Romance In February 20 | ショート・ショート・ストーリィ

Romance In February 20

先程から川上が自分を窺っていることは分かっていた。
勿論それは秋波ではないことも承知している。
適度に話し相手になってやることも適当にあしらう術も心得ていたが、今の比奈子には川上と建設的とは言い難い会話の応酬を始める余裕はない。
よって、いつものようにさっさと昼食を終え、素早く自席を離れたのだが。

「コヒナ、またあのカフェに行くの?」

小さな溜息が唇から。
その吐息は弱弱し過ぎたらしく、川上の胸には全く響かなかった。

「悪いことは言わねえから、あの久我サンのことは、もう潔く諦めた方がいいぞ」

比奈子は思う。
どうしてこの男はこんなにも強靭な精神を持っているのか、と。
少しでも邪険にされたら、大抵次のコミュニケーションは及び腰になるはずだろう。
しかも“潔く諦めろ”ときた。
他人の動向に目を配らせて、それこそ穴が開くほど見つめているくせに、その人物の心中が慮れないとはこれまたいかに。

「……私はお茶をしに行っているだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのです」
「じゃあ別に久我サン情報は要らないわけね」

「久我サン情報?」と、思わず首を傾げて見上げたのがいけなかった。
川上は満面の笑みを浮かべて比奈子を見下ろしていた。

「ほらあ! 気になるんじゃん!」

得意げな顔をした川上は、露骨に渋面をつくる比奈子にお構いなしに、昨日偶然目撃した豊と亜子のこと、そして豊が誕生日であったことを大袈裟なくらいに抑揚を付けて、実に楽しそうに語ってくれた。




川上から聞かされた話は実に面白くない内容だったが、それでも比奈子はいつものように定席で本を開き、飲み慣れたラテを啜っている。
スクープであるかのように聞かせられなくても、充分想像できることだったし、実際覚悟はしていた。
目は活字をなぞるが、頭に入って来ないのも想定済み。
うっかりしたら視界がぼやけ、滴が垂れそうになることだって想像の範囲内。

ただ、胸の痛みを忘れるほどの深い喪失感を味わうのは、彼女の予定には組み込まれていなかったが。


「相変わらず早いな」

聞きなれた足音と共に、よく知っている角度から影が差す。
神様はどうしてこんなにも悪戯好きなのだろう。

「ちゃんと飯は食ってきてるのか?」

何も今このタイミングで巡り合わせることもないのではないか。

「久我さん、こんにちは。……遅くなりましたけど、お誕生日おめでとうございます」

豊は一瞬瞠目したが、すぐに眼尻に皺を作る。
その柔らかな表情に一層胸の痛みが強まってしまう。

「川上くんに聞いたの?」
「彼、歩くスピーカーなんですよ」
「……なるほど。留意しておこう」

比奈子はこの遣り取りに少しだけ満足していた。
会話が成立していることに安堵を覚えたのだ。
泣いたり落ち込んだり、そういうマイナスのエネルギーを露呈させるほど子供ではない。
大人としてのプライドが、比奈子をこの場に止めさせてくれた。


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