「阿釈薬観天天八蔵そわか(あーしゃくやっかんてんてんはちぞうそわか)」と何度も唱えていると、さもお経らしく聞こえるのですが、この言葉は仏教辞典にはのっておりません。「阿弥陀如来、釈尊、薬師如来、観音菩薩、天理之神、天照大神、八幡大菩薩、地蔵菩薩」の頭の一字と「そわか」をくっつけた言葉です。この言葉はこれからのお話しの中から生まれたようです。
ある時に大変用心深いおばあさんがおりました。「阿弥陀様だけにお願いするだけでは心元ないし、お釈迦様やお薬師さん、八幡大菩薩さんやお地蔵様にもお願いしなきゃ。」と「阿釈薬観天天八蔵そわか」と唱え始めました。
やがておばあさんが亡くなろうとしていた時、呼ばれた仏様、神様の間で誰がそのおばあさんを迎えに行くのかと会議することになりました。
阿弥陀様「私は『南無阿弥陀仏』と唱えればお迎えに行くのですが、阿としか言われてないからなぁ。」
お釈迦様「いや、お迎えにいくのは私の仕事ではないので。」
薬師如来様「病気を治すのは私の役目ですが、お迎えに行くのは阿弥陀さんの役目なので。」
観音菩薩様「阿弥陀様とならお迎えに行きますが、私一人ではちょっと…。」
と仏様、神様にそれぞれ言い分や理由がありまして、結局誰もおばあさんを迎えに行くことなく地獄に落ちてしまったということだそうです。
「阿釈薬観天天八蔵そわか」はおばあさんの思いついた言葉に対しまして、「南無阿弥陀仏」と唱える者を極楽浄土に迎えることは阿弥陀様の本願の行であります。
法然上人の御教えに従う我々は阿弥陀様の本願にすがり、素直に「南無阿弥陀仏」と唱えていきたいものです。







