SLEEPTALKER - シュウの寝言 -15ページ目

 

 

 これだけは、今でもハッキリと覚えてるんです。
 エンジンをかけてすぐに暖房をマックスにしたんで、車内はすぐにポカポカになったんですけど、手の悴みが軽減されるのに数分以上かかったんです。
 ウィンディ・シティを舐めてた。
 そんなことを考えながら、シカゴ在住の友人のシボレーで、わたしはアイアン・シークを迎えに行きました。

 「友達のバンドが、今度シカゴのライブハウスでCDリリース・パーティーを開くから、サプライズでアイアン・シークを雇おう」
 そう言い出したのは、シカゴ在住の友人でした。
 「消防隊員VS警察官」のコンセプトでアマのMMA大会を開催し、これが話題になり、それ以来、アマとプロのMMA大会を年にそれぞれ5、6回ずつ開催しているんで、イリノイ州界隈ではそれなりに知られている警察官兼MMAプロモーターです。

 バンドが歌い終わるぐらいのタイミングで、ステージにアイアン・シークが乱入。いきなり椅子でリード・シンガーを殴り失神KO。タンカで運ばれる。サイコーなサプライズだろ。シークなら客も喜ぶし、メディアも記事にしやすくなるじゃないか。バンドのリーダーが幼馴染だから何かしてやりたいんだよ。

 今はプロレスの方は半分引退のはずだし、演技の仕事だから受けてくれる可能性はある。それにわたしもシークには会ってみたいし。そんなモチベーションで、ツテを頼りにエージェントに連絡をとり、まず仕事の内容を説明しました。果たしてこういった類の依頼を引き受けてくれのか。
 もちろん興味があると言ってくれたので、条件の話をしました。
 ギャラは〇〇〇〇ドルで、現金で払います。あとは、こちらが手配するのはエコノミーの往復航空券一人分、空港とホテル間の送迎、食費100ドルとホテル一泊。
 本人に確認する。そう言って電話を切ったエージェントから、再度連絡が来たのは三十分後ぐらいでした。
 「シークはサンキューと言ってるよ」
 二つ返事で、と言ってもいい形で、この仕事を引き受けてくれたんです。
 
 シカゴ在住の友人が用意したホテルは、お世辞にも一流とはいえないビジネス・ホテルでした。ハイウェイ脇にあり、1キロぐらい先に見えるガソリンスタンドの他に、視界に入るのは巨大な駐車場のみ。 
 小学生の時に小遣いやお年玉を叩いて、蔵前国技館や田園コロシアムで新日本プロレスを観に行っていたわたしにとって、アイアン・シークといえば大スターです。
 こんな辺鄙なところじゃなくて、シェラトンとかヒルトンとかマリオットとかにしてやれば良かったのに。または少しシカゴという街を探索できるように、せめてダウンタウンのホテルにするとか。
 でもエレベーターから出てきたシークを見たら、これは探索どころじゃないわ、と思いました。
 杖をついてたんです。左の膝が悪いようでした。
 歩く速度もかなり遅いんで、ドアが閉まる前にエレベーターから降りることができませんでした。
 もちろんガタイはいいんで、エレベーターのドアが当たっても何食わぬ顔でしたけど、歩くこと自体、相当辛そうに見えました。
 唯一空いてる右手には、パンパンになった皮のカバンを持っていました。明らかに使い古されたものでした。中には書類と透明の下敷きに挟んである写真の束。よく見ると、ポラロイド・カメラも入っているようでした。
 「駐車したところ少し離れているから、車回しますよ」
 わたしがそう言うと、シークは「ザッツ・オッケー、歩こう。これを持ってくれないか」とわたしに皮のカバンを渡しました。
 分厚い右手をわたしの左肩に乗せると「時間はまだあるんだから、ゆっくり行こう」と言いニコッと笑うと、クルクルの口髭が踊りました。
 なんか懐かしいな。
 MSGでめっちゃくちゃブーイング受けてた時と全然変わらない。
 彼がハルク・ホーガンに負けてタイトルを失った時に、WWE(当時はWWF)という団体自体が、一段上の違ったステージに突入したとわたしは思っているんで、そう考えると、シークはプロレスの歴史を語る上で、絶対に外せない人物だ。
 そんな人に肩をかしながら、わたしは今、突き刺さるような冷たい風がブンブン吹き荒れる駐車場で歩いている。
 手袋ないの?とわたしはシークに聞きました。
 「ボクの手は悴んだことなんて一度もないんだ。いつでも心が燃えてるから、身体中はいつもポカポカなんだ」
 クルクルの口髭が、また跳ね上がりました。

 シボレーに乗り込むと「きみはジャパニーズか?」と聞かれました。
 「そうですよ、でも12歳の時からアメリカですけど」
 そう答えたら、シークのテンションは明らかに高騰し、ボクにはジャパニーズの友達がたくさんいるんだよ、と言うと、何十年使ってるの?と聞きたくなるようなカバンから、下敷きに収めてある写真を数枚とり出しました。
 「これ、ピーターだよ、知ってるかな?」
 見たら、昔、新日本プロレスでレフェリーをしていたミスター高橋と一緒に写っている写真でした。
 もちろん知ってるよ、有名だもん。
 おー、そうか、と嬉しそうになったシークは、次はアントニオ猪木や坂口征二らと収まっている写真を見せてくれました。
 なら、この2人は知っているだろ。これは〇〇〇〇年でさ、と当時の話を少しすると、けど、ほら、見てもわかる通り、今は膝も悪いしプロレスはなかなかできないから、こういう仕事は大切にしたい。何かあったらいつでも連絡してくれ。
 そう言うと、裏面にプロフィールとエージェントの連絡先が書いてある宣材写真をくれました。

 シークに用意された控え室は、まったく光の入らない地下室の物置部屋でした。
 アメリカのライブハウスなら、これは十分に想定内だったんで別に驚くことではありませんでした。
 細長い蛍光灯の下には、所々切れてスプリングが剥き出しになっている皮のソファが三つ。テーブル替わりに置かれているドラムケースの上には灰皿が二つ。どれもタバコと大麻の吸い殻で埋まっていました。
 汗とタバコと錆びが混ざったような、ライブハウス独特の匂いが充満してましたけど、シークは顔色ひとつ変えずにソファに座ると、皮のカバンからポラロイドカメラを取り出しました。
 「ショーが終わった後に、これを使っていいかな?ボクと記念撮影したいファンがいると思うんだ。一人15ドルでどうかね」
 そうか。稼げるチャンスは見逃さないということですね。
 「問題ないと思うけど」と前置きして、一応確認してみるよ、とシークには言いましたけど、わたしの中では即決でした。オフコース、オッケー。好きにやってください。わざわざシカゴの郊外まで一泊二日の弾丸スケジュールで来てくれたんだから、稼げるだけ稼いでください。
 シカゴ在住の友人にも、終わった後にシークが出てきてファン・サービスやるからね、と一方的に告げる形で話しました。
 
 バンドの演奏が始まると、スタッフの一人が控え室に降りてきました。
 「今日は3曲だけなんで、もう次の曲が始まったらスタンバイです」
 シークはそれを聞くと、わたしの手を借り、ゆっくりとソファから立ち上がりました。
 用意されたパイプ椅子を手にとり、ネジが適当に緩んでいることを確認すると、カバンからポラロイド・カメラとスクエアフィルムの束を取り出し、わたしに渡しました。
 「あの階段は結構あるな」
 わたしの右肩に左手を置き、右手にパイプ椅子を持つと、ゆっくりと階段の方に歩き始めました。
 ホテルの駐車場の時とまったく同じでした。今考えてみると、その手はとても分厚く、暖かったような気がします。
 階段を登り始めると、かなりの体重がわたしの肩にかかってきました。
 こんな状態で、ステージに上がって、やることやれんのかな?いや、その前にちゃんと階段を上がり切れるんだろうか?
 そんな思いが頭の中を遮ったので「プロレスはもうやれないよね?」とわたしは聞きました。
 「オファーによってはやれると思うよ」
 「でもプロレスも、長い試合はきつくない?」
 「もう膝がここまで悪いと、確かにプロレスは難しい所がある。けどまだまだやれることはたくさんあると思う。だから映画とかTVとか、演技の仕事が理想なんだ」

 ステージの袖につくと、左膝を摩り始めたので「大丈夫?杖持ってこようか?」と聞いたら、シークは首を横に降ると言いました。
 「控え室を出て、スタッフの前に出た時点で、ボクのショーはもう始まってるんだよ」

 3曲目に入り少し経つと、さっきと同じスタッフがやってきて、あと120秒です、とシークに伝えました。
 オッケーと答えたシークは、わたしにこう言いました。
 「60秒経ったら教えてくれ」
 クルクルの口髭が、踊りました。
 
 ギター・ソロの途中でしたけど、時間がきたので「60秒経ったけど」とわたしはシークに伝え、そのあとすぐに「まだ少し早いけどね」と付け足しました。
 そしたらシークは、ドント・ウォーリーと言うと、演奏が終わっていないのに、パイプ椅子を片手にすたすたとリード・シンガーのすぐ隣まで歩いて行っちゃったんです。
 突然のアイアン・シークの登場に観客は大喜び。一瞬にして湧き上がりました。
 シークは観客の方をむき、自分も驚いたような表情を見せると、いきなりリード・シンガーを椅子で殴りつけました。
 座面が吹っ飛び、もう少しでベース・プレーヤーに当たるところでした。
 観客の中には悲鳴を上げてた人もいましたけど、大半は何が起きているのかを理解し、一気に盛り上がりました。
 びっくりしたギターは演奏をやめて後退り。
 そこを見逃すかとばかりに、シークは、さっきまでのびっこ歩きが嘘かのように、素早くギターの方にドカドカと歩いていくと、長い髪の毛を鷲掴みにすると引き寄せ、チョークで締め上げました。 
 これはシナリオにはなかったアクションです。
 でもリード・シンガーはシナリオ通り、気を失ったフリして倒れたまま。
 わたしの隣で、シカゴ在住の友人がゲラゲラ笑いながら叫びました。
 「熊に襲われたと思って死んだフリをしろ!」
 完全におちょくってました。
 シークは締めを解くと、驚きで放心状態のギターを、今度は軽々と抱え上げ右肩に乗せると、観客に向かって、ワッハッハと高笑い。
 ここでシーク・コールが沸き起こりました。
 こうなるともう彼の独壇場です。
 わたしの肩を借りなければ階段も上れなかったシークが、まったく軸のブレないスタンスで、一人の男を抱えている。
 スポットライトに照らせれたそんなシークの姿を見て、思ったんです。
 バリバリの現役じゃん。本物のプロというのは、こういうもんなんだよね。

 シークは、持ち上げたギターを、倒れているリード・シンガーと、救出のために登場した救助隊(の役)の二人に投げつけました。
 やっと解放されたギターは、すぐに立ち上がると逃げるように退散。
 救助隊の役の二人も、なんとか立ち上がり、リード・シンガーを担架に載せステージから捌けると、残ったシークは座面の部分がなくなった椅子を右手で持ち上げ、勝利のアピール。
 ライブハウスの名前やシークの泊まったホテル名など、何一つ詳細は思い出せないのに、あの時の、鳴り止まないシーク・コールだけは、今でもはっきりと覚えています。
 
 シークの前には長蛇の列ができていました。
 一本8ドルのビールを何本もガバガバと飲む人たちからしたら、15ドルでアイアン・シークと一緒に写真が撮れるのなら、楽しい思い出として、決して高くないと思ったのでしょう。
 シカゴ在住の友人が、帰りはシークをホテルまで送るよ、と言うし、わたしは次の日のフライトが早かったので、先に帰ることにしました。
 シークに一言かけようと思ったんですけど、記念撮影するファンひとりひとりに、シークのキャラのままで丁寧に対応していたから、声はかけませんでした。
 少しだけシークがこちら側を見たときに、じゃぁね、と手を振ったら、シークは、一瞬だけウィンクしてくれました。