弟のR君が、ゴミ山に行くダンプトラックにひかれ片足を損傷する事故に遭ったJ君。1か月前から、幼い弟妹を下宿先に預かって親代わりをすることになりました。

一時は、せっかく苦労して入学した大学も、この状況によって断念しなくてはいけなくなるかもと心配しましたが、日本の皆さんからの緊急支援金とスポンサーのからの応援、それと他のお母さんたちの温かい支援があり、無事就学を続けています。4日には、スポンサーと共に、R君のお見舞いと、親代わりとして奮闘するJ君の陣中見舞いをしました。


病院のR君です。前日手術を終えたばかりということで、まだ痛そうでしたが、ほっとしたような表情でした。幸い、骨の損傷は最小限で済んだようですが、左の膝の部分については事故によって筋肉や皮膚が無くなってしまい右の臀部から移したそうです。右のおしりからお肉をとることは、両親からR君本人に手術前に伝えられていなかったようで、手術後、麻酔が切れて目覚めたR君が、驚いて右のおしりがどこにいったのか母親のGさんに尋ねたそうです。Gさんが笑いながら教えてくれました。

事故にあった日のことを聞きました。

道を歩いていたR君がトラックの後ろの車輪に轢かれました。父親がそれを発見して、まずやったことは、R君がさらに轢かれないように、R君の体に覆いかぶさり叫んだことでした。周りの人がそれに気づき、ドライバーを止めました。フィリピンの貧しい地域では、いったん人を轢いて深刻なけがをしていた場合、ドライバーは息のねを完全に止めるためもう一度轢くということがあるそうです。その方が払うお金が少なく済むからです。息子の命を守るために覆いかぶさったお父さんです。お母さんは何をどうしていいのかわからなくなり、とにかく事故のあった場所に残された息子の足の破片を全てかき集めたと言っていました。

入院生活はあと1か月は続くそうです。小児病棟なのですが、医師看護師が不足しているためか、10名程の相部屋に担当医師1名ということで、日常の生活のケアは全て家族がせねばならず、お母さんがずっとついて面倒をみています。身体の位置の変更、着替えなど力がいる仕事は、お父さんが来たときにやってもらうのだと言っていました。お父さんが来る時は、幼い弟たちもいっしょに連れてやってきます。子どもたちは病室には入れないので、1Fでお母さんと子守り役を交代してから、お父さんは上のR君の病室に行きます。


はるまち通信

お父さんは今ゴミ山での仕事、病院でのR君の世話、カシグラハンで下宿する他の子どもたちの様子を見て回るので一週間休むまもなく過ごしています。でも子どもたちと接する姿は本当に幸せそうです。子ども達に注いでいる愛情の深さを感じ、どれだけ今回の事故で胸を痛めたか、そして今どれだけほっとしているか想像すると胸が熱くなりました。この笑顔があるのは、ご支援のおかげです。ありがとうございました。


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