関西学院大学の第1問は、私が受験生の頃からこのタイプの正誤判定問題でした。

20年以上前と違って問題はかなり洗練されてきています。

 

東進ハイスクールで公開されている過去問演習講座では、このような形で一見受験生が解けないと思っている問題もスラスラ解いております。

 

また、amazonの電子書籍で販売されている「最強の日本史シリーズ」の2024年度版では、このように「解説を読みながら重要ポイントが押さえられる」ものにパワーアップいたしております。

 

昨日は、2月3日に実施された立命館大学の問題の解説を出させていただきました。

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amazonで一冊250円、読み放題プランなら好きなだけ読むことができます。

 

正直言っていいですか?

こういう電子書籍って正直売れるものではありません。

ですから私はこれで儲けようとは一切思ってません。

じゃあ何でやってるのかって?

 

一人でも受験生が救われれば、そして日本史と日本の歴史を好きになってもらえればという思いだけです。

 

※amazonの「最強の日本史」で、関西学院大学の発売予定はございません。ご容赦ください。

 

 

〔I〕

次の1~10の文章について、a・bとも正しい場合はアを、aが正し<bが誤っている場合はイを、aが誤りでbが正しい場合はウを、a・bともに誤っている場合はエをマークしなさい。

 

1

 a. 更新世の氷河期は、日本列島と大陸とは陸続きであったが、氷期が過ぎて完新世になると海面が上昇し、約1万年前にはほぽ現在の日本列島の姿となった。

 

b.埼玉県の岩宿で更新世に堆積した関東ローム層から打製石器が発見され、日本列島における旧石器時代の文化の存在が明らかとなった。


 

1−イ

a ○

更新世の氷河期は、日本列島と大陸とは陸続きでした。

完新世になると海面が上昇し、約1万年前にはほぼ現在の日本列島の姿となりました

「氷期が過ぎて」の部分が気になったかもしれませんが、関西学院大学のこのようなタイプの正誤判定問題の場合は「習った内容と異なることが記されている」場合のみ誤りにした方が正解率は上がります。

この選択肢は正しいです。

 

b ×

岩宿遺跡は群馬県の遺跡です。

埼玉県の遺跡ではないので誤りです。

 

2

 a.飛鳥文化の仏像は、百済から仏教が伝来したこともあって、法隆寺金堂釈迦三尊像や中宮寺半珈思惟像等のように百済様式を受けたものが多い。

 

b. 弘仁・貞観文化の時期には文芸を中心に国家の発展をめざす文章経国の思想が広まり、漢文学が発展して、日本で現存最古の漢詩集『凌雲集』が編纂された。

 

 

2−エ

a ×

法隆寺金堂釈迦三尊像は北魏様式中宮寺半珈思惟像は南朝様式です。

いずれも百済様式ではないので誤りです。

 

b ×

日本で現存最古の漢詩集は『懐風藻』です。

『凌雲集』は、日本最古の勅撰漢詩文集です。

 

3

 a. 浄土宗の法然の弟子であった親鸞は、悪人正機説を説き、『選択本願念仏集』を著して、専修念仏の真理を示した。

 

b.律宗の僧忍性(良観)は、戒律を重んじるとともに、貧しい人びとや病人の救済に尽力し、京都に北山十八間戸を建てた。

 

 

3−エ

a ×

『選択本願念仏集』を著して、専修念仏の真理を示したのは法然です。親鸞ではないので誤りです。

 

b ×

北山十八間戸奈良県に建てられました。京都ではないので誤りです。


 

4

 a.重源は、勧進上人として宋人陳和卿の協力で源平の争乱によって焼失した東大寺の再建にあたった。それは唐様という建築様式で、東大寺南大門が代表的である。

 

b.狩野正信・元信は水墨画と大和絵を融合させて新しく狩野派をおこした。正信の代表作として『唐獅子図罪風』があり、元信には『牡丹図』がある。

 

4−エ

 a ×

東大寺南大門の建築様式天竺様です。

唐様は禅宗寺院の建築様式です。

 

b ×

狩野正信・元信はともに東山文化の人物です。

『唐獅子図罪風』・『牡丹図』はいずれも桃山文化の作品です。


 

5

 a. 宣教師が本国ポルトガルに書き送った書簡を収録した『耶蘇会士日本通信』には、ヴァリニャーニが堺のことを「ベニス市の如く」としたものも含まれる。

 

b. ヴァリニャーニによって金属製活字による印刷術が伝えられ、『源氏物語」や『日葡辞書」等のキリシタン版が刊行された。

 

5−エ

 a ×

堺のことを「ベニス市の如く」と記したのはガスパル=ヴィレラです。

ヴァリニャーニは天正遣欧使節を派遣するよう勧めた人物です。

 

b ×

キリシタン版が刊行されたのは『平家物語』です。『源氏物語」ではありません。



 

6

 a. 藤原惺窩の門人であった林羅山は徳川家康に侍講として用いられた。羅山の子孫(林家)は代々儒者として幕府に仕え、鳳岡の代以降は大学頭を世襲した。

 

b.南学の谷時中の門人であった山崎闇斎は、神道を儒教流に解釈して垂加神道を説き、後世の尊王論に大きな影響を与えた。


 

6−ア

a ○

林羅山は藤原惺窩の門人でした。

徳川家康に侍講として用いられました

羅山の子孫(林家)は代々儒者として幕府に仕えました

林鳳岡は大学頭でした。

「世襲した」の部分が気になったかもしれませんが、「世襲していない」という確信が持てない限りは誤りとしない方が正解率は上がります。この選択肢は正しいです。

 

b ○

山崎闇斎は南学の儒学者で、谷時中の門人でした。

垂加神道は神道を儒教流に解釈したもので、後世の尊王論に影響を与えました

「谷時中の門人」という部分が難しかったかもしれませんが、関西学院大学のこのタイプの正誤判定問題は、別の人物の門人であるという確信が持てない限りは誤りとしない方が正解率は上がります。

この選択肢も正しいです。

 

7

a. 大槻玄沢は江戸に芝蘭堂を開いて多くの門人を育てた。その中の一人である前野良沢は蘭日辞書『ハルマ和解』を作った。

 

b. 渋川春海(安井算哲)は従来の暦を観測によって修正した貞享暦を作った。その後、18世紀末に、幕府天文方の高橋至時が西洋暦を取り入れた寛政暦を作った。


 

7−ウ

a ×

蘭日辞書である『ハルマ和解』を作ったのは稲村三伯です。前野良沢は大槻玄沢の師に当たる人物です。

 

b ○

渋川春海(安井算哲)は貞享暦を作りました。18世紀末高橋至時は寛政暦を作りました。

「従来の暦を観測によって修正した」や「西洋暦を取り入れた」の部分が気になるかもしれませんが、関西学院大学のこのタイプの正誤判定問題は、根拠のない限り誤りにしない方が正解率は上がります。

 

8

 a. 幕末の開国後に幕府は、江戸に蛮書和解御用を設けて洋学の教授と翻訳に当たらせ、また講武所を設けて、幕臣等に洋式砲術を学ばせた。

 

b. 明治時代初期、東京の大森でアメリカの動物学者モースによって貝塚が発見され、縄文時代の貝塚遺跡が発掘調査された。これが日本における科学的な考古学の始まりであった。


 

8−ウ

 a ×

蛮書和解御用が設けられたのは開国前の19世紀初頭です。「幕末の開国後」ではないので誤りです。

 

b ○

アメリカの動物学者モースは、明治時代初期東京の大森で貝塚を発見しました。

これは、縄文時代の貝塚遺跡でした。

「日本における科学的な考古学の始まりであった」の部分が気になったかもしれませんが、これも関西学院大学のこのタイプの正誤判定問題の原則である「明確な根拠がない限り誤りとしない」という原則にのっとればこの選択肢は正しいと判断できます。

 

9

a. 明治20年代に教育勅語が発布され、忠君愛国が学校教育の基本とされた。明治30年代には、小学校教科書は国定教科書に限られることになり、教育への統制が強まった。

 

b. 明治時代に旧幕府の洋学所等を統合して東京大学が設立された。その後、京都のほか各地に帝国大学が設立されて、第二次世界大戦期には帝国大学は7つとなった。

 

9−イ

a ○

教育勅語が発布されたのは明治20年代で、忠君愛国が学校教育の基本とされました。

 小学校教科書国定教科書に限られることになったのは明治30年代です。この選択肢は正しいです。


 

10

a. 鹿苑寺金閣の焼失をきっかけに、伝統的価値のある文化財を保護するために文化財保護法が制定された。その後文化庁が設置された。

 

b. 高度経済成長期には食生活の洋風化が進む一方、食糧自給率は年々下がり、1990年代には食糧自給率(カロリーベース)は50%を切ることになった。

 

10−ウ  

a ×

文化財保護法が制定されたきっかけ法隆寺金堂壁画の焼損です。

鹿苑寺金閣の焼失は同時期にありましたが、文化財保護法を教えてのきっかけではありません。

 

b ○

高度経済成長期には食生活の洋風化が進みました。

また食糧自給率は年々下がり、1990年代には50%を切りました。

後半部分に自信が持てなかったかもしれませんが、関西学院大学のこのタイプの正誤反対問題の原則に従って、正しい選択肢であると判断してください。

 

以上です。