虎四ミーティング 太田由希奈さん
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[虎四ミーティング]
太田由希奈(プロフィギュアスケーター)<前編>「真央ちゃんは好奇心旺盛!?」
2013年04月12日(金) スポーツコミュニケーションズ
二宮: 今回の商品は、人気の「とりそぼろ丼」を女性向けのサイズにリニューアルした「新とりそぼろ丼」。お味の方はいかかですか?
太田: 美味しいです。鶏肉は、ヘルシーですから、女性にとっては嬉しいですよね。さっぱりしていて食べやすいですし、量もちょうどいいです。
二宮: 女性に人気が出そうですね。鶏肉はお好きですか?
太田: はい。私は京都出身なのですが、京都人って、鶏肉をよく食べるんですよ。私も昔から鶏肉はよく食べていましたね。
二宮: 牛丼はどんな時に食べますか?
太田: 大学時代はよくテイクアウトした牛丼をスケート場でお弁当代わりに食べていましたね。
キム・ヨナは負けず嫌い
二宮: 3月にカナダで行なわれたフィギュアスケートの世界選手権では、男子シングルではパトリック・チャン選手(カナダ)、女子ではキム・ヨナ選手(韓国)が優勝しました。日本勢は優勝こそなりませんでしたが、男女ともにソチ五輪の出場枠を最大の3つずつ獲ることができました。そんななか、キム・ヨナ選手が4年ぶり2度目の優勝を果たしました。太田さんは、どうご覧になりましたか?
太田: まず、改めて“上手だなぁ”と思いましたね。私が現役の頃、ケガをして、アメリカでリハビリを兼ねてトレーニングをしていたことがあったんです。その時にキム・ヨナ選手も同じリンクで練習をしていたんですよ。彼女は高校3年生くらいだったと思うんですけど、その時からスピード感が他の選手とは違いましたね。
二宮: スピード感というのは、ジャンプの助走とか?
太田: そうですね。思いきりスピードを出して跳ぶので、転ぶ時もダイナミックなんです。普通は跳ぶ前の助走であまりスピードを出し過ぎると、体をコントロールできなくなるので、ジャンプの前にスピードを落とす選手が多いんです。ところが、彼女の場合はむしろスピードに乗って、エッジを使って跳ぶので、ダイナミックなジャンプになるんです。
二宮: いわばトップスピードに近い状態でジャンプができると?
太田: おそらく相当、体幹が強いんだと思うんです。手足も長いので、体のバランスもいいんじゃないかなと。彼女は背が高くて細い体型をしていますが、だからこそ、ムダな動きがまったくない合理的な動きができていると思うんです。ジャンプする時の彼女は背中を真っすぐにして、その体の軸に手がシュッと寄ってくる感じ。軸がブレずに回転していくのがすごく上手いんです。他の選手の場合、結構力で持って行こうとするんです。そうすると、体の軸がねじれてしまったり、上体だけが先に回っちゃったりとかするんですけど。彼女の場合は、無理なく素直にエッジに乗って跳ぶので、スムーズに回転できるんです。
二宮: 同じリンクで滑ってみて、キム・ヨナ選手はどう映っていましたか?
太田: 負けず嫌いという印象があります。失敗しても、すぐに立ち上がって、チャレンジするんです。失敗した後、何度も繰り返しジャンプを跳んでいたことを覚えていますね。
“パンク”の原因
二宮: 一方、日本人の最高位は浅田真央選手の3位でした。ショートプログラム(SP)ではジャンプでのミスもあり、6位と出遅れましたが、フリーで巻き返しましたね。
太田: 真央ちゃんは、優勝した2月の四大陸選手権の方が、調子が良かったような気がします。それでも、フリーはしっかり練習してきていて、自信もあったように見えました。プログラムも真央ちゃんにとって滑りやすい構成で、伸び伸びと滑っていたからこそ、あれだけの得点が取れたんだろうなと。SPのミスがなければ、もっと上の順位になったと思います。
二宮: SPでのミスの原因はどこにあったのでしょう?
太田: 跳ぶタイミングの問題だったと思いますね。跳び急いでしまったために、3回転が1回転になってしまったりしたんです。
二宮: 跳び急ぐと、体に回転がかからないと?
太田: ジャンプは一度体の重みを下半身に落として、その下半身に溜まった力を利用して体全体でクッと跳ぶと、スムーズに回転するんです。ところが、SPの真央ちゃんは上半身と下半身が連動せずに、上半身だけが先に回ってしまったんです。要するに足の上に、力が溜まっていない状態のまま跳んでしまったのだと思います。こういうことは、試合中に時々、起こってしまうんです。
二宮: 跳び急ぎの原因は、どこにあるのでしょう。
太田: そうですね。そういう時は、跳び上がる瞬間にわかるんです。“これ、失敗するわ”と。でも、気付いた時には、体がもうねじれてしまっているので、そこで慌てて締めようとしても、思いきり変な方向に力が抜けてしまって、1回転になるんです。このようにジャンプの回転数が減ることを“パンク”と呼んでいます。
二宮: “パンク”は踏み切った後に、気が付いても遅いんですね。
太田: 空中気絶じゃないですけど、滑り終わった後に、“いつの間にか、パンクしてしまっていた”という感じなので、自分ではどうすることもできないんです。
努力家の真央
二宮: 太田さんは現役時代、浅田真央選手と一緒に滑ったことはありますか?
太田: 真央ちゃんは、4歳下なんですよ。だから私がジュニア(13歳~18歳)の時に真央ちゃんはノービス(9歳~12歳)、私がシニアに上がったら真央ちゃんはジュニアと、いつも入れ違いだったんです。一緒に試合に出たのはシニア時代の数年間なので、それほど多くありません。ただ、彼女がノービスやジュニア時代に推薦で全日本選手権に出場したりもしていたので、よく知っています。小さい時から、好奇心旺盛ですごく面白い子でした。
二宮: たとえばどんな面白さがあったのでしょう?
太田: とにかく、やることなすこと面白かったですね。お笑い芸人になれるんじゃないかと思うぐらいでしたよ(笑)。
二宮: ハハハハ。日本チームにとっては、天真爛漫な末っ子のような存在だったんでしょうね。浅田真央選手には、同じフィギュアスケーターにお姉さんの舞さんがいますが、彼女はどんなタイプですか?
太田: 舞ちゃんは、私と年が近かったので、世界ジュニア選手権で同室になったこともありました。彼女はいつも私に気を遣ってくれていて、部屋でもお風呂でも私を優先させてくれました。舞ちゃんは「由希奈ちゃんの邪魔にならないように」みたいな感じで、気配りしてくれましたね。
二宮: スケーターとしては、浅田姉妹はどんな違いがありましたか?
太田: 真央ちゃんはすごく練習をする努力型で、舞ちゃんの方はどちらかというと天才型でしたね。ジャンプでもスピンでもパッとできる、と先生方から聞いたことがあります。真央ちゃんは、粘り強く、ずっと練習している。一方、舞ちゃんはすぐにできてしまうから、ササッと練習して、サッと上がってしまうそうです。
二宮: 身近に目標がある妹は、“お姉ちゃんを抜いてやろう”と負けん気が強くなるんでしょうね
太田: そういう思いもあったと思います。真央ちゃんは、いつも「舞には負けない」って、言っていましたからね。
“モノが違う”安藤美姫
二宮: 浅田真央選手以外にも、日本の女子シングルは多士済々です。今回の世界選手権にも村上佳奈子選手、鈴木明子選手が出場しました。2人の印象は?
太田: 村上選手は面白い性格で、人懐っこいですね。鈴木選手は年も近いので、結構2人で色々な話で盛り上がったりします。彼女は全日本では最年長。最近は回復の仕方が昔と全く違うようで、「疲れには豚肉が効くよ」とか「ヨガで体をリセットしたりするのって、大事だよね」と、お互いに情報交換したりしています。
二宮: 鈴木選手の他にも同世代には、安藤美姫選手もいますね。昨シーズンは休養、今シーズンは専任コーチが見つからないことなどを理由に公式戦に出場していません。
太田: 彼女は備わっている運動能力が一流なので、トレーニングをすれば、すぐにでも復帰できると思います。今は、まだ気持ちが競技に向いていないのではないでしょうか。
二宮: 小さい頃からライバルだった安藤選手とは、お互いによく知っている仲だったと思いますが、彼女のジャンプはジュニア時代からすごかった?
太田: もう、天才だと思っていましたね。美姫ちゃんはスケートを始めたのが遅かったんですよ。でも、気付いたらトリプル-トリプルとか跳んでいて、筋力も男子に負けていなかったですね。それはスケート場以外でのオフ・アイス・トレーニングでも見受けられました。全日本の強化合宿で彼女は男子と50メートルを互角に走っていたんです。骨盤もしっかりしていて、「筋肉の質がいい」とトレーナーさんにも褒められていました。
二宮: 素材自体が、違っていたと。
太田: 美姫ちゃんは元々運動神経がいいので、小さい頃から何でもできたそうです。
(後編につづく)
<太田由希奈(おおた・ゆきな)>
1986年11月26日、京都府生まれ。5歳からフィギュアスケートを始め、同志社女子高1年時には、ISUジュニアグランプリを制する。同年、世界ジュニア選手権で優勝し、日本人として10年ぶり3人目の快挙を達成した。シニアデビューを果たした03-04シーズンには、四大陸選手権を制覇した。豊かな表現力と美しい所作から“氷上のバレリーナ”と呼ばれていた。2008年に現役を引退以降、プロスケーターとしてアイスショーに出演する傍ら、振付師や指導者としても活躍している。
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[虎四ミーティング]
太田由希奈(プロフィギュアスケーター)<後編>「“氷上のバレリーナ”と呼ばれて
二宮: 太田さんはスケートを5歳から始められたそうですが、きっかけは何だったのでしょう?
太田: 親からのすすめもあって、はじめは兄と一緒にスイミングスクールに入ろうとしました。でも、そのスイミングスクールの受付が混んでいた。それで隣のスケート場を見に行ったら、広いリンクに4人ほどしかいなかったんです。その日は暑くて、リンクがすごく涼しかったんですよ。それで親が「プールは混んでいるし、とりあえずはスケートでいいか」と。それがスケートを始めたきっかけでした。
二宮: 習い事のひとつとして、たまたまはじめたスケートが、太田さんには合っていたんですね。
太田: そうですね。私、兄と一緒に始めたんですけど、兄は要領も良くて、頭も良かった。何でも私よりできたんです。水泳も、ボール遊びも、ゲームも……。何をしても私より秀でていたのですが、スケートだけは私の方が兄よりマスターするのが早かったんです。進級テストも私の方が順調にいったんですよ。「お兄ちゃんに初めて勝てた」と嬉しかったですね。
二宮: 元々、センスがあったのでしょうね。現役時代は、“氷上のバレリーナ”と呼ばれていました。
太田: 皆さん、そういうイメージを持ってくれていますが、子どもの頃は全然違うタイプだったんですよ。昔のビデオを見たら、元気が良すぎて、本当にやんちゃですから(笑)。
二宮: やんちゃな女の子から、“バレリーナ”の滑りへと変わったきっかけは何だったのでしょう?
太田: 小学校高学年ぐらいの時にコーチが、「もう少ししなやかな動きができるように」と、サン=サーンス作曲の組曲『動物の謝肉祭』の『白鳥』という曲を組み込んだプログラムを作ってくれたんです。その時に「白鳥だから、ダチョウみたいにならないように、バレエをしなさい」と言われたんです。それまでもバレエのレッスンは受けていましたが、特に美しさを意識はしていませんでした。でも、そのプログラムがきっかけで“キレイに動くとは、どういうことだろう”と、自分なりに考えるようになったんです。
二宮: バレエの動きを取り入れたことによって、スケーティングにもしなやかさが出てきたと。
太田: それに加えて、指導していただいていたコーチがキレイに滑る先生だったということも大きかったですね。いつも“キレイだな。先生みたいに滑れるようになりたいな”と思いながら見ていました。普段から美しい滑りを見ることができる環境にいたことも影響していたと思います。
二宮: なるほど。最高のお手本が近くにいたんですね。
太田: そうですね。先生は、私をバレエの発表会や劇団四季の舞台鑑賞などにも積極的に連れて行ってくれました。そして、小学校5年生の時には、長野オリンピックにも連れて行ってくれたんです。それまでテレビの中の人でしかなかった、ミシェル・クワンやタラ・リピンスキー(いずれも米国)といった世界のトップスケーターの滑りを、すぐ近くで見ることができました。そんなふうに、先生には刺激を与えてもらえる機会をたくさんいただきました。
二宮: スケートへの気持ちにも変化があったのでは?
太田: そこから、“やる気スイッチ”が入りましたね。「オリンピックに行く」と口に出すようになりました。もちろん、それまでも練習を頑張っていなかったわけではなかったのですが、先生に言われたことをただやっていただけだったんです。でも、その後は自分から発信していくことが増えていきましたね。それと、オリンピックに対しても逆算して考えるようになりました。「オリンピックに出るためには、シニアで代表にならなければいけない。そのためには、全日本ジュニア代表にならなくちゃいけないし、その前に全日本ノービスで優勝しなければ……。それなら今、たくさんの種類のジャンプを跳べるように頑張らなくちゃ」と。
すべてを懸けることへの抵抗
二宮: オリンピックを目指していく上では、厳しい指導もあったでしょうね。
太田: 私は悔しくて、しょっちゅう泣いていましたね。負けず嫌いだったので、“なんで、できないんだろう”と。人前ではなく、トイレに行った時や、川沿いを走りながら、泣いていました。
二宮: コーチや他の選手の前では泣かない、というところが真の負けず嫌いの証です。でも、世界で戦う強さはそういうところから生まれていく。アスリートにとって“負けず嫌い”は強くなる上で不可欠の要素と言っても過言ではありません。
太田: そうですね。負けず嫌いって、すごく大事だと思います。それが原動力になっていましたから。
二宮: 高校1年生の時には、ISUジュニアのグランプリシリーズに優勝。さらに、世界ジュニア選手権でも優勝しました。当時は「天才」と言われ、大きな注目を浴びていました。太田さん自身もオリンピックへの思いを募らせていたのでは?
太田: 実は、その頃から私自身は、フィギュアスケートに対して少し冷め始めていました。まわりの選手はみんな毎日、7、8時間も練習に費やし、学校よりも大会に出場することを優先していました。でも、私は学校もすごく好きだったので、毎日スケート漬けになることや、学校を休んでまで試合に出ることに、段々と疲れていましたね。「勝っても勝っても、さらに上にいくには色んなことを犠牲にしないといけないんだろうな……」と。
二宮: 全てを犠牲にしてまでオリンピックに出たいとは思わなかった?
太田: はい。逆に「もっと上にいったら、どうなるんだろう」と思って悩んでいました。色々な意味で、休養や対話が必要だったのかもしれません。
トップスケーターの苦悩
二宮: 大学進学後、ケガのリハビリを兼ねて米国に留学しました。
太田: 米国にはアイスダンスを学ぶために行きました。当時は、自分の中で将来が見えなくなっていました。その時にちょうど「アイスダンスをやってみては?」と勧められていたんです。でも、日本にはアイスダンスを競技として練習できる環境がありませんでした。それで環境を変えたら心身ともに元気になるんじゃないかという思いもあって、合宿でよく行っていた米国に留学することにしたんです。
二宮: 日本にいた時には、周囲のプレッシャーもあって、精神的にしんどかった部分もあったのでしょうか?
太田: そうですね。ちょうどフィギュアスケートが盛んにメディアに取り上げられていた時期だったので、フィギュア熱が高まっていました。スケート場で常に写真を撮られたり、私が足が痛くて、色々とケアしているところをずっとビデオで撮る人もいました。
二宮: それでは競技に集中できませんよね。
太田: フィギュアスケートが注目されたことは良かったのですが、それでも大変でしたね。例えば、私の現役時代は一般営業中のリンクで他のお客さんと一緒に滑っていたので、練習しようと思っても、「写真撮ってください」と声をかけられました。だから練習中も、小さなストレスが溜まっていました。このような状況に慣れていなかったこともありますが、“トップレベルの選手は礼儀正しくなければいけない”という思いもあって、葛藤がありましたね。更に「成績を出さなければいけない、もっと練習をしなければ」と、周囲からのプレッシャーは次第に強くなり、ケガも重なってつらい時期でもありました。
二宮: 米国に行ってから、競技に対する考え方は変わりましたか?
太田: かなり変わりました。日本では大人が敷いてくれたレールの上を走ればよかった。でも、米国では何をするにしてもすべて自分で選ばなければいけなかったんです。それが、とても新鮮でしたね。でも、最初は何も決められなくて、ホストファミリーにはよく「まずイエスかノーをはっきり言いなさい!」と怒られましたね(笑)。
好奇心旺盛な子ほど上達が早い!?
二宮: 現在太田さんは、プロフィギュアスケーターとして、アイスショーに出演している傍ら、コーチや振付師としても活躍されています。伸びそうな子どもの特徴は?
太田: 好奇心旺盛な子ほど、上達が早いですね。やっぱり、やらされているのではなく、自分からやりたいと思っている子は驚くほどグングン伸びていきます。
二宮: 以前、本田武史さんにも話を聞いた時には、「氷と友だちになれる子がうまくなる」とおっしゃっていました。
太田: そのとおりだと思います。氷に対して体を預けることができる子は、しっかりと重心が落ちて、滑らかにツルツル滑っていきます。逆に氷を怖がって、体が硬直してしまう子は、氷に跳ね返されてしまいますね。
二宮: 太田さんは、伸びる、伸びないの違いをどの部分で見分けていますか?
太田: スケートの氷への吸い付き具合ですね。あとは子どもの方が親を巻き込んでいる方が、上達も早い気がしますね。
二宮: 親が子どもにやらせているのではなく、自らが進んでやっていると。
太田: はい。もちろん、最初のきっかけとして親が子どもにやらせてみるということは、必要だとは思うんです。ただ最終的には、やっぱり子ども次第かなと……。
二宮: 将来的にはオリンピック選手を育てたいとか、自分の中の計画はありますか?
太田: はい、あります。実は、昨年4月から明治神宮外苑アイススケート場でコーチをしています。この半年ぐらいの間で、グンと伸びた子もいるんです。そういう子どもたちが全日本に選ばれて、海外の試合にも行けるようになってくれたら嬉しいなと思っています。
(おわり)
<太田由希奈(おおた・ゆきな)>
1986年11月26日、京都府生まれ。5歳からフィギュアスケートを始め、同志社女子高1年時には、ISUジュニアグランプリを制する。同年、世界ジュニア選手権で優勝し、日本人として10年ぶり3人目の快挙を達成した。シニアデビューを果たした03-04シーズンには、四大陸選手権を制覇した。豊かな表現力と美しい所作から“氷上のバレリーナ”と呼ばれていた。2008年に現役を引退以降、プロスケーターとしてアイスショーに出演する傍ら、振付師や指導者としても活躍している。
大田さんのフィギュアスケートに対する見解は、いろいろと興味深いですね……。
選手の特徴を良く見ていますよね。
自分のフィギュアスケートの体験や、人を見る目の鋭さから、コーチとして、適任な気がします。
コーチとして、子供たちの気持ちや特性を見抜いて、優秀な選手を沢山、世界に羽ばたかせてあげてほしいと思います。
↓由希奈さん、素敵ですね。(^∇^)

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