。
コンタクト取りたくないし、向こうも関わるなだけど、子どもだから介護問題でケアマネさんらの絡みで両親に連絡とらなきゃならない時もあってね。
両親は私が弱ってる状態とか体壊れてるとか大嫌いだからさ(母パニック、父暴れるからね)。
不安与えないようにいつでも笑って大丈夫、私の人生オーケーなのってしなきゃならなくて。
毎回演技しんどいけどさ。(21で心臓が耐えられなくなったわ。)
なので仕方ないわ。離れているしかないの。
私は生き残りたいし、幸せになりたいもの。
                   
で。
こんな半生だったんでだいぶ歪んでるだろうな、自分の人生とは思っていたけれど、ホンマに歪んでたわ。
                  
歪んでたなりに必死に築き上げた砂上の幸せ。
それが311でいったん解体。
知り合いの全くいないところから再建。
土台から作り直そうと思って頑張ったわね。人生の中でこんなに頑張ったことってない。

役所、議員さんとかけ合うことまでして低空飛行だったけどようやっと築き上げた。
それが昨年一年かけてぶっ壊れたわ。
自分の身体もぶっ壊れたけど、仕事、住んでるところ、家族、夢、ぜーんぶいったん白紙。
築き上げたもんはまた砂の上だったわ。
こういう時何にもできないのね。布団にくるまってるしかなかったわ。あんなに毎日奏でていた楽器も触れない。
そこから動けるようになったら骨折だもんね。
もう全て清算するしなかったわ。
いい加減パートナーの発達障害(手帳持ち)に付き合ってられん。

私もなんか障害ありそうだしな。共に乗り越えたかったんだけどね~。あかんかったわ。30年良く頑張りました、自分。
    
息子と生き残るために。
そこからひたすらサバイバル。
どうやってトイレに行くのか、から始まって。左足全くつけないから、家の中も這っての移動だもん。
どうやって食事準備するとか、洗濯どうする。
反抗期の息子と二人三脚。ブーブー言いながらよくやってくれました。

高齢者じゃないからヘルパー入れられないのよね。足やられてるから福祉関係行けないし。
(役所、NPO関係はあれだね、直接窓口来て相談してくださいって無理言わんといて鬼~!状態だったわね。再三再四、というか的確な窓口にたどり着くまでがしんどかったわ。たらいまわしにされたわ。このままでは無理心中ですって泣き落とししてたらようやく動いてくれる人が現れてね。窓口分かって、訪問してくれたわね)
喧々ガクガクやりながら、まーよく乗り越えたわ。
諦めずヘルプ出し続けたらナントカなるものね。
           
そこから何が大切なのか一つ一つ見直して。
                   
引きこもる前から数々のラッキーな出会いがあって。
それが唯一の光だったなぁ。
              
まーたこの間、リンクしたように光になってしまった友人知人関係者のドラマも含めて。
DVで血だらけの友人逃がして支えて(自分も助けてほしい状況だったのにね。重なる時は重なるんだわ)。
慣れっこになってるけどさ、文句言われることはあっても感謝はされないわな。
(早くて10年後。あんときありがとう、とかってのはあるようだけどね。ま、期待しないほうがいい)
傷を深く負ってる人、藁をもつかもうって人は大概が相手が沈んで死のうと関係ないから。
自分が助かればいいから。
人間そんなもんです。生きる死ぬのってなったらエグイから。きれいごとなんて通用しないよ。
最初からわかってんのにつくづくアホやなぁ、自分と思う。
それでもやっちゃうんだよね。死にそうな人放っておけないでしょ。
ま、最近は数こなして勘がついたから、ある程度自分で立てるようになったなとなったら離れるようになったけどね。ちなみにない人から取れないし全部無料奉仕だから(有料だとそういうことがない、先生とか言われてあがめられるというこの世の不思議)。
ホンマ、色々ありすぎだろう。
               
で、ようやくサバイバルではない、自分の体のケアにも取り組めるようになって。
(なので、今は死にそうでエグくなってきたら友人でも離れますね、知ってたらどこぞの団体に託して。私も生き残りたいしね。子ども残して死ねないわ)
                   
人生ではじめてほっとしたかもね。
そりゃあ今、心臓に出てもおかしくないわ。
(身体に出るのってしんどい時からちょっと後、時間差で来るのよね。)
それでも、ま、色彩の濃い、いい人生だと思いますわ。
                 
今からは違った意味で色彩の濃い、あったかくてほっとする、陽だまりのような人生を送るのよ。
            
今はただ歌って踊りたい。

私たちのいのちって儚い。
明日はどうなってるかわからない。
産まれて
ただ響きあって
消えていく

だったら、自分たちのそれぞれの響きで、

色の濃い響きあいをして生きて
ただ消えていきたいんよね。
           
そんな風に思うんよ。

ベットミドラー、ローズ

https://youtu.be/CB4EgdpYlnk