パンズ・ラビリンス(2006) | 喜び怒り哀しみ楽しむ序破急。

パンズ・ラビリンス(2006)


喜び怒り哀しみ楽しむ序破急。-パンズ・ラビリンス


ボクは基本的にファンタジーというジャンルが好きではない。
といって、別にキライという訳でもない。
ただ、あまり積極的に観たいと思う事が多くない。
幼少の頃は、間違いなく好きだったはずで、物心ついた時に目にした絵本や物語が、童話やファンタジーの名作であった事は、誰もが共通する遠い記憶であると思う。

最近だって、ハリポタとかロード・オブ・ザ・リングとか、力の入ってる映像作品はとても面白かったと思うし、否定する気はまるでない。

ただ、魔法使いだの妖精だの神獣(それもギリシャ神話がお約束)だの、ファンタジーの中でデフォルト化してしまったキャラクターや決まり事にファンタジーべきたる作劇の自由度が結局は枠の中に納められてる気がして複雑な気分になってしまうのだ。


ファンタジーが語る物語は、結局は人間社会のメタファーである事は明白だ。
いや、単純なメタファーというだけでなく、様々な思想や人生観や死生感が客観的に仕組まれていて、大変な衝撃を受けたりもする。
重要な事は、物語をファンタジーというジャンルで表現する効力はなんなのか?と言うことではないか?
そう考えると、幼少の頃の憧憬を自己分析すれば、ファンタジーの最も効果的な受動は、やはり文章であるべきと感じないではいられないのだ。
そもそも、難しい教訓を子どもに解りやすく諭す…というのが本来のファンタジーの役割なんじゃないか?と単純に思ったりもするぞ、ボクは。

昨今の映像制作の驚異的な進歩は、そんなファンタジーを恐ろしくリアルに映像化する事を可能にしてしまった。
映像で表現されるリアルな魔法や妖精や神獣を見ると、ファンタジーの持つ効力は逆説的に失われてしまっている様に感じるボクがいる。
いや、リアルな映像は決して否定されるべきではないと思う。
しかし、誰もが持っている想像や妄想の楽しさの余地こそをファンタジーは必要としているのではないだろうか?

1939年のフレミングの「オズの魔法使い」あたりが、ファンタジーの映像化としては一番その魅力を発揮していたのではないだろうか?
またはディズニーを代表とするアニメ表現こそが、ファンタジーに最も適している様に思えるのは、ボク世代の贔屓目だろうか?

或いは、ファンタジーを再度メタした「スターウォーズ」の様な、世界観を根本的に構築し直したSF映画の方が訴求力を持つのではないか?と思えてしまうのだ。
そんな迷走する思索の中で、最近まで素直にファンタジー映画を観れなくなっている自分がいた。
ファンタジーはロールプレイングゲームで十分と(笑)

さて、そんな中で観た「パンズ・ラビリンス」には、もう大変な衝撃を受けた。

この映画、解説音声を聞く(つか、字幕で見る)と、監督のギルレモ・デル・トロが変人と思えてならないのだが、その演出力は特出している。
そりゃ、賞を総なめするのも頷けるわい。

少女の中で交差するリアルとファンタジー。
1944年のスペイン内戦下という厳しい現実の中で、少女はファンタジーの世界を行き来する。
行きっぱなしじゃない、行き来するのだ。
現実と異世界を相対させられつつ、パン(牧羊神)とかマンドラゴラとかファンタジーの世界では既知な存在をあえて出す事で、作られたファンタジー世界の普遍性を象徴的に見せているから、現実との対比が際立つ。
カラーとモノクロの対比だとか実写とアニメの対比だとか、現実と異世界の差異表現は不要で、徹底的にリアルに描写された異世界表現が必要な物語構造になっている。
どっちがどっちだぁ?みたいなアヤフヤな物語構造はラストでその結論を観賞者に委ねてきやがる(泣)
それは夢想だったのだと片付けてしまえば、あまりに残念に物語は決着する。
しかし、その夢想の世界こそは究極の幸福なのだ。
これは救済なのだろうか?いや、救済と思うべきなのだ。
じゃなければ物語の構造が、あまりに皮肉に満ちている。

こんな物語だから、ファンタジー映像は徹底的にリアルでなければならないという事が、否が応でも理解出来てしまう。
CGと特効が混在したやたらリアルな映像に対する疑問も不満も持つ隙がない。

主人公の少女は観賞しているボク等自身の暗喩とも取れる。
時に迷い、時に逃避し、時に間違った選択をしてしまう。
まさにボク等が生きる現代社会でラビリンスに取り込まれてしまう危うさを改めて考えさせられるのだ。

凄いのはファンタジー世界の描写より現実の世界の方が遥かに残酷に描写されている事だ。
四肢を切断したり、人が殺されたりするシーンは、それが実行される直前でカットが転換される。
そのものズバリを決して映像で見せず、秒単位で鑑賞者の想像に委ねるという、極上な編集、演出が施されている。
で、裂けた口を自分で縫う…みたいなシーンはしっかりと見せてくれる。
これ以上の残酷はないぞ!ギルレモ・デル・トロ天才!(笑)
極限の現実の中でのファンタジーの効用。
戦争とファンタジーって相反しそうな気がするが、実は一番近い所にあるのだな。
それを嫌と言うほど実感した傑作だった。

ただ、右対左という60~70年代に散々見せられたレジスタンスな戦争描写の思想的な部分はスルーした方がマシ(笑)

パンをはじめとしてファンタジー世界の住人達のデザインが秀逸。

特に、ベイルマンは凄い。
手のひらに目玉が付いていて全身の皮膚が垂れている。
肥満体が急激に痩せるとこうなるんだろうか?(汗)

しかし、このベイルマン、ネタ元は日本の妖怪「手の目」だと思ったのはボクだけか?(笑)

極端に評価の分かれるこの作品、ボクの中では大傑作。
子どもには決して見せてはいけない、まさに大人の為のファンタジー映画だ。

星星星星星