「立入禁止区域 双葉」映画本(3) 内容紹介 | 福島県原発被災地区の復興に向けて

「立入禁止区域 双葉」映画本(3) 内容紹介

「フクシマ漂流」入手ご希望の方へ

 以前も書いたとおり『フクシマ漂流』は自費出版本のため一般書店ルートでの入手はできません。

 電子書籍化や一般書籍化に向けての活動は継続していきますが、当面は各種集会や映画上映会での販売、またはネット販売に限られることになります。しかし、それでは原発被災者の声を広めるという趣旨に反してしまいます。

 入手をご希望される方は下記のメールにお願いします。ご相談承ります。

 なお、「フクシマ漂流」の出版は経理上利益の見込めない、カンパ+自腹で賄っているプロジェクトです。営利目的ではありませんので、その点ご理解お願いします。

 sigahina@ceres.ocn.ne.jp


福島県原発被災地区の復興に向けて


「フクシマ漂流」内容紹介

 フクシマ漂流 「立入禁止区域 双葉~されど我が故郷」

 著者 志賀 泉(文) 佐藤武光(映像・インタビュー)

 A5版 並製 160ページ (カラーページ58ページ モノクロ102ページ)

 カラー写真 94枚 モノクロ写真15枚

 定価1600円(税込)

 

 はじめに より抜粋

 我が内なる原発。本書で僕が目指したのはそこだった。

 避難者の証言を読むと、避難の途上でみなそれぞれに「幸福とは何か」を考えている。あるいは、考えざるを得ない状況に立たされている。幸せとは何か。ありふれた問いかもしれない。しかしこの問いは、「原発とは何だったのか」という問いと背中合わせになることで新たな意味を持ち始める。そこを掘り下げていけば「内なる原発」に突き当たるだろう。そしてこの問いは、双葉地方の人だけではなく、日本人みなに突きつけられた問いであるはずだ。原発を自分の外にある敵として攻撃するだけでは、必ず、同じような問題が違った形をとって繰り返される。社会を変えたいのならまず自分自身を変えていくべきだ。(志賀 泉)

福島県原発被災地区の復興に向けて
第一章 箱舟はどこへ より抜粋

 本間英世さん           

 避難所の生活ですか。催し物とかあったりすればみんなニコニコして、芸能人が来たっていえば楽しいようですけど、現実はそんな簡単じゃないです。頑張れよと言われて、ありがとうとか言うけれども、それはほんのいっとき、自分に戻ってみればやはり孤独ですから。

 この仮設でも、損害賠償でみんなお金をもらいましたよ。でも結局、避難生活が長引くと働くのが嫌になっちゃうんです。それがいちばん怖いのね。若い人にもそういうのいっぱいいます。働かなくてもある程度保障されてるから、このままでいいんだって。立ち上がるのも働くのも嫌になってくるから、だんだん。それが人間としていちばん怖いと思うんだ。自立心がなくなってくるから。

紺野栄重さん

 おにぎり一個ずつ配ったって一万個は必要なんですよ。一日一個のおにぎりしかもらえない人も大変だったでしょうが、用意するほうも大変だったんです。津島の方々にもボランティアの応援を頼みましたから。役場の職員が農家に行って、後でお金を払いますからお米を譲って下さいと頼んで回って、おにぎりを握る人が手ぇ痛くなったって言ってましたよ。なにしろみんなひもじい思いをしてるものだから、我も我もと集まるものだから。

(略)

 私の家で困ったのはね、ミルクとか買えないでしょう。うちの家内が言うことには、おにぎりをすり潰してミルク代わりにして孫に与えたそうですよ。そうするより他にしょうがなかったんですから。

 鵜沼友恵さん

 娘は十歳なんですけど、宮城・岩手県の復旧をテレビで見ると怒るんですよ。よかったねとは思うんですけど、娘はすごい怒るんです。ずるいって。瓦礫がまとまったり、道路がきれいになったりってテレビで流れるのを見るたび、向こうのほうはできたって、うちのほうは何にもできないじゃんって。双葉浪江大熊はいつできるのって、ずっと怒ってましたよ。

いまいちばん心配なのは娘の将来ですよ。たとえば、ふつうに好きな人ができて結婚したいっていう時に、福島県双葉町出身だって言ったら、「あなたの体、汚染されてんじゃないの」って、結婚に反対する人が必ず出てくると思うんです。早く逃げたからそんなんじゃないよって言っても。それはやっぱり風評被害のひとつで。自分の出身地が言えない時が来るんじゃないかなって思うんですよ。

 阿部うのさん

 人間って、喜びは分かち合えるの。ひと切れのパンを分け合うことはできる。けれどね、人の痛みは理解できても、共感はできても、分かち合うことはできないし、分けてあげることもできない。自分が受けて、初めて痛みがわかると思うの。それを理解してほしい。

 第二章 双葉へ より抜粋
福島県原発被災地区の復興に向けて

 一 防護服で母校へ

 なんてこった。四十数年ぶりの母校訪問だってのに、懐かしいんだか、懐かしくないんだか。校舎の窓ガラスに映る自分の姿に腹が立つ。なんてグロテスクな格好だよ。故郷に立つってのはこういうことじゃないだろう。土を踏みしめて、陽射しを肌に感じて、空気を胸いっぱい吸うことだろ。なのに、いまの俺はどうだ。くそう、マスク越しで息苦しいぜ。目で見るものもゴーグル越しの曇った景色だ。素手では何にも触れない。外界から完全に遮断されている。俺はここにいて、ここにいない。まるで幽霊じゃねえか。(佐藤武光)

四 ペット・レスキュー

ひとりで餌やりに回っている女の子もいました。昨日出会った親子は毎日回っているそうです。浪江町の人ですがいまは郡山市に避難していて。郡山からですよ、郡山から毎日山を越えて通っているんです。外人さんも一生懸命です。家畜系を専門にしている外人さんは、大きな水のタンクを車に積んで回っていました。放浪牛を見つけたら教えてくれと言われましたね。私たちは牛に水をやるといってもどうしたらいいかわからないじゃないですか。昨日、私は小屋の中にいる馬を見たんですが、水のないところだったので犬猫用の水をあげました。ポリタンクの水を四つ飲んでもまだ足りなくて、もっともっとという感じで。

(ボランティア団体「猫さま王国」)

第三章 津波の街で より抜粋

 
福島県原発被災地区の復興に向けて
3月
27日に僕は請戸に行ったんですよ。あんまり放って置くから。テレビニュースを見て、線量たいしたことないじゃんってね。タイベック着て、長靴はいて。誰かいないか誰かいないかと、ずっと声かけながら歩いたんです。死体は見つけました。六体です。顔は見えなかったんですけど、瓦礫の下敷きになって。動かそうとしても動かせなかったです。(門馬よし彦)

 第四章 リステル解散 より抜粋

(中間処理プラントを)他へ持って行っては絶対にいけません。我々は双葉町民ですが、それと同時に日本国民です。だから国家的な感覚も持たなければならない。どうしてそこまで責任をとらなくちゃいけないんですかと言われそうですが、責任の負い方によって我々は浮かばれるのです。(天野正篤)

 終わりに より抜粋

 マスコミはニュース性のある美談や悲劇や醜聞を追い求める。それはそれで価値のある仕事だ。しかしその影で、被災地や避難所で淡々と日常を送りながら静かに疲弊し、消耗し、塞ぎ込んでいく圧倒的多数の人々は忘れられていく。しかし太平洋戦争の記録がそうであるように、時がたつにつれて重要性を増してくるのはむしろ、陽の当らないところで淡々と日々を送る生活者の記録であることは間違いない。(志賀 泉)


リンク

「立入禁止区域 双葉」映画本『フクシマ漂流』(1)自費だけど出版

「立入禁止区域 双葉」映画本『フクシマ漂流』(2)たまには僕の私生活など