小塚崇彦の目標 | フィギュアスケート研究本

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小さい頃から目標にしてきた 小塚崇彦さん

2011年9月29日 asahi.com

 フィギュアスケートの五輪選手だった父ですが、子どもにやらせようとは思っていなかったようです。サッカーでも野球でも、なんでもできるようにというのが小塚家の方針でした。

 でも、小さいころに連れて行ってもらったリンクで、首根っこを引っ張って、宙に浮いているような感覚を教えてくれました。やりたいと思わせるのがうまかった。5歳の時、自分から「やりたい」と言いました。

 リンクではとにかく怖くて、よく怒られて泣いていました。「辞めたくなったらいつでも辞めていい」という約束でしたが、学校が終わったら校門に母親が待っていました。でも自分が好きでやっていたので、一度も「辞めたい」と言ったことはありません。

 4回転ジャンプは自分も父も跳んだことがなかったし、「昨日考えたんだけど、こうじゃないかな」「あの選手はこう回っている」と意見を出し合って、試行錯誤しました。コーチやいろんな方にアドバイスをもらいましたが、父と話したことも、間違いなく跳べた一つの原因です。(4回転を決めた)4月の世界選手権で、メールをくれたことなんてない父が「よかったね。息子として誇りに思うよ」と。練習から見てくれていたので、うれしかったです。

 うちは普通の家庭でいう父親、母親が逆。母が父親みたいで、父は、友達と話していてもずかずか入り込んできて、もうちょっと静かにしてよ、と思うことがあります。

 友達が多い人で、小さいころの友達と今も一緒にご飯を食べ、大阪にも北海道にも友達がいる。友達とずっと一緒に年をとっていけるというのはいいなと思います。お酒は飲めないけど食べることが好きで、僕は塩辛とか、このわたとか、子どもが食べない珍味を父からもらって食べました。そのせいか、好き嫌いがほとんどありません。

 小さい頃から見てきて、目標としてきた人。ほっといてよ、と思うこともありますが、今のままの心地よい関係でいられたらいいな、と思います。(聞き手・河原田慎一)

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 こづか・たかひこ フィギュアスケート選手。祖父は旧満州の大会で優勝、父は1968年のグルノーブル五輪で日本代表。2010年のバンクーバー五輪で8位入賞、今年4月の世界選手権では銀メダル。22歳。


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