Step.60 あらためて「猪木とは何か?」を考えてみた。 | 「闘想家」“Show”大谷泰顕の『世の中バカなのよ』(回文)

Step.60 あらためて「猪木とは何か?」を考えてみた。

ここを訪れし皆様。
お疲れ様です。

実は過日、アントニオ猪木インタビューの機会を得たのであります。
思えば、最初に猪木さんの話を聞いてから、
もう何年経つのか。

考えたら軽く20年以上は
経ってしまったんだなー、と思う。

おかげさまでその間には、
いくら時間があっても語り尽くせないくらいの
濃密な時間を過ごさせてもらったこともあった。

中には日本国内のみならず、いわゆる闘魂外交を含めた、
海外での思い出もたくさんある。
ありすぎて、もうどうしていいのかわからないくらい。

それでも、パッと思い出せるのは、
やっぱり『INOKI BOM-BA-YE2001』
(12月31日、さいたまスーパーアリーナ)を巡る
すったもんだになってしまう。

とにかくあの時、安田忠夫がジェロム・レ・バンナに勝って、
おそらく大晦日史上、最も日本が熱く燃え上がった瞬間、
そんな熱さとは裏腹どころか感覚などは一切感じられないないまま
「あー、全てがこれで終わるぅぅぅぅぅぅ!」との感情が
全身を駆け巡ったことは、
いまでも忘れることができない。

申し訳ないけれど、その時は勝敗なんてどうでもよくて、
終わったことが全てだったのだから。
いや、そんなことはともかく……。

あらためて言ってしまうと、
猪木さんのキャラの立ち方は他の追随を許さないと思う。

なぜかと言えば、
おそらく猪木さんならこう考えるだろう、
ということが、自分にはかなりの確率で
想像できるようになってしまったからだ。

もしかしたらそれは、
現在進行形の「アントニオ猪木」ではないのかもしれないけれど、
キャラとしての「アントニオ猪木」ならこう考えるに違いない、
といったイメージが、自分の中には完全に確立されてしまっている。

だからこそ、猪木さんが
そのキャラに則った言葉を発してくると、
思わず「さすが!」と思いまくる。

というか、ほとんどそこを外してこないから
やはり「アントニオ猪木」は凄すぎるのである。

それでも仮の話として、
そこを外した「アントニオ猪木」が目の前にいたとしても、
それは自分にとっては「アントニオ猪木」ではないのだから、
たとえ目や耳で確認できたとしても、
自分ごときに理解することはできないように思う。

言ってしまえば、
「選ばれた人間」の持つ性(さが)というか宿命とは、
ひとつのキャラ(人格)を一生涯かけて
生き抜くことの孤独感にある。

言い方を変えれば、それを以って
「演じきる」と言えるのかもしれない。

ちなみに、猪木さんは全てを答えない。
例えば「赤」と言っても、
その「赤」を鵜呑みにしてはいけない。

「赤」と答えた裏に何があるのか。
「赤」の裏の裏に何があるのか。
もしくは「赤」と言った先に、
実は何があるのか。

それらを想像する力(器量)がないと、
たとえ猪木さんの口から発せられた言葉を聞いたところで、
その真意には決して辿り着かない。

いやいや、自分なんて全くその領域までは
辿り着けるはずがないこともわかっている。

ともあれ、その構造を認識できない人間が、
いくら猪木さんの話を聞ける間合いまで
足を踏み入れることができたとしても、
逆に不幸でしかないだろう。

自分にとって「猪木とは何か?」を考えることは
これ以上ない喜びでもある。

なぜならそれは、ものの見方の多様性を
実感することができるからに他ならない。

要するにこの世の中は、
そして人間(関係)とは奇々怪々で
多面的で多重構造の上に成り立っている。

それを「猪木とは何か?」を通して
いままで考え続けることができたのだ。

そう考えると自分は、
本当に幸せ者だと思わずにいられない!

ということで、
過日行なった猪木インタビューは
来る5月5日、大阪府立体育会館にて行なわれる
『GENOME33』のパンフレットに掲載される。

GENOME33

もし会場に行かれる方は、
是非とも手に取ってもらえれば幸いであります
(『私、プロレスの見方です』風)。


2015年4月23日      “Show”大谷泰顕

Step.61に続く】

【関連項目→Step.1 プロレスラーは強くなければならない!に戻る】

【関連項目→凄玉(すごだま)

【関連項目→切り札

【関連項目→仕事とはなにか?〈前編〉

【関連項目→仕事とはなにか?〈後編〉


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村