Romance In February 22 | ショート・ショート・ストーリィ

Romance In February 22

豊が比奈子をじっと見つめている。
突然表情が変化したために訝しがっているのだろう。
恋愛に関するスキルなどほとんどないに等しい比奈子には、こんな時にどう繕えばいいのか分らなかった。
だから仕方無しに、パーティション代わりになっている旅行代理店のパンフレットに目を向けた。
まったく違う話を振ることにしたのである。

「バレンタインの旅行プランなんてものまであるのですね。バレンタインの影響力ってどの業界にも浸透してる。すごいなあ」
「定番のチョコレートはあげないのか? コヒナさん」
「えっ……」

呼び慣れない名前に慌てて視線を戻すと、やけに真剣な表情をした豊と目が合った。
ドラッグストアで見た時も、そしてこの間の読書会でも、全く同じ視線を向けられていたことを思い出す。

「やだな、その呼び方……」
「ああ、やっぱり」

くすくすと笑われた。
その仕草にぞくりと背筋が泡立つ。

「軽軽しく呼ばれたくない……、か」

すいっと視線を外された時に、寒気の正体に気付いた。
微笑む彼の眼が、全く笑っていなかったのだ。

「あの……、好きでもない人に馴れ馴れしくされたくないので……、その呼び方は……」
「そう。小早川さんにとって読書の時間は本当にただの息抜きだったんだな」
「えっ」
「こうやってこのカフェに来ているのは、俺と会うことを愉しみにしてもらっていると思っていたけれど」

豊の顔から完全に笑みが消えて、比奈子は動揺した。
それ以上に突然“コヒナ”と呼ばれて違和感を覚えたし、手のひらを返したかのように冷たくあしらわれて大いに戸惑った。
そのくせこの密やかな逢瀬を大切にしている旨を告げられている。

「少し早いけど、解散しようか」
「……あ、待って」

空になったカップを片手に見下ろされた。
先程までの鋭利な雰囲気は霧散して、どうしたの?と窺うような優しい眼差しを一身に浴びる。

どれが本心なのか分らない。
分からないから、何処まで吐露したらいいのか判断できない。

コヒナと呼ばれるのは自動的に川上を思い出すからであって、豊から名前を呼ばれるのならば、誰かが作った愛称ではなく彼が思いついた呼び方で呼んでもらいたい。
こうやってお昼時にこのカフェで逢うことだって、読書はおまけにすぎないのだ。
そう告白したいけれど、豊は亜子を慈しんでいるではないか。
期待させるような言動を撒き散らしているが、その心には美しい人が住んでいるじゃないか。

「私は……、もっと豊さんにたくさんの本を紹介して頂きたいです。また美味しいお店にも行きたい」
「ああ、そうだな。今度は俺がとっておきの店を紹介しよう」

言いながら比奈子のカップを持ち上げた。今日の逢瀬はこれっきりにしたいらしい。
比奈子を置き去りに踵を返したので、彼女も慌てて立ち上がり、その背を追う。



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