こんにちは、sigeです。
今ではあまり見かけなくなってしまいましたが、
昔はこの時期になるとあちこちに立っていたこいのぼり
俺も小さい頃は、子供の日に親父に大きなこいのぼりを庭に立ててもらってました。
ちょうど2階の自分の部屋の窓から巨大な鯉の目がギョロっと睨んでいるのが見えて
ちょっと恐かった覚えがあります
さてさて、毎年この時期によく聴く童話「背くらべ」の歌
「柱のきずは、おととしの~♪」
これ何故、去年ではなく一昨年なのでしょう。
そこには、病と闘った兄の悲しい話があったのです・・・
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「背くらべ」の作詞者 海野厚は明治29年8月12日、静岡市曲金で7人弟妹の長男として生まれました。
厚は中学卒業後、可愛い弟妹を残して上京し早稲田大学文学部へ入学しました。
毎年5月5日の子供の日に故郷に帰って、弟妹の背を測って柱にキズをつけてあげていたそうです。
しかしある年、弟妹が実家で待っていたのに、兄は測りに帰ってきてくれなかった。
その頃、厚は肺結核を患って東京で闘病生活を送っていたのです。
それを聞いた「背くらべ」の作曲者 中山晋平は、
厚を元気付けるために彼に「背くらべ」の詩を作らせました。
厚「去年は帰れなかった・・・あの柱のキズはおととしだったなぁ」
病床で詩を書き終え、富士の見える故郷を一目見ようと翌年の大正14年5月に静岡へ帰って来ましたが
同月20日、厚は結核には勝てなく逝ってしまった。
享年28才のあまりに短い生涯だった。
彼は故郷の富士山を見ることも、大好きな弟妹たちの背くらべをしてあげることも
叶わぬ夢となったそうです・・・