山手線ないうろちょろ -3ページ目

あの子との思い出4

あの子の姉は、日本に来てた。

何度か一緒に食事をしたが、あの子とちがって派手な化粧、でか乳です(さわってませんが)。

食事といっても、居酒屋ばかり。

姉もそんなに日本語はうまくありません。

それでも、私を気遣ってかいろいろと話をしてくれた。

そんな姉と一緒のときは、いつもとちがって子供の表情のあの子。


あの子とあっても、いろいろねだられることはなく、なんどか化粧品がほしいというので買ってあげ

た程度。一番大きい買い物は私の名義での携帯電話でしょうか。契約から数年。一度も高額

な使用料にならず、節度のある行動で、通話料をよく気にして連絡くれてた。国際電話したけど、

大丈夫??とか。そんな携帯も、あの子の帰国を契機に解約をした。7月1日に。


こんな付き合いもありながら、時々マッサージを受けにもいっていた。

健全店なので、決して出すことはないのですが、ちょっとふざけて口でしてくれたり、出る直前まで

手でコキコキなんてことがいつものパターンで、「出すは絶対にダメ」とこれだけはかたくなだった。

マッサージはうまく、さすがに私のツボをおさえてる(笑)あの子は、口ですることは私が始めてだと

いってた。たぶん、それはほんとでしょう。ぎこちなさと、一度だけ口にだしたら、すごくびっくりして、

風呂へとかけこんだから。


店では、新人が入るとカーテンの隙間からこっそり勉強することがあるようで、「ほんとに危ない」

というときは、最初に言ってくれた。(でも、そんな危険をおかして、お互いにオイタはしたけど)


でも、店ではマッサージがメインで、お互いに仕事の都合で会えないときに私から会いに行くという

感じ。そう、店では女の子を番号で呼ぶのだけど、あの子の番号が*番だと知ったのは、数年

後のこと。店の店員が、だいぶ代わって、私がいくだけで、だまって「あの子」にならない時があった

から。


続く


そう、店頭の看板には、施術をしているあの子の写真がいまだに使われてます。帰国の前日に、

「写真はつかっていいよ」と店には言っったみたいです。ほんとに健全店だから、マッサージし

ている女性が数人うつってます。


あんまり文才がないので、記憶を整理して綴っているだけですね


あの子との思い出3

 あの子は、仕事を抜け出しているということもあって、ほんの乾杯程度に

飲んだ記憶になっています。ま、カラオケの個室って、ドリンクと軽食がきて

からは、キスマークな雰囲気でした。当然私は我慢できるはずもなく、あちこちもみ

モミ。

 こりゃいかん、とホテルに誘うと恥ずかしそうにうなずく。日本に来てめて

らしく、終始恥ずかしそう。というよりも、なんだか悪いことをしているよう

な気持ちだったようです。


 この日をきっかけに、こんな関係が始まった。あの子の店は、夜上がれたり

朝まで仕事だったりと不規則で、当方が休める土日は朝まで仕事だったりで、

会うときは、朝9時にいつものところってのがパターンだったけど。


 店で数時間仮眠してくるのみだいだけど、やはり疲れてるね。終わると一緒

に1時間くらい寝る。ほんとによく働く、休みもほとんどなく。


 出会ってから、伊豆旅行、お台場、ディズニーランドと休みをうまくあわせて何

度か遊びに行った。6年間に出かけたことが数回だから、もっぱらホテル中心

であるが。


 伊豆旅行は、8月末だったなと記憶してる。海辺のペンション。あの子は日本の

土地勘がまったくなく、カーナビを最大にして日本地図を見せながら移動。

旅行に行く前に、私の部屋に来て一晩泊まって、翌朝早く出発した。

家族風呂のあるペンションだったから、一緒には入ったり、夕方の砂浜に行って

ちょっと遊んだりと、中心は「すること」だったけど、防波堤で釣りしたりもして、

海で遊んだこともほとんどない、あの子にとって、初めての経験ばかりだった

みたい。


 翌朝は、パン食べ放題の朝食。私がお代わりして食べているから、つられて

いっぱい食べていたと記憶している。休みもすくないあの子は、夜までには店

にもどらないといけないらしく、早めに伊豆をでて東京のいつもの店近くまで

送った。


つづく


思い出をまとめようとおもったのは、先週末、あの子が中国に帰ったからです。

最後にあったときに、6年間の思い出を話しました。当方も忘れていたことも、

あの子にとっては、日本での貴重な思い出。一つ一つそのときの気持ちを話し

ていました。あまりうまくない日本語で。


6年間仕事ばかり、私にとっては忘れがちな記憶でも、彼女にとっては大切な

ものだったようです。



あの子との思い出2

 思いきって携帯番号教えることにした。最初は、教えてもらおうとしたけど、

だめだったので。


 教えた後の最初の土曜日の昼間、公衆電話表示の電話が来た。

 「だれだかわかる?」

私「*さんでしょ」

 「そう、なんでわかるの?」とそんな会話が最初のやりとりでだった。

そう、最初に教えてくれたのは当然苗字だった。


 数日後、今度は見知らぬ携帯番号から着信が。そうあの子からだった。今も

そんなにうまい日本語ではないけど、当時も知ってる言葉をつむぎながらの

会話から始まった。


 マッサージの仕事をしているから、かけてもいつもでるわけではないし、時々

折り返し、話をしたい(といっても健全店なので小声でちょっとだけ)のでマッ

サージを受けにいってたけど。

ようやく名前を教えてもらい、メールで文字を、店で他のスタッフとの中国語

(福建語?)の会話から、中国式の読み方をしった。ま、聞き耳たててて、

それを口に出したんだけど、すごく恥ずかしい顔をしてた。

 1ヶ月もたったころに、食事にさそってみることに。夏の土曜日の昼間。

あの子は、仕事を抜け出してきた。食事をしたかったけど、個室でお話ししたい

という下心もあり、料理のしっかりしたカラオケBOXに向かった。


つづく