■■■現役商社マン/武浪猛の商社マン流人生指南■■■     若き血に燃ゆる者たちへ!

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このままじゃ、日本国は滅亡の国家に成り果てる。 世界の中で揉まれてきたオレは、オレ流の武士道というものを育んで来た。オレの言葉が、少しでも君ら若者の心に刺さればと思って、オレはこのサイトを立ち上げた。 さぁ、この国を元気にしようじゃないか。

「若き血に燃ゆる者 光輝みてる我等 希望の明星仰ぎて此処に 勝利に進む我が力 常に新し 見よ精鋭の集う処 烈日の意気高らかに 遮る雲なきを」  ―俺の商社マンとしての経験を、若く情熱溢れる君らにぶつけたいと思っている。遠慮は無用。体当たりで向かってきて欲しい。  


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前回の続きだ。

オレがリストラに従事していたころ、一人だけ、最後まで転職先が決まらない従業員(オレよりもちょっと年上だった)がいた。

オレはなんとかしたいと、裏で候補先会社の人事担当役員と非公式な電話会議をして彼を売り込んだ。幸運なことに、最後に採用の通知が来た。

なんと、その後に、彼からランチに誘われた。

「解雇となって一時は落ち込んでしまったが、これほど手厚くいろいろと汗水流して奔走してくれて感謝している。是非、ランチをご馳走したい」との嬉しい申し出だった。


転職先が決まったとは言え、収入は下がるわけで、しかもその原因であるオレをランチをご馳走してくれるなんて、オレは喜んでレストランに駆けつけたよ。

ランチでは仕事の思い出話に花をさかせつつ、最後に彼から「タケシ、この国では、人員解雇の際にこんな手厚い転職のサポートは考えられない。正直、びっくりしている」と言われた。

オレは「日本では和を重視する。“赤信号、みんなで渡れば怖くない”なんて皮肉もあるが、良い面を見れば、一人だけが幸福になったって、みんなが幸福にならない限りは、真の幸福だと感じない。そう想うのが日本人のメンタリティーだ。」と伝えた。

彼は涙を流しながら「日本の企業で働けたことを、誇りに思う」と両手でオレの手を握り締めてきた。



命の次に大事なものは何だろうか?
時間、お金と言う人は多いだろう。

しかし、この二つにとても大きく関わっているのが「職」だ。

ほとんどの人はお金を得るために働かなければならない。そして、働くために、自分の人生の何分の1かにあたるたくさんの時間を費やす。忙しいのを嫌がる人も多いが、同時に当然、暇になって何もすることがないことに怯える人も少なくない。さらに、働くとは、単にお金を得るために時間を切り売りすることに留まらない。

大小こそあれ、働く行為の結果、誰かの役に立ちたい、社会に貢献したいと願う、その人の存在意義を表現する手段でもある。解雇、リストラは、命の次に大事なお金や時間を壊してしまう。家族をどう養うのか、働いていた時間をどう過ごすのか、その人の生活は大きく変わってしまう。さらに解雇、リストラとは、何よりその人の存在意義、もっと言えば尊厳すら奪ってしまい兼ねない行為だ。そのような行為に手を出さざるを得ない時、雇用主と雇用者の関係は、様々なリスクをはらむ。解雇を断行せねばならない雇用主が、リスクマネジメント対応を徹底するのは、当然だ。まして、訴訟大国の米国では、最大限に慎重になる必要がある。

その上で、どのように解雇と言う行為に、解雇される人に、自分が向き合うか?

これは、文化/国柄を問わず、自分自身の人間性が試される瞬間だ。

貴社米国支店の方々が、新たなチャンスに出会えることを祈って


武浪 猛
暖かい気候を通り越して、少し暑いぐらいの気候だ。
新入社員の皆さんは、少しは「働く」と言うことに慣れてきただろうか?

さて、本日は、長いメールをもらったので、紹介したいと思う。特に新入社員の皆さんにとって、働くとを考えるきっかけになれば幸いだ。

==
武浪さん、

今回海外経験が豊富な武浪さんにご教示頂きたいことがあり、メール致しました。
日々お忙しい所を大変恐縮ではありますが、ぜひご意見をお願い致します。

質問の趣旨としては、米国での現地の方の雇用/解雇に関してです。

米国での雇用に関して、慎重にする必要はあるのでしょうか?
米国での雇用/解雇に関しては問題が表沙汰にならないよう、
これほどまでに配慮を期して、実施していくものなのでしょうか?
単に海外滞在を短縮したことで、配慮となるのでしょうか?
==
(長いメールかつ業務内容も含むため、一部だけを活用させてもらった)

少しだけ彼の背景を補足しておくと、海外トレーニーで長期出張に出るはずが、現地での雇用問題から幅に滞在期間が短縮されてしまったと言うものだ。

結論から言おう。リストラ/解雇と言うのは全世界、とにかく慎重にやらなければならない最もSensitiveな問題だ。そして、アメリカでは、尚更、解雇については慎重にやらなければならない。

キミは理不尽な扱いを受けたと思っているようだが、申し訳ないが、キミの目先の修行なんかより、職を失うかもしれない現地のスタッフ の不安ははるかに大きな問題だ。そんな状況であるにも関わらず、短期でも行かせてくれたことに、上司の懐の深さを感じる。
ご存知の通り米国は訴訟社会だ。憲法をめぐる訴訟事例なんて200年前からあるし、自己の主張が激しい国柄、最後は誰が正しいかとい うのは裁判所に判断してもらうという意識を国民は共通して持っている。

仮に、業務怠慢でクビになっても何かしら企業側の非をついて損害賠償を請求するケースも多い。従って、企業としては何か非を追及されないために、ありとあらゆる訴訟リスクの種を除去しておこうとする。アメリカではリスクマネジメント上、何ら珍しくない話だ。

特に、個人対組織の場合、陪審員制度では、個人が有利に働くことが少なくない。いくら公平性を求められる陪審員だって、最後は人の子 、不利な立場の個人のために、大きな会社や資本家に一矢報いてやりたいと思うのが人情だ。だからこ、個人に攻撃の材料を与えない方法でリストラを断行していく必要がある。

オレもかつてある国の事業投資先で、大幅リストラ仕事をしたことがある。その当時は最高執行責任者(今で言えばCOOか)のようなポジションで現地入りし、かなりの人数をリストラした。

あまり詳細なことは書けないが、現地ではアーミー上がりのSPを雇って、常に帯同していたしスーツの下には防弾チョッキを着ていたよ。

従業員を解雇する状況と言うのは、会社として出血が止まらず、大至急で止血する必要がある状況だ。やるならさっさと退路を断ち、一気呵成にやり切る必要がある。ダラダラと時間をかけても、傷口を広げるだけだ。リストラの噂が流れると、抗議運動やメディアから叩かれて、会社のブランドを大きき毀損するリスクもある。
オレは、極秘に連日の徹夜作業で、従業員から後々訴訟を受けないように弁護士チームと徹底的に議論をし、慎重に慎重を重ねて手続きを策定した。解雇事由というのも法律で決まっていて、これに則った解雇を実施しなくては後からトラブルの原因になりかねない。

弁護士からは「日系企業では、弁護士を代理人として解雇通知するのがリスクがなくていい」と助言されたが、一緒に汗水たらして働いて くれた従業員たちに無味乾燥な弁護士からのレターで解雇するなんてことは、人間の道理に反するとオレは猛反対した。結果、従業員全員 に一人一人、懇切丁寧に説明をした。

お互い感情的になって怒鳴りあいをしてしまったこともあるが(笑)、でも最後は従業員側も理解を示してくれ、泣き崩れる人とは一緒に涙を流した。転職のためのレコメンデーション・レターには積極的にサインしたし、レファレンス・コールでは本人の強みを強調しまくった。オレの留学時代の同級生や、当時知り合ったヘッドハンターに力を借りた。

あの頃は本当に汗水流して、従業員の職探しに奔走したものだ。オレも自分であれぐらい転職活動をしていれば、今頃、もっと別の会社で偉くなっているかもな(笑)。

ところで、最も思いでに残っているのはどうしても最後まで転職先が見つからなかった男性だ。ただ今日は時間がないので、彼の話は次回に回そう。

T2
今日から新年度だ。区切りの日というのはどこか気持ちがいい。

さて、俺は数週間前から仕事でNYに来ている。ある日は0度になったりその翌日は20度になったりと寒暖の差が激しく、体に堪えるが老兵も体に鞭を打ってがんばっているので、是非今日から社会人の若者たちも負けずにがんばってこの国を変える第一歩を踏み出してほしい。

やはりNYは世界のビジネスの中心という感じがする。先日も44丁目のバーで若いアメリカ人数名を連れて飲んだが、みんな、世界経済の動向、イラン情勢、欧州問題や国内の景気(特に中国の貿易赤字)など世界情勢の正しい把握とそれに基づいた独自の分析と世界観を持っている。25-30くらいの若者だが、みんな感心してしまうよ。(たまに突拍子もない分析をするやつもいるが、それもそれで面白い。)

かたや隣で飲んでいた日本人のサラリーマン集団は4月1日から始まると思われる社内人事について酔った勢いででかい声で語っていた。しょうがなく付き合わされた若者は眠そうにしながら一生懸命付き合っている姿は健気に見えたけどな(笑)。残念ながらこれが今の国力の差なのかもしれない。

新社会人のみんなも日経新聞のみならず、Wall Street Journal、FTをIpadで購読して、熟読し、若いうちから世界がどの方向に向かっているのかという仮説をどんどん立てて、それを検証していく訓練をしてほしい。このトレーニングが必ずみんながオレくらいの歳になったときに役立つだろう。

日本人のプライドを取り戻し、そして、世界で戦える人間を目指してほしい。

T2


前回はオレが若手の頃のA部長のやんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。



だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。


オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。


A部長は就任早々に独自の戦略を立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。


「いいか、タケシ。仕事で大事なのは、徹底的な論理的マインドとほんの少しの気合だ」

というのが彼の口癖だった。当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。今思えば、A部長は当時から、既にアメリカやヨーロッパのビジネススタイルだった。



オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際のピンチだったことがある。今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話をアメリカからA部長にかけて、指示を仰いだ。

オレは要点を要領よく説明し、A部長に


「どうすれば良いか?」


と聞いたところ、一言、


「タケシ、任せた」


と言われてあっさり電話を切られた。



その時は「何と無責任な上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。



数年してから、オレは


「あのやり方は、あまりに放任すぎじゃないですか?」


とA部長に銀座のバーで問い詰めてみた。A部長は


「バーで仕事の話をするとは、低俗極まりない。5分だけ特別だ」

と前置き(笑)してから口を開いた。



「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」

「そうは言っても、もし失敗していたら・・・」

「商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」

と言われ、来日している著名なオペラ歌手のコンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。


とにかく豪快なオヤジだったが、自分のフィロソフィーを持っていた。



オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。


何より

「勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの」

とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。



しかしA部長はなぜかMBAの意義をわかっていた。きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中のエリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。


「タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」

「これからの時代は、MBAが国際ビジネスのパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」


と言われた。精神力だけが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。


「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカのスクールだな。ヨーロッパのスクールの推薦状は書いてやらない」

と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)。それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。


オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。



留学報告も兼ねて、久々にA部長のところに行くと、いきなり

「いくぞ、タケシ」

と言われて、銀座の高級寿司屋に連れて行かれた。


MBA留学でますます直球勝負に磨きがかかったオレは、ずばり


「役員の件は本当ですか?」


と聞いてみた。



「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」

とあっさり切られたが、

「留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」

と言って、それからまったく脈略なくフランスの歴史やら農業の話を延々と聞かされた。


まったく意味不明だよ(笑)


そうしたらさ、ある日、いきなりA部長は早期退職してしまったんだ!


オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長がサメと泳いでいる写真が送られて来た。


一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランスで暮らしていると言うじゃないか!!!


最初はビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海のクルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。


あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。



その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。


実に生きにくい世の中だ。


A部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。



しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。社会を安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。


A部長の生き様を見て欲しい。



A部長も、あんな生き様だから、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。

「S部長が経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」

「K室長が、A部長の案件に反対の立場だと噂ですよ」

とかオレが心配して密告しても、子供のような顔をして

「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」

「K室長は哲学科出身だけあって、話が深くて勉強になるんだ」

と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。


「言葉は切っても、人格は切らず」とよく言っていたしな。



一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか?


オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。だから、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。


もう一つA部長を見習うべきところは、自分のフィロソフィー(哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。MBA的な研修で小手先のフレームワークや技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学、信条をしっかりと作り始めるべきだ。


これは短期間でできるものではない。膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会いや経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。


哲学、歴史、文学、論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。A部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。


オレも部下にこういう大胆な生き方、自分の哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。



オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。


またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術、文化面がまだまだ弱い(笑)。もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。




「タケシ、ビジネスなんてほどほどにして、本を読め、音楽を聴け、食を味わえ、旅をしろ。何より今夜も人と出会え」



そんなA部長の声が、真夏の南フランスから聞こえてきそうだ。


Takeshi Takenami
最近多くのメールでどういう上司がいたかということをよく聞かれる。思えば変人が多かったな(笑)。


一番印象に残っているのは、俺が25歳から30歳の頃のA部長だ。



最近はだいぶ社内の上下関係もカジュアルになって来ているが、当時は若手社員が部長と気安く話すなんてなかなか許されない雰囲気だった。レポートや報告を上げるにしても、逆に何か部長から指示が降りてくるにしても、常に自分の直属の主任、課長、次長、そして部長と言う階層を通じて行われる、明確な序列があった。


しかしA部長は違った。いつも


「おい、タケシ!ちょっと来い」


と言ってオレを部長席に呼び出したり、向こうからオレの席にふらりとやってきたりして、オレをかわいがってくれた。


また若僧のオレにも


「オマエがオレなら、どうする?」


と忌憚ない意見を求めてくれた。



A部長は当時、今のオレと同じくらいの歳だったと思うが、体型はスリムで、どんなに暑くてもスーツをきれいに着こなし、精悍な顔つきだった。今で言えば、かなりのイケメンで(当時、まだイケメンなんて言葉はかったが)、社内の女性らの中でも評判だった。


今の時代なら、GQやLEONとかの雑誌に出ていても不思議ではない、チョイ悪なオヤジだった。



すごいのは、このルックス以上にキャラクターが深くて濃いんだ。


哲学、文学、芸術とワインをこよなく愛し、食事に行けば、シェリー酒から始まり、赤ワインをたしなみながら、高級そうな葉巻を片手に、平気な顔をしてサルトルの実存主義について語る。そんな知的好奇心と教養にあふれる人だった。


ヨーロッパ的な気品があって、高貴と自由があいまった雰囲気をこよなく愛する人だった。


でもさ、何かと理由をつけてすぐヨーロッパに出張してしまうんだ(俺も同行させられることが多かった)。そして仕事がひと段落すると


「タケシ、先に日本に帰ってろ」


と言って、自分は2週間くらいヨーロッパを周遊するんだから、困ったもんだよ(笑)。もちろん、本人は「視察」だって言い張ってたけどな。


電子メールや携帯電話なんてない時代だったから、A部長がヨーロッパ周遊で不在の間、A部長に指示をあおぐのは大変だった。オレら若手は、A部長が泊まりそうなホテルに、片っ端から電話させられたもんだ(笑)。


A部長の緊急決裁が必要になり、どうしてもつかまらないA部長を探して部署メンバー総出で、居場所を突き止めるべくフランスのToulouse中のホテルに電話をしたこともあった(前々からToulouseでフォアグラと白ワインを飲むのがいいと言っていたので)。


しかし、結局、どのホテルに電話してもまったく見つからない。本当は権限規定違反なのだが、最後は次長が代理決裁して何とかした。


それから数日すると、真っ黒に日焼けしたA部長が会社に現れて、「地中海の島で彼女とエンジョイしていた」とのことだった。オレたちは日本であわてまくっていたのにさ(笑)。あの時はあきれてものが言えなかったな。



こんなA部長の破天荒ぶりを書くと、ただの遊び人、趣味人にしか見えないかもしれない。


しかし、仕事はすさまじくでき、社内だけでなく取引先や競合企業からも敬意を集めていた。


当時は、朝から晩まで働くようなモーレツ商社マンがもてはやされていた。しかし、ヨーロッパ人を自称するA部長は、そういう連中を「バリューレスな社蓄」と呼び軽蔑していた。



若手社員が残業していると、


「今すぐ資料をしまえ」


と言って、ことあるごとにオレら若手を食事に誘い出した(その後、会社に帰って仕事しなきゃいけないから、ますますモーレツ社員をやらざるを得ないんだけどさ・・・)。


食事の席では、普通なら社内政治や昔の武勇伝を聞かせる上司が多い中、A部長の口から会社や仕事の話しが出ることはなかった。


文学論、芸術論、音楽論、人生観までをゆっくりと語ってくれた。ウィスキーの飲み方、酒の種類、ワインのテロワール、ホステスへの接し方、葉巻の吸い方など今の遊びの基礎はすべてA部長に教わった(笑)。


九州の田舎村からニセ慶應ボーイになってバブル期に調子に乗りまくっていたオレは、「こんな洗練された人がいるのか」と憧れだったものだよ。



おっと、A部長の仕事ぶりを書くつもりが、ついつい遊び話になってしまった。



だが、この記事を書いていたら、オレもBourgogneワインを飲みたくなって来た(笑)。


A部長の仕事人としての顔は次回に譲ろう。


続く

Takeshi
オレの地元・九州の名門企業の電力会社によるやらせメールが問題になっている。


九州の田舎の不良高校生だったオレでも、この電力会社に就職するのは一部の超エリートという認識を持っていたし、ここに就職するなんてオレには縁遠い世界だった。


昔の記事で書いたように、オレはふられた女を見返したい一心で猛勉強して、東京の慶応大学への進学を達成したわけだが(“村の奇跡”と言われているぐらいだ)、地元の優秀で九州を愛する学生たちは、九州大学に進学して電力会社に進むのが王道コースだった。


しかし、この九州のエリートたちを集めたはずの企業が、この体たらくはなんだと、思わず声を上げたくなる。


彼らが使った手段の稚拙さ、そして組織の力学を利用して、個人の自由意志を妨げているという点は断じて許されない。


この問題は方法論と組織論のハード面とソフト面に分かれる。ハード面で言うと、ちょっとパソコンに詳しい小学生でも知っていることだが、Eメールは送信側も受信側もサーバーにデータが残る。この手の圧力をかける行為をやるのに、メールのような記録をたどり易い情報伝達手段を使う時点で、九州の誇るエリート企業のIT能力は小学校以下だとしか言いようがない。



「情報は金なり」と格言があり、「商流、物流、情報流」を三種の神器として来た商社にとって、古くから情報は生き死を分ける生命線だ。商社では、昭和時代より絶対に漏れてはいけない情報について、徹底的な管理を行って来た。例えば、オレの上司の時代では、重要な取引のための海外出張スケジュールは、完全秘匿だった。なぜならば、競合先企業に「○○社の□□本部長がXX国にいるらしい」という情報だけで、どういう商談をまとめようとしているかばれる可能性があったからだ。


オレ自身も、欧州の商圏を取るためにオレが裏で動いているとライバル社で噂になっているとの情報を得て、周囲の取引先、関係会社には

「USで友人の結婚式、ビジネススクールのAlumni(同窓会)に出る」

と喧伝し、実は欧州に乗り込んで交渉をまとめた経験がある。取引先、関係会社を信用していないわけではないが、うっかりオレの滞在日程をメールして、それが何らかのミスで流出するリスクを考え、万一情報が漏れたときのことまで想定して情報管理を行うのが基本動作だ。


これだけ情報管理に皆が躍起になっている時代に(最近は過剰に管理しすぎて、やりすぎな部分もあるのは否めないが)、無邪気に会社のEメールから送信するなんて、どういう発想をしているのかと疑いたくなる。


感情面(ソフト面)で言うと、震災で日本全体が自信を失っている時勢に、このような不正の指示を内密にやろうとし、子会社の人間を親会社に服従させようという気持ちが、何よりも情けないし、悲しいじゃないか。


また、原子力の安全性という国の重要課題が国民の中で広く議論されているなか、こういう行為が明るみに出ないと思っていたのだろうから、そのメンタリティもあまりに平和ボケしすぎてやしないか。


リスクの高い原子力など発電設備を抱え、電力の安定供給という社会的使命を負った会社だからこそ、他の企業以上の高い倫理観が求められるはずだ。しかし、実態はその間逆で、倫理観の欠如、自己中心的な発想が顕著に現れていることが、暖かく肥沃な大地で育った同じ九州人として残念に思う。



実は、故郷の友人の中で数名がこの電力会社で働いている。不良からだいぶ厚生されたオレと違って、中学校、高校時代から変わらず本当にいいやつばかりだ。地元に帰ればみんなで酒を飲み、オレと一緒になって盛り上がってくれる。一人一人は、オレにとってはすばらしい仲間だ。


しかし、だからと言って身内びいきで彼らをかばうつもりはない。こいつらが今回の不祥事に直接、加担はしていなかったと信じているが、彼らは九州のエリートだからこそ、誰よりも九州のために高次な倫理観と価値観をしっかりと組織に養って欲しい。


そうでなければ、自分の故郷を安心して彼らに託して、オレは世界に勝負をしに出ることができない。


武浪 拝
Twitterでも、メールでもあの復興担当相の辞任問題についてどう思うかと聞かれていた。


このニュースを起点に、彼自身の品格のなさ、人間性への批判、マスメディアの隠蔽体質(翌日の新聞では、各誌がちゃんと「オフレコ指令」を守っているんだから、笑ってしまうよな)、地方の中央依存構造、逆の視点で清廉潔白偏重の世論への批判など、様々な論点で議論が巻き起こっている。


実は、すぐにオレなりの意見をBlogにアップすることを控えていた。なぜならば、報道される映像だけから、とても彼の性格、手腕、人間性を判断して批判することは難しいと思ったからだ。もちろんビジネスの場面では、暗闇の中で即断即決をしなくてはならないシーンが多々あるが、本件は世間で騒ぎに短絡的に飛びつく類の話ではない。


一つ、読者の皆さんに言いたいのは、もし今回の騒動について、何か一つの論点だけに飛びついているなら、自分の思考の癖を注意した方が良い。物事を一つの視点から単一的にしか見られないのは、とても不幸な人生を生きていることであり、今後の大変化して行く世界を生き抜くことはできない。



上記の単一的視野の問題について少し補足すると、商社パーソンは、原材料、メーカー、中間流通、最終顧客などのサプライチェーン上の各プレイヤーの視点、また産業、国家というマクロ的な視点など、多数の視点から複数ある事実を見つめ、真実を見抜く戦略的複眼発想が必須能力だ。


今回の件でも、

「あの大臣の発言は、品がないな。辞めて当然だ」

で思考停止していたら、

「□□クンが、○○ちゃんの悪口を言った!ちゃんと謝って」

と言っている小学校の学級委員と変わらないレベルだ。



元大臣が叩かれていたが、オレの経験上、日本の組織で権力、権威というものに近づけば近づくほどああいうちょっと変わったお爺さんが多くなるのは事実だ。



ただ、一つ言っておくと、日本の老人らとは違った意味で、世界のリーダー達が、どれほど短気で恐ろしいものか、それでありながら同時に一方で、凄まじい魅力的なカリスマ性を持っているものかというのは知っておく必要があるだろう。オレのビジネススクール時代に知り合った別のスクールのアメリカ人が、その後、かのApple社のスティーブ・ジョブスの下で働いていたことがあるのだが、不機嫌なスティーブは大の大人が震えてしまうぐらいすさまじく怖かったそうだ(彼は、今は西海岸でのんびりベンチャー投資をやっているが)。



今回の彼の発言/行動だけで彼の人間性の欠如、品格の無さに結論を導くのは、あまりにも軽薄な態度であることは先に書いた通りだ。オレも、ここで彼の人間性、品格を論じるつもりは毛頭ない。彼なりの事情があったのかもしれない。


ただ、復興をリードするリーダーとして何がまずかったについては、明確に書くことができる。それについて述べさせて頂きたい。


組織を率いるリーダーたるもの、「怒る」「叱る」と言う感情表示は、伝家の宝刀がごとく抜いて許されるリーダーと、そうじゃない無能者がいることを理解することが大事だ。同じ怒ると言っても、単に自分の機嫌を露にして周囲を萎縮させ、反感を買ってしまう無能者と、自分の覚悟、情熱から沸きあがる感情を爆発させ周囲の気持ちを一変させるのは、まったく別次元のものだ。怒るとは、一種のアートなのだ。


これは架空の話しとして、例えば知事がちゃんと復興へ向けて全力を尽くしていなくて(事実は知らないが、とても真剣な方だとは聞いている)、それを復興大臣が密室で知事に覚悟を求めるために叱り飛ばすなら、それは必要な姿勢だろう。そして、知事に復興に全力を尽くす握りをしっかりした上で、メディアの前ではニコニコと「知事の復興への熱い想いを確認できた」「復興へ向けて、地方・中央の二人三脚でやって行きたい」とやれば、こんな騒ぎにはなっていたかったんだじゃないだろうか?



オレも、これまで多くの部下を事業会社、投資先にそれなりの経営ポジションで派遣してきた。また、オレ自身も何度か海外を含めた子会社の経営をやっていたことがある。


言葉も文化も発想も違う人々をモチベートして、最大限の成果を出してもらい、そして大きなチャレンジに打ち勝つ。そのためには、リーダーは会社、個人、事業への「コミットメント」や「覚悟」をするしかない。


「オレは、お前の幸せな生活を実現させるために、会社を絶対に大きくしてみせる」


「この事業は世界を変える絶対に意味のある事業だ。何が何でも成功させる」


こんな気持ちを24時間、常に周りに言葉でも、何より雰囲気でも伝え続ける。いや、心底、そう想い込んでいれば、自分の周囲には自然と伝わるものだ(現場まで伝えるには、そのための努力、施策も不可欠だが)。だから、時にこの想いに対して不甲斐無い働きしかしない者に怒りを爆発させても、

「このリーダーは、ここまで本気なんだ」

とわかってもらえる。



と言葉で書くと、とても単純だが、これが本当に難しい。うまくいかないことで悩んだり、落ち込んだり、自分を責めたり、でもリーダーは部下の前で弱い姿を見せられない。信じられないくらいの労力と精神力を要する、すさまじく孤独な仕事だ。



だって、本当にオレがこの会社を大きくして、部下の幸せな生活を確保させられるかどうかなんて、冷静になって考えればわからないわけだ。ただ、そうだと何より自分が一番、信じ込んで、目の前の暗闇を突進して行くしかない。だが世は無情なことに、うまくいった時もあれば、うまくいかなかった場合もあった。自分としてやれることはやり尽くしたはずなのに、うまくいかない場合は、途端に人は離れていく。責められ、陰口を叩かれ、つらい時期もあった。


湿っぽくなってしまったが、オレが言いたいのは、恫喝をして相手を屈服させるのがリーダーの役目ではない。未曾有の災害から復興を成し遂げるという、誰もチャレンジしたことのない壮大な「事業」をやり切るには、想像を絶する心の強さとコミットメントが必要だ。果たして今の政権の中にそう言う人がいるのかと書いてしまうと、一評論家に過ぎない自分がもどかしい。



オレはせめてオレなりのやり方でビジネスを通じて、日本復興に全力を尽くす気持ちだ。オレの周囲でも、頭の良い連中は続々と日本を脱出する準備をしているが、オレは目の前にノアの箱舟のチケットを差し出されても、日本から逃げるつもりは毛頭ない。


Takeshi Takenami
日々ビジネスの前線で激務と言うイメージがあるからだろうか、そんなオレが「週末は何をやっているか?」ということを良く聞かれる。

「猛さんって、オフィスの外ではどんな生活しているんですか?」とオレの部下からも聞かれるくらいだから、オレの私生活はよっぽどなぞ満ちているのかもしれないな(笑)。


オレの週末の朝は早い。せっかく休日の時間に追われない貴重な朝を、二日酔いや寝坊して過ごすのは勿体無い。ならば、平日に遅刻してゆっくり寝ていたい(笑)。

週末の朝は8時くらいから家事を始める。たまった洗濯、クリーニングと簡単な掃除などだ。最近、部屋の掃除はお掃除ロボットのルンバに任せているので、家全体が概ねきれいに保たれているから、自分でやる掃除は簡単に済む。


ところで、ルンバはとてもお勧めだ。たまに、リビングの毛の長いラグにルンバが足を取られて、そのまま動けず息絶えていることもあるが、その健気さが中年心をくすぐってくれる(笑)。



家事の後は、簡単な朝飯を食って(もちろん和食だ)、9時半くらいから近所のジムに出向く。


ビジネススクールで勉学と同じぐらいジムで鍛えまくる米国のパワーエリートを見て、好きなだけ飲み食いして寝ている生活では、いずれこいつらと勝負にならなくなることを痛感したもんだ。


MBA留学から帰って来てしばらくは、日本企業らしい激務と酒席のせいで太ってしまったんだが、肉体改造に取り組もうと、そこから週3回はジムに通って、ウェイトとマシンによる筋トレ、さらに10kmのランニングをしている。おかげで今は20代の学生時代と、あまり変わらない体系を維持している。



このように週末の午前中はジムでトレーニングに励み、それから家に帰ると、読書、そしてパソコンで簡単に仕事をする(最近は、ついTwitterをしてしまうわけだが、笑)。


オレは週末の仕事は、土曜の午後のみと決めている。それ以外はブラックベリーもPCもあまりチェックしない。緊急のことがあれば電話がくるだろうと割り切っている。



そうこうする内に夕食の時間になるが、オレは夕食を自炊することは滅多にない。たいてい外食に出る。


高級レストランと言うよりは(この辺はビジネスディナーや女性同伴で平日夜に行くからな)、近所の焼き鳥屋で長年知り合いの大将とよもやま話をしながら酒を飲むとか、やはり近所の串かつ屋でアルバイト店員の女の子の恋愛相談に乗りながら串をつまむとかが、オレのお気に入りだ。


時には大学時代の悪友や、仕事関係の人と、マンション系の隠れ家なんかで、と語りながら飲むこともあるけど、休日は可能な限り近所で、自分一人の時間を大切にするよう心がけている。



新入社員~2、3年目の連中は、けっこう週末も出勤して懸命に働く人もいるだろうが(商社もますます欧米化しているためか、最近、減って来ている気がするが)、そういうのは本当に若い時代だけにしておいたほうが良い。


人生には仕事以外でも、「家族」「友人」「趣味」などいろいろな要素があって、その中の一つが「仕事」だという認識くらいで良いのではないか。もちろん「家族」「友人」「趣味」など不要で、モーレツにビジネスこそ人生と言うなら、それも良い。それは正解があるわけではなく、価値観だからだ。


ただ、これはMBA留学中に訪れたある教会の牧師が話していたことだが、数多の成功者が死を前にして言うのは「仕事よりも、もっと家族との時間を持っておけば良かった」と言う後悔の念だそうだ。誰一人、「もっと仕事をしておけば良かった」と後悔する人はいないと。


むしろすべて仕事だけの人生なんて、簡単そのものだとすらオレは思ってしまう(こんなことを言うと、「オマエのような若造に何がわかるか」と、役員連中に怒られそうだが、だが人生をENJOYしている度合いなら、オレはどの役員にも負けていないつもりだ!、笑)。


生きがいのある人生とは、「家族」「友人」「趣味」「仕事」などの要素のレーダーチャートを極力バランス取れた形にしながら、さらにその面積を増やす、つまり遊びも仕事も家族も友人も、すべて全力で向き合うというのが理想的な生き方だ。若い時は特異な形をした生き方が個性かもしれないが、円熟を増してくると、バランスの取れた人生をどう描けるかが、素敵な中年の条件だ(だから、仕事は手を抜いて、家族どっぷりと言うのも、当然、如何なものかと思う)。


全部をしっかり充実させるなんて、相当、ハードなことだ。だから人生はおもしろいんだ。デカく行こうじゃないか!




今日も焼き鳥屋で酒をかっくらいながら、この記事を書いている。仕事だけの人生なら、ここで大将と焼酎について語り合うことなどないだろう。だが、オレにとってのこの時間は、オレの生き様の一ページなのだ。


こんなことを書くなんて、若干酔いが回っているようだな(笑)。 まだ夜は長いし、大将に焼酎をもう一杯もらおう。



武浪 猛
ここ最近、本当に暑い。特にオフィスの中が異常に暑い。

暑がりなオレは、スーパークールビズを部署裁量で導入させて欲しいと、
総務部の同期にお願いしてみた。残念ながら、全社で決めることなので駄目だと即却下され、
なお更暑くなってしまった。特に夜になるとエアコンがストップしてしまうのが、きついな。

そんな事情もあり、最近では、ビールを飲みながらの
打ち合わせというのを積極的に導入している(笑)。

つい先日も部下と案件の打ち合わせをしながらビールを飲み、
彼が作成した書類を直すという作業をしていたが、
30分もすると中ジョッキ2つくらい空けてしまった。

しかも、彼も酒で饒舌になり、壮絶な恋愛話を語ってくるもんだから、
もはや書類はどうでもよくなって飲みまくってしまった。
(話を聞いて、オレも飲まなければやってられない気分になった。女性の怖さを痛感だ)。

そんなこんなで仕事もはからない上に、
おまけに明日から海外に交渉に駆り出されることになってしまった。

多くの方からメールを頂いているが、
返信ができていないのはこのような事情だということでご容赦頂きたい。

オレもさすがに歳老いて、暑さが本格的に堪えるようになってしまった。

T2
読者からの質問だ。

「ブログを拝見させて頂きました。既に30代後半で新入社員を受け入れる側になりますが、興味深くブログを拝見しました。


失礼を承知の上でのメッセージですが、***にお勤めの方ではないですか。知人にも連絡し、もしかしたらあの方ではないかと色々と推測し、楽しみながら読ませてもらいました。

今年の新入社員は如何ですか。採用試験も始まる頃かと思いますが、今年の総合商社志望の学生さんは如何ですか。

そういった話がブログに登場するのを楽しみにしています。」



たまに来る問い合わせだが、***はオレの方で伏せさせてもらった。オレがどこに勤務しているかというのは、たいした話ではない。所属先でオレのメッセージの重さが変わるものでもないからだ。オレは他の誰でもない武浪猛として、メッセージを発している。
そんなわけで、今後も、もしかしたらあの方ではないかと色々と推測しながら楽しく読んで頂きたい(笑)。


さて、社会人諸君は恒例の新人配属が一段落した時期だろうか。初のボーナス月でもあるな。今年度は、不幸なことに、オレの部署には新人が入らなかった。これでますます部署の平均年齢が増加してしまう(笑)。人事部には、来年度は是非、新入社員をオレの部署に配属して欲しいと思っている。


なぜ、オレが新人を求めるのか。何よりも、やはり新人は部署に活気を与えてくれる。どうしても日々同じメンバーで仕事をして、一緒に出張なんかしていると、良い意味で阿吽の呼吸もあるが、悪い意味ではマンネリ化が生まれてしまう。オレの部下たちなんて、口には出さないが、「また猛さん、この前と同じ話を始めたよ」としんどく思っているかもしれない(笑)。自部署がマンネリな雰囲気になって来たら、要注意だ。こんな雰囲気のところに、たとえ新人でも、いや真っ白な新人だからこそ、まったく新しい異文化を持ち込んでくれる。


マンネリについて書いたが、記憶力の悪いオレが、いつもと同じ話をするぐらいならかわいいものだが(部下はそう思ってないかもしれないが・・・)、組織の意思決定の場面でのマンネリ化は、危険極まりない。


だが、どうしても「雰囲気、空気による意思決定」というものが存在するのが現実だ。


これは俗人的な要素で決まることが多い。例えば「XX課長がそこまでおっしゃるなら・・・」「○○くんが心血注いでここまでやったんだから、今更この案件から撤退できない」などの発言だ。これを表立って言うこともできないから、後からそこに何らかの合理性的なものを見出し、もっともらしく飾るのが、雰囲気による惰性の意思決定だ。


もう少し例をあげたい。オレがビジネスでAという市場を狙っているとしよう。オレが会議でMBA仕込の強烈なプレゼンテーションをすると、普通は部署の連中は皆、萎縮してしまう。この空気に釣られて、B課長は

「猛さんがそこまで強い想いがあって勝算があるとお考えなら、やってみない手はない」

と発言する。それに乗っかって、C部長代行も

「そうだな。やる方向で進めてみることで異議はない」

という話になる。



これを受けて、若手のK君はA市場の成長性、規模など詳細を調べ、

「現段階においては規模は小さいものの、欧米大手企業は工場新設を加速しており、今後の市場の成長性は高い。現状、他商社は未だに同市場に進出しておらず・・・」

などともっともらしいことを社内文書で書いて、分厚いEXCEL分析シートをくっつけて、一見すればとても論理的な資料にまとめてくれるわけだ。流行のロジカルシンキングなんて、この程度のものだ。


ロジックを勘違いしている連中が多いようだが、表面だけロジカルなアウトプットなどいくらでもある。パワーポイントやエクセルの普及やら、ロジカルシンキング研修のせいで、こう言う一見こぎれいだが中身の無いアウトプットばかり出す輩が増える一方なのが、嘆かわしい。重要なのは、ロジカルかどうかなんてどうでも良くて、本当に知恵熱が出るほどに考え抜けるかにかかっている。


話しを戻すと、本来であれば、オレのプレゼンに対して、要点をついた問いが投げかけられて、市場Aの状況構造を深く読み解き、状況が変わった場合どう対処するか、競合他社と戦って詳細があるのかなどについて、ハイレベルなディスカッションを繰り返しながらチームメンバーで磨き上げて行った上で、最終判断をするのが、本当の意思決定プロセスのはずだ。


残念ながら、こう言う闊達な議論をベースにした意思決定方法は、日本の組織の中ではまだ少ない。会議出席者には極めて高いレベルの思考力が要求されるが、このような訓練を日本ではなかなか受けられない。何より教えられる奴もいない。


上の例では、オレのプレゼンテーションに萎縮してしまい、迎合した発言をしたB課長とC部長代行が「雰囲気、空気」による意思決定を助長してしまった。しかし、そこで誰かが臆することなく、


「猛さん、一つ質問させてください。具体的な市場Aの成長率の見込みと、我々の競争優位性はどこにあるのでしょうか?」

と質問してくれてこそ、本当のディスカッションのスタートだ。こう問われて、オレも自分の説明に不足があったこと、もしくは考えに漏れがあったことを自覚できる(さすがに、上のレベルの問いが漏れるほど、オレも落ちぶれてはいないが)。


注意したいのは、上のような鋭い質問は、あくまでオレのアイデアに対する疑問であって、オレの人格否定ではないと言うことだ。どうも、日本人の多くは、意見と人格を混同してしまいがちだ。昔の記事でも書いたかもしれないが、海外での交渉の場面では、時に追い込んだり、シラを切ったりした後でも、ディールが成立すれば、一緒に楽しく飲みに出かける。




こんな本気の戦いをしたからこそ、お互いの実力やプロフェッショナリズムに敬意を表することができて、敵がライバルに、そしてライバルが戦友になる。


こう言う仲間を世界中に持てた時、オレは商社マンになって良かったと心から思える。




オレから先輩社員にお願いしたいのは、どうか新人教育という名の下で組織の雰囲気に染まるような教育はやらないで頂きたい。これでは教育ではなく、洗脳だ。ビジネス知識や、基本スキル、社会人としての常識というハードな面の教育は効率的に行い、人としてどう考えるべきか、組織とはどうあるべきかなどのソフト面は、一人一人が自分で掴み取らせるようにして欲しいと言うのが、老兵からのお願いだ。日本が今後さらに世界に打って出て行くときに必要なのは、若者の恐れを知らぬ勇気と独創的なイノベーティブマインドだ。それを摘んでしまうような価値観の押し付けは、絶対にしてはならない。




また、逆に読者にもいるであろう新入社員に伝えたいのは、

「知識と良識は徹底的に吸収しろ、ただし魂だけは売るな」

と言うことだ。


人としての考え方、価値観は君だけのものであり、人の影響は受けるかもしれないが、強引に変えさせられる権利はない。また、無防備に全人格的に誰かを信奉するのも危険だ。世界に一人しかいないキミと言う人間の人格は、自分で生き抜いて自分で獲得するしかないのだ。





こういう自立した考え方だと、会社に入ってから多くのバッシングをうけるかもしれない。依然として日本の一部の組織は、郷に入れば郷に従え、組織への滅私奉公であり、雰囲気、家族感が重要視される。しかし、こんな旧態依然とした組織は、今後、次々とグローバル化のハリケーンに吹き飛ばされる。



組織内部の波風など吹き飛ばして、世界の嵐の中で打ち勝つ、耐え忍ぶ強い精神力を持って欲しい。言っておくが、グローバル・ビジネスの現場はもっともっとタフだ。




最後に、質問をくれた方から「今年の新入社員はどうか」と聞かれていたことを今さら思い出した・・・。

つい熱くなってしまうオレには、よくあることだ(笑)。ここまで読み進めてきたオレの部下たちは、

「猛さん、また質問と的外れなことを言ってるよ・・・」

と心の中で思っているのだろう。



この的外れだけど、時に鋭いことを言うのが、オレらしいクリエイティビティだと、オレは思っているが(笑)。




質問に端的に答えよう。そもそもオレは「最近の若者は・・・」と言う論調が大嫌いだが(こう言うことを言われた若者職は、どうか「最近の老人は・・・」と言い返して欲しい)、一つだけ確かなのは、オレの新入社員時代に比べれば今の若者の頭脳は100倍優秀だ。


社会の複雑性がまったく違っている現代を生き抜いているだけのことはある。オレなんて、女のコにモテたい、良い服を着て美味しいものが食べたいと言う単純明快な田舎根性だけで突っ走ってきたからな(笑)。




そして、この100倍優秀な若者が大きく飛躍するかどうかは、我ら先輩の肩にかかっていることを肝に銘じるべきだ。



Takeshi


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