いわゆる小劇団演劇を最後にまともに見たのは、確か1982年、つかこうへい劇団「蒲田行進曲」。銀ちゃんが風間杜夫、ヤスが平田満、小夏が根岸季衣。平田満がめちゃくちゃよかった。小夏は映画では松坂慶子がやったが、舞台の根岸季衣のほうが数段いいという話を映画が公開された後友人とした記憶もある。それまでは赤テント、黒テント等を見ていたのであるが。

あれから30年強経ったところで、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出、ナイロン100℃「社長吸血記」を見た。
きっかけは知人が役者の大倉孝二さんファンだったことから、彼の出演する舞台ということでこれを選んだ次第。私はケラさんとかナイロン100℃は全く知らなかったし、大倉孝二さんもテレビでちょっと見たことがあるなといったレベル。そんな私が本件につき、記事を書くのはおこがましいのであるが、あえて書かせていただく。

その前に公演情報。現時点、東京の本多劇場での公演は終了し、今は地方公演を行っている最中。
10月25日(土)、26日(日) 北九州芸術劇場 中劇場
10月28日(火)、29日(水) 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
11月1日(土)、2日(日) りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 劇場

ということで以下の内容はネタバレを相当含むので、これから行かれる方は読まないでいただきたい。

「社長吸血記」、久しぶりの演劇でおそらく現時点の日本で最高水準の舞台を見れたのではないかと。30年強たって中年となった私でもつかこうへいを見た時の痺れるような感じを「社長吸血記」から受けることができたからである。

話の流れはこうである。
舞台は終始ある会社の屋上。向いのビルと右手のマンション。

屋上での昼食時、社員たちの会話から社長が失踪して3ケ月になることが明らかになる。

社長は、どうやら昏睡状態にあり、何故か社員のミミと向いのマンションの曲が匿っているらしい。

その屋上に昔この会社の従業員だった人たちが集まってくる。社長の失踪を捜査する良い探偵や警察の森等も含め、登場人物は出揃った。ここからだんだん会社や社員の裏の部分が露れてくる。

社員のロールプレイングを通じて、この会社が悪徳商法、詐欺まがいの商法の会社であること、シニア層をターゲットに社員は男女とも色仕掛けで契約をとっていること等が明確に。社員の闇もまた明らかに。婚約者のミドリがが客と寝る仕事であることに葛藤する向井、そんな向井に嫌がらせをいう毛利、その毛利は客のお婆さんの息子とトラブルを抱えている、ミミの兄である黛は後輩の道下とちょっとしたことで衝突してしまうほど険悪な関係。室長の目崎は社長とできていたことを告白、警察の森はミミが誤って社長を昏睡状態にしてしまったことを知っていることをほのめかす。

そして向井のトラブルの相手が被害者を先導してこの会社に押し寄せてくる。大混乱の会社。そんな状況下、黛はミミの彼氏である曲を刺殺。道下は黛が刺殺現場に残したハンカチが証拠となり、逮捕される。目崎は自殺した益子の妻から社長が嫌っていたことを知らされやけになって屋上から飛び降りてしまう。

屋上に集まった昔の従業員は、昏睡した社長の意思で集められたことを知る。彼らは、まともな会社だった頃の従業員は新たな会社を始めようとする。備品を購入したり、会議を開いたり、会社の標語を作ったりするものの何か無意味な行動ばかり。やがて会社を起こすことなく彼らは去っていく。

現在の会社はといえば、向井は暴動に巻き込まれ植物人間に、残されたミドリは毛利と結婚することに。向井の代用としての毛利とミドリの間には隙間風が。警察官の森は癌を発症。目崎は重症を負ったものの命はとりとめたが、落下の際下にいた人に怪我を負わせ賠償問題を抱える状況。ミミは兄黛が曲を殺害したことを気づいており、黛の殺害動機は曲がミミにお金を貢がせていたことをが明らかに。

いまやビルが傾き、こちらのビルが傾いているのか、向いのビルが傾いているのか情景まで混沌とする中、幻影のような社長がカクカクと歩みはじめ、突然黛、ミミ、目崎のいる前で壊れたコピー機が動き出す。
黛が出てきた紙の文字を読み上げる。そこには昔の従業員が作った標語が書かれていた。「ひょっとこ」と。

もちろん「社長吸血記」はストーリーを追うことに意味はあまりないが、情景も含めて登場人物の状況を押さえておくことは意味がある。会社という組織や従業員の多面性が日常の文脈で違和感なく発現することに本作の面白みがあると思うからだ。表と裏ではない、多面性なのである。それが私達の自己同一性という常識をガクガクと揺さぶるのである。そしてこのような出演者同士の会話のやりとりは、言葉のアイデンティティを崩していき、そのことが時に笑いをもたらす。正直言って2時間半、大いに笑った。それは爆笑の時もあれば、にやにやっとした笑いも。しかも会場のお客さんによって笑いのツボが違っていたりと。笑いもまた多面的だったのだ。

いくつか記憶に残っている印象的な場面を紹介する。
(記憶ベースなので必ずしも正確でないかもしれない)

良い探偵とご主人を自殺で亡くした美恵子との会話。
ちなみに探偵役で客演の山内圭哉さんが抜群によかったですね。この人がおそらくいちばん笑わせてくれました。

「自殺でないとすると次に考えられる原因は老衰ということになります」「37歳ですよ」
「マンドリルの平均寿命は37歳といわれてます。万一あなたのご主人がマンドリルだとして....」
「マンドリルじゃありません」
「万が一です。良い探偵というものは万が一の可能性もひとつひとつ検証しているのです」

ちなみにマンドリルとは下記の猿類。


昔の従業員の春奈さんのセリフ。村岡希美さん、女性の役者さんの中で個人的には一番好みでした。何となく漂うちゃんとした感じ、品の良さに潜む狂気のようなものに痺れました。

結婚式のスピーチ風に。
「人間の心の中には4つの<たい>が住んでいると言います。死にたい、別れたい・・・・・・・もうやめたい」
「ちゃんと考えてからいえー」
「結婚したい、普通のお魚の鯛」
「5ついってるぞぉ」
「おめでとうございます。末永くお幸せに。」

いいですよね、このズレ。

そして美恵子による友達の桃代への罵倒。

「あんた母親だろっ。これからあの鼻のひんまがった赤ん坊を大人に育てるんだろう、十何年かかけて。もうちょっと客観性持てよ。セシルなんて名前付けられちゃって、鼻ひん曲がってんのに。 客観性ない。今はいいよ、まだ自分のこと何にも分ってないから。虫みたいなもんでしょ。 だけどいつかある日、気がつくわよ、自分が女だってことに。母親がゴミみたいな人間だから母子家庭なんだ ということに。母親がろくに自分のめんどうを見てくれなかったことに。自分の性格も鼻とおんなじようにひん曲がってしまったことに。」
そして桃代がありえないと絶叫するが、それに対するセリフが
「ありえるんだよ、大抵のことは!」

かっこよすぎます、皆戸麻衣さん。スカーッとしました。ここはまともにドキュンネームとかつけている現代の親たちへの痛烈なパンチとまっすぐに受け止めましたが。しかもよく発せられる言葉「ありえなーい」へのカウンターパンチ
「ありえるんだよ、大抵のことは!」がいいですね。今度コレ言われたら言い返してみようと密かに思いました。

そして良い探偵の手帳に記載されたこと。捜査の手がかりとなる重要事項を書き留めているのかと思わせておきながら、その内容の落差。

火には熱がある。
釣ったイカを捨てると荷物が軽くなる。
ピザを壁に投げると、そうしない場合よりはるかに高い確率で壁に向かって飛んで行く。
ンボウは寿命が来ると死ぬ。
1991年には秋があった。
今日は集合の日だ。

良い探偵は、手帳など書き留めたものがないとないと思い出せないし機能しないのですが、これって結構本質的に無意味なもの、無駄なものをせっせと記録(電子デバイスでも同じ)しそれに頼って経営判断している現代の企業への皮肉になってませんかねぇ。私にはそうも感じられたのですが。
しかし改めて見てみるとケラさん策士です。「今日は集合の日だ」というワードが社長の譫言であり、昔の従業員を呼び寄せたのが社長だという証拠をこの中に入れてあるのですから。

さて最後に最も印象的だったのが、昔の従業員による会社の会議。
ちょっとボケた長老の社員大田黒を演じるのが大倉孝二さん。長身の大倉さんのボケぶりはすごいです。ボケが増幅されてまるで核爆発の熱風を浴びたような凄まじさがあります。このタイプの役者さんはいないですよね。会議ではいかに物事が流れの中で初期の目的からズレて着地していくかがスピーディに展開されていくのですが、胸が苦しくなりました、あまりにも大半の会議の本質を突いていたので。

「私の宿題になっていた今週の標語、考えました」
「誠実」
「やめよ」「やめましょう」
「では代案として絶望」
「軽薄過ぎる」「軽薄過ぎますねぇ。」
「では」
「だめ」「だめだ」
「標語」「なんですか」「標語」
「今週の標語は標語なのよぉ。」
「さすが手帳以上です。」
「発表します、当社の今週の標語は標語」
「ひょーご」
「ひょうご?」
「ひょっとこ」
「ひょっとこでいいわよ」
「はい、では今週の標語は」
「らいしゅう」
「らいしゅうに決定しました」
「じゃ、来週の標語は」
「ひょっとこ」
「来週のひょっとこは」
「今週」

赤字が大倉さんです。いいですね。この面白さは当然ですが、舞台でのライブでなければわかりません。きっとDVD見てもだめだろうな。なぜならば物理的大きさを大倉さんのでかさを体感しないとわからないと思うからです。ちょっと根拠レスかもしれませんが。

いずれにしても最高レベルの演劇であることは間違いないと私が言って信じられないと思いますので、以下のTwitterまとめを見ていただきたい。

ナイロン100℃『社長吸血記』感想まとめ

さて最後に実は「社長吸血記」の前日、ケラさんの奥様の緒川たまきさんの朗読イベントに参加してきたのだが、それは夏目漱石の「夢十夜」。

ご承知のように夢十夜は全十話が、「こんな夢を見た」で始まる。
そして「社長吸血記」もまた、昏睡した社長がまだ社長でなかった時、
悪徳商法に手を染める前の会社を想い出し、その時の従業員を呼び寄せてまたよき時代に会社を作ることを夢見た話だった。社長の物集(モヅ)さんの夢が、現実の崩壊しつつある会社と重なり合うものの社長の死とともに従業員は消え、社長の理想だけが最後コピー機から現実の従業員の前に現れるのである。
その文字「ひょっとこ」は、会社が無駄な会議や無能な社員でも成り立っていた時代、すなわち高度成長~バブルまでのある意味幸せな時代の象徴。だから社長にはノスタルジアで死ぬ最後のメッセージとして意味があっても、現実の従業員にはなんの意味もない言葉。だからこの劇はここで唐突に終わるのである。観客もこの終わり方にはとまどっていたように思えるが。
ここで補足、良い探偵のメモの「1991年には秋があった」も社長の呟きだったのですね。1991年はバブル崩壊の始まり、ただしまだ秋くらいはあった、この後日本の会社は従業員は2008年のリーマンショックをピークに厳冬の時代、秋すらない時代に入っていくのですから。こんな仕掛けもケラさんの凄みを表わしていると思うのですが。

今こうして振り返ると「社長吸血記」のポスターデザインは、この作品の意味を象徴していたことがよく分かます。
ああそれにしてももう一度見たいです。実感。