脱原発文学者の会 第3回福島訪問 | 福島県原発被災地区の復興に向けて

脱原発文学者の会 第3回福島訪問

 2015年6月7,8日、「脱原発社会をめざす文学者の会」(略称・脱原発文学者の会)の第3回福島訪問旅行に参加し浜通り地方の原発被災地をめぐった。参加者は僕をふくめ11人。メンバーには南相馬市小高区出身の僕の他に、被災地出身者として浪江町で被災し埼玉県で避難生活を送っている橘光顕氏(シンガーソングライター)がいる。彼は僕と同じ双葉高校の卒業生でもある。我々は東京駅から常磐線の特急ひたちに乗車し、いわき駅で下車。駅前でレンタカー2台に分乗し国道6号線を北上した。

 旅行のプランは基本的に僕が計画した。昨年(2014年)9月に規制が解除され全線が開通した6号線を走ることが今回の旅行の目玉だ。6号線は帰宅困難区域の大熊町や双葉町を縦断する。もちろん線量は高い。福島第一原発の排気筒が見えるポイントも通過する。

 ネットを開けば「線量高いのに人命より復興優先かよ」とか「首都圏に放射性物質を撒き散らす」とか批判の声をやたら目にする。全面否定はしないとしても、僕としてはこれらの声にヘイトスピーチと同じニュアンスを受け取ってしまう。率直に言えば、自分が避難されたように傷つく。多くの福島県人がそうであるように。

 正義を標榜する人間は時として平然と人を傷つけて省みない。誰がどう言おうと、浜通り地方の住民や出身者にとって、6号線開通は原発被災地を貫く「風穴」だ。閉塞していた土地に風穴が開いたことで、実質的な生活面ばかりでなく精神面でも以前よりはるかに楽になるのは事実なのだ。正義の人々の口にする「正しさ」が被災者の生活感情と逆立ちするなら、僕は被災者の生活感情を優先する。

 何が「正しい」かなんて、断定的な言い方を僕はしたくない。被災者の意見も感情も多様で矛盾だらけだが、僕は被災者が迷うように迷い、悩むように悩みたい。それが被災地出身者としての僕が自分に課した思考の流儀だ。いろいろブレまくりではあるがこれだけは一貫している。

 もちろん、それゆえに間違うこともあるかもしれない。しかし被災者にとって切実な問題は、何が「正しいか」ではなく何が「必要か」のはずだ。その上で自分に何ができるかを考えていくべきではないのか。そこを突き詰めていけば本当の「正しさ」が必然的に導き出せるはずではないのか。

 あるいは「正しさ」なんて最初からないのかもしれない。あるのは個々の生き方だけかもしれない。震災当初、多くの人が自分の生き方が根本から問われているように感じたはずだ。なのに身の回りで日常性が回復するにつれ、問いそのものを忘れてしまったのではないのか。日常を喪失したままの被災者の存在を忘れて。もしくは忘れようとして。

 本当は、僕たちは絶えず自分自身に問い続けなければならないはずだ。何度でも問い直すために、あるいは問いを探すために、震災から4年たっても非日常の現実を晒し続ける被災地を知ることが必要なのだ。今回の旅行もそのための契機になればと願う。

 文明論の視座から生活者を見下ろしながら、同時に生活者の視座から文明論を見上げるような小説が書けたらと思う。まだまだ僕は満足のいくものを書けていない。一編の小説もまだ日の目を見ていない。

 村上春樹も書いているとり、「故郷について書くのはとてもむずかしい。傷を負った故郷について書くのは、もっとむずかしい」(『辺境・近郷』より)