Romance In February 18 | ショート・ショート・ストーリィ

Romance In February 18

もう当分豊に会うことはないだろうと思っていたので、手元の本に影が差した時、比奈子は大変驚いた。
あまりに突然のことだったので、瞠目した様子を隠すことなく天を仰ぐ。

「ここで会うのは久しぶりだな」

クールさと素っ気なさ。
そのどちらにでも振れそうな、そんな微妙な表情を浮かべながら豊は比奈子の前に腰掛けた。
それから彼は言葉を交わそうともせず、すぐに文庫本を取り出し、活字の世界へ旅立つ。
これには流石の比奈子もムッとしたが、すぐに怒気を奪われてしまう。
その理由なんてとても単純で、痛痛しいほど切ないものだ。

豊が挟んだ栞の位置は、以前とひとつも変わっていなかった。

たったそれだけの理由。
その物語の続きを読むのは、お前のそばがいいと言われたような気がした。

勿論それは比奈子の希望だ。
そう思ってくれたらどんなに良いだろうという願望だ。

今自分がどんなに虚しいことを考えていたか、分かっている。
だからこそ遠慮のない溜息が洩れてしまった。

「どうした」
「あ、いや、今の溜息に深い意味はなく……」

掛けられた声に驚いて視線を上げると、真剣な眼差しに出会い、ぎくりと身が固まった。
比奈子の高揚を誘うかのような、鋭くも妖艶なそれではない。
比奈子の真意を探るかのような、容赦なく切り込んでくるメスに似た瞳を向けられて、比奈子は思わず目を逸らした。


――この間からずっと、みじめな思いばかりしてる


伏せた瞼が熱くなったが、会社の近くのカフェで、制服を着たまま泣くわけにはいかない。
居心地のいいカフェなのだ。もう絶対手に入らない男のことで要らぬ恥をかく方が馬鹿馬鹿しい。

そんな近い未来の計算をした時、比奈子は急に可笑しくなった。
自分は思っていた以上に計算早くて狡猾であることに気付いたので。

少し冷静になると、妙な勇気が比奈子を後押しした。
頭の中で思い描くのは、昨日豊が手にしていた2枚のチケット。
比奈子の目の前でちらつかせたそれは、柚木亜子の机にあった。

「……久我さん、映画のチケットは柚木さんにあげたのですね」
「ああ、あいつが観たがっていたやつだったからな。渡してやった時、すごい顔をしていた。あいつからあの表情を引きだしたんだ。映画代以上の価値があったよ」

ここで微笑んでやるべきなのだろう。それが大人としての処世術であることは比奈子にも分かっていた。

「久我さん、酷いわ。私にくれても良かったじゃない」

無理矢理微笑みながら、声のトーンを上げて。
比奈子に出来る精一杯の皮肉を。

途端に豊の表情が曇る。

「……小早川さんにあげたって、意味がないだろ」


背凭れのある椅子に腰かけている筈なのに、何の支えもない空間に放り出されたような気がした。




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