2012年10月2日

一週間前に採血した橋本病の結果とマンモ&エコーを受けにK診療所へ。

まず、前回と同じようにマンモとエコーを行い、

再検査の時と同じM先生に呼ばれる診察室に入るなり、

「右側にしこりがあるね?気がつかなかった?」

「はい」

「一応、検査しましょう?時間は大丈夫ですか?」

「はい」

促されるまま診察ベットに横になり、

「採血と同じ針だからね~2回刺すよ~」

「はい」

(エコーで確認しながら)

「あ、ここね。ちょっと痛いよ~」

「はい」

「じゃ、来週結果を聞きに来てください」

「はい」

「前回の水泡とは違うものなんですか?」

「それとは違うね~」

「そうですか…」

しこりがあることには全く気がついていなかったし、

それより橋本病の悪化を気にしていたので、この展開は本当に予想外でした。

あっという間の穿刺吸引細胞診に、驚く暇もなく、痛みもなく、

胸に針を指されながら、「まぁ、調べてはっきりすれば安心だよね?」

そう自分に言い聞かせていました。

次に甲状腺科では橋本病の血液検査の結果は前回より良くなっていると言われ、

一度お薬を服用すると飲み続けなくてはいけないので、

始めるタイミングは慎重に決めましょうということになり、

今度はコレステロール値を調べることに。

もう一度採血をしてその日は家に帰りました。

橋本病が悪化していなかったことは良かったのですが、

それよりも大変なしこりの存在が明らかになってしまうとは…

でもまだこの時は前回のようにしこりはあるけど「良性」と思っていました。


2012年10月3日~8日

我が家は主人の両親と二世帯住宅で同居のため、

今回の病院でのことは軽く説明し、

たぶん「良性だと思います」と両親には話しました。

そんな中、ここ数年パーキンソン病を患っていた叔母の痴呆が進み、

食事中に自分の入れ歯を喉に詰まらせて窒息するという事故に合い、

心臓が一時停止したために、脳死状態になるというショッキングな出来事も起こりました。

そのため、最初の2日間は自分の検査結果のことはあまり考えずに済んだようにも思います。

自分では「良性」と信じつつも、心のどこかで「もしかして?!」

そんな感じは日に日に強くなってきました。

それというのも、母方の祖父母がふたりともがんで他界していて、

私の母が38歳で子宮がんでの手術、その後転移はなく過ごしていますが、

今は特定疾患のため通院状態。

父はC型肝炎から肝細胞がんに。その後肺に転移して63歳で他界しています。

よくいう「がん家系」ということになるでしょうか。

子供の頃から「おまえもがんになるかも」と母によく言われていましたので、

子供を出産後30代後半からは子宮がんの検診、

40歳を過ぎてからは乳がんの検診も受けていましたが、

「でももしがんになるなら、母と同じ子宮がんなのかなぁ?」

そんなことを漠然と考えていました。

ですから、しこりにも気がつかず、

(右胸の腕側で、仰向けに寝て良く探さないと見つからない場所です)

自分が乳がんということは全然考えていませんでした。

前回のようにまた「良性」のものと、主人もそれほど気にしている様子はなかったので、

結果待ちの一週間は、私も「良性」を信じて待っていようと思っていました。

でもやはり何かの予感があったのか、虫の知らせなのか、

検査結果の出る2~3日前になると、なんだか落ち着かず、

乳がんは進行が遅いというけど、10ヶ月の間にこんなしこりが突然できるの?

昼間の主人と子供がいない時間は、家事もしないで乳がんについて必死に調べ続けていました。

私の性格上、うれしい事も含め心配事などを、自分の胸の中だけにしまっておけない方なのに、

夜は普段通り過ごしていたので、主人は全く心配していなかったようです。

今思えば、やっぱり虫の知らせで、家族には心配掛けずにいたいという思いが表れた気がします。


2012年10月9日

運命の検査結果の日、予約は午後からだったので、

もし悪い結果だとショックを受けると思ったので、

先に買い物を済ませ、K診療所へ。

まず甲状腺科で採血の結果を聞く。

結果はややコレステロール値が高めだが、

今回もお薬を飲み始める時期ではないと説明を受ける。

また半年後ということに。

来年春は息子の入学式があるので、4月の第二週に予約を入れました。

そして、待合で少し待っている間、

主治医のM先生の乳がんの著書を読み続けました。

他にも本や雑誌はあったんですが、乳がんの本しか読む気になれませんでした。

そして名前が呼ばれ、また診察室に入るなり、

「結果は良くないんだよね~」

「はい」

「どこか、行きたい病院はありますか?」

「いえ、ありません」

「じゃ、数が多いところがいいですよね?」

「はい」

「じゃ、C大学病院に紹介状書いておきますから、

この結果はステージではありませんからね」

「はい」

また一瞬の嵐のようにダ~っと、話されて、

あっという間に診察室から出ることに…。

これって、どういうこと???

でも、大きい病院を紹介するということは、がんだったんだよね??

一度診察室を出て、処置室へ呼ばれ、

看護師さんに紹介状と資料を受け取り、

病院へ行く時の注意事項を聞いて会計を済ませ駐車場へ。

車の中からまず母に電話でことのいきさつを話すと、

子宮がん経験者の母は「取ってしまえば、大丈夫だよ」と軽く励ましてくれた。

先生からの話が「がん告知」とはほど遠かったためか、

実感がなく、本当にそうなの?

まだ疑いでもう一度検査するために大きい病院へ行くの?

あっ、ちゃんと確認するの忘れた~!

だって、すごいスピードで展開したんだもん…

その日は風邪で家に居た主人が、私が部屋に入るなり、

「どうだった?」

「う~ん。がんみたい…」

「え~!まじ?」

息子はあまり分かっていない様子で、

私がマンモ&エコーの資料や細胞診のプレパレートを貰って来たというと、

どれどれ??と見たがる。

すぐに夕食の支度をして、食事中も主人はショックを隠せないようで、

「そうか~そうか~、ママ一緒に頑張ろう!」

自分自身に言い聞かせるよに何度も言っていました。

夕食後、リビングでK診療所の診療手帳を見てみると、

「右のしこりは悪性のものと思います。

C大学 乳腺甲状腺外科外来 N先生を紹介します。

しっかり治療しましょう。」そう書かれていました。

預かってきた紹介状の封筒には、もう一人S先生の名前も書いてありました。

どんな先生なのかなぁ…良い先生でありますよに…祈りました。