久しぶりに京都の歴史に関するお話。
弊社のある宇治市には槙島(まきしま)という場所があります。

完全な陸地にも関わらず、島がつく地名。
何でかな~と不思議に思い調べてみました。

どうやら、その昔巨椋池という巨大な池沼があり、その中に島があったので槙島という地名だそうです。

なるほどねぇ。

地元では有名な巨椋池(おぐらいけ)。
実際には沼よりは湖と呼ぶ方がふさわしいくらいの規模だったそうですが、干拓事業により埋め立てられちゃいました。

話を元に戻します。

さて、その槙島。
実は城がありました。
その名も槙島城。
そのままです。

現在は小さい児童公園に石碑がひっそり。


地元の宇治市民も槙島城の存在はあまり知らないかもしれません。

さて、この槙島城で起きた歴史的に重要な戦いがありました。
室町幕府15代将軍・足利義昭 VS 織田信長。
足利義昭が室町幕府復興を願い、信長包囲網を築き、武田信玄を動かしたものの、信玄が病に倒れその願いは夢と散った歴史があります。

その信玄亡き後も足利義昭が信長に抵抗し、最期に立て籠った場所がこの槙島城だったのです。

ま、あっけなく足利義昭は負けちゃうのですが。

結果、足利義昭は追放され室町幕府が滅びたので、槙島城は室町幕府最期の場所と言っても過言ではないのです。

結構、重要な場所やったんや!
と調べてて思いましたが、地元の中学校に通ってた私はそんなこと先生教えてくれへんかったなーと少し残念な気持ちになりました。

このblogを偶然見た宇治市内の先生がいらっしゃれば、是非槙島城の話をしてもらいたいものです。