大変遅くなりましたが、今日は10月24日(土)に行われた『宗箇祭』 を紹介しまーす。
廿日市市浅原には、上田宗箇が愛飲していた『岩船の水』が、現在も400年間変わることなく流れ続けています。
上田宗箇は浅野藩の家老でもあり、茶人・作庭も手がける偉大な文化人であり、一万石の領主でした。
宗箇は、長女・田辺の嫁ぎ先一族の不幸を目の当たりにした後、深い悲しみを癒す為、茶人としての余生を送る決意を固め、自分の領地でもある静かな田園風景が広がる浅原にて3年、お茶三昧の隠棲生活を送られていました。
気さくな宗箇は、村人からは、『そうかさあ』(宗箇さん)と呼ばれて親しまれ、素朴な村人とふれあう穏やかな日々を送り、心が癒された浅原生活であったようです。
ですが、浅野藩主がわざわざ隠棲地の浅原まで出向き宗箇に帰参を促され、広島に帰還することとなり、宗箇と村人は泣いて別れを惜しみ、村人総出で見送ったと言われてます。
宗箇が浅原を去った後に、宗箇の徳をしのぶために毎年宗箇追慕祭(宗箇祭)開かれていました。戦争で一時途絶えた時期もありますが、宗箇追慕祭(宗箇祭)は復活し大切に受け継がれています。
午前十時半から、宗箇をしのぶ神事・献茶を執り行なわれ
地域・関係者の代表による玉ぐし奉奠と神事が進み・・・
神事の後は、地元 浅原小の児童が、お茶の接待をお手伝いします。
関係者や地域住民も神事に参列した後、岩船の砂を入れて作られた茶碗に『岩船の水』でたてた美味しいお茶を頂きました。
宗箇も浅原の隠棲生活で、地元で採れる粘土や近くに茂る孟宗竹や樹木を使い、茶碗、茶入れ、竹筒花生、茶杓など創作三昧の日々を送り、地元の栗の木で作り、村人に与えたという『くり盆』が今でも残されているそうです。
こちらが『岩船の水』。地域外からも、こちらの名水を求め、多くの方が水を汲みに来られてます。『縮景園』のお茶会にも『岩船の水』を使われていますよ。
こちらの浅原の公民館にて、地域の方が手作りのお弁当を用意され、宗箇祭に参列された希望者の方と宗箇を慕いながら・・・・。
佐伯寿司と同じく、寿司の中に具が詰めてある、『あんこ寿司』と『冬瓜なます」に、『柚子のなます」、『のっぺい」のおかずに『冬瓜汁』をたくさん頂きました。
以前、『宗箇祭』では郷南地域の方が中心に行い、のっぺい汁の大鍋が振舞われていたようですが、 現在は、『活気ある浅原を創る会』が中心に地域ぐるみで毎年秋に、宗箇追慕祭(宗箇祭)を行っています。
クリックして拡大してご覧下さい。(隠棲の理由が書かれてます。)
『活気ある浅原を創る会』では、上田宗箇没後350年記念の地域活性化事業の中で、ふるさとの大切な文化財を今後に伝承していくため、また子供達にも理解しやすいように上記の絵本を作成されました。 宗箇が亡くなり359年経った今も、宗箇が愛飲していた『岩船の水』は、浅原にて変わらぬ名水として大切に守られてます。
これからも人との温かいふれあい、人を大事にする宗箇の清らかな精神と共に代々受け継がれていくことでしょう.。