異端ヴァルド派 (ワルドー派) に関する補足 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 異端ヴァルド派に関して、若干の補足をさせていただきたいと思いますが、
 

その前に、一点、申し上げておきたいことがあります。第二部に入ってから、
 

所々、宗教理念の問題に言及する部分がありますが、自分は特定の宗教団体
 

には所属しておらず、いかなる意味においても、他人を教化、批判する意図
 

はありません。
 

 自分の目的は、ただひたすら「物語を物語る」ことにのみあり、読者諸兄
 

姉の皆様の良識を信頼し、その前では、自分の意見は重要ではないと考えて
 

います。
 

 

 さて、本題です。
 

 異端ヴァルド派 (Valdesians) ―― ワルドー派 (Waldensians) とも表記
 

されます―― は、12世紀後半、南フランスに出現したキリスト教異端の一
 

派です。元は高利貸しであったピエール・ヴァルデス (1140~1218)(英語読
 

みでピーター・ワルドー) によって民衆運動となりました。
 

 下はピエール・ヴァルデスの像ですが、これはドイツのウォームス(Worms)
 

という場所にあります。



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 と、ここまで、読んだ方の中には、むむ?と思った方もいるかもしれませ
 

ん。――本編の舞台は北イタリアなのに南フランス? なのに銅像はドイツ?
 

古代キリスト教との繋がりは?
 

 それについては本編でおいおい語られますので、ここでは説明を控えさせ
 

ていただきます。
 

 ピエールは、吟遊詩人の語る聖アレクシウス伝を聞いて心打たれ、自分の
 

全財産を投げ打って信仰の道へと入った――これは本編で語られた通りです。
 

ヴァルド派の特色は、信仰はあくまでも聖書に即してあるべきという原典主
 

義にあり、ラテン語で書かれていた聖書を世俗語 (この場合、南フランスの
 

方言であるオック語) に翻訳するという試みを最も早くに行ったのが彼らで
 

した。
 

 しかし、これはカトリック教会にとっては都合の悪いことでした。なぜな
 

ら、教皇が地上における神の代理であるとは、聖書のどこにも書かれていな
 

いからです。突き詰めると、教皇? あんた誰? 何であんたに赦してもら
 

わなならんの? 赦してやるから金払え? ええのう、貧乏人から金を搾り
 

取って贅沢三昧できて……、ということになります。
 

 しかし、ヴァルド派は神の福音を人々に伝えたいと考えはしても、決して
 

カトリック教会を否定したわけではありません。むしろ、教会の一会派とし
 

て認められることを願って、第3ラテラン公会議 (1179) に代表者を派遣し
 

ています。が、教会はこれを拒絶、後にヴァルドを破門します。ヴァルドを
 

否定したのはカトリック教会の方であり、その逆ではなかったのです。
 

 以後、ヴァルド派に対しては激しい迫害が加えられました。それは即ちカ
 

トリックによる異端迫害の歴史であるといっても過言ではありません。


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ヴァルド派のシンボル「Lux lucet in tenebris」(闇夜を照らす光)