新型コロナウイルスから人々の命を守るために戦っておられる医療関係の方々・私達の生活を日々守って下さる方々には感謝の心でいっぱいです。一日でも早く新型コロナウイルス蔓延が治まりますように祈念申し上げます。
  
 私達、新型コロナウイルスにより日常は大きく変わりました。「学校に行く」「仕事に行く」「友達に会う」「買い物に行く」「病院に行く」等、数か月前までは『当たり前』であった世界が、一つの疫病により世界は大きく変わりました。生活が変わりますと、不安な心・苛立ちの心が増える私達です。疫病のニュースの中で藤井貴彦アナウンサーが「今、緊急事態宣言を受けて自分を律している人ほど、観光や遊びに出ている人を腹立たしく思うかもしれません。しかし皆さんのような人たちがいるからこそ、欧米のような医療崩壊を防げています。今は皆の足並みが揃わなくても、その姿勢は必ず誰かの行動を変えるはずです。そして全国にはまだ感染者の少ない地域も多くあります。不用意に生活エリアを越えた移動をしないこと。これが、誰かの故郷を守ることに繋がります(4月20日)」と話されておりました。私達が今出来ることは、自分・家族を含め一人でも多くの命・生活を守る為の行動しかありません。

  疫病で怖い世の中でありますが、『当たり前』と思っていた事は、実は『ありがたい日々』であったと実感致します。もし時間があり可能であれば、お家の中で昔の懐かしいアルバム等を開いて頂きたいと思います。そこには『当たり前』として気づきにくかった、お父さん・お母さんが守って来られた家族の笑顔の写真があると思います。昔の『ありがたい日々』を思い出し、今はお家の中で、仏様・ご先祖様を拝んで頂ければ有り難く思います。仏様を拝むお姿が家庭にみ仏の光を照らし続けて下さることです。一日でも早く新型コロナウイルス蔓延が治まり、疫病に気にすることなく、お墓参り・お寺参りできる『ありがたい日々』が戻ってくることを。 合掌

 京都教区洛南組長圓寺 堀有輝

「ノーベル賞に思うこと」

 

 2019年のノーベル化学賞に吉野彰氏が受賞されました。日本からは8人目の化学賞受賞者です。受賞理由は、「リチウムイオン二次電池の開発」に成功したことがノルウェーの王立科学アカデミーから説明されております。リチウムイオン電池は、私達の身近なパソコンやスマホに使用されていることからも、誠に喜ばしいことですね。

 

 また、過去において強烈に印象に残っているのは、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥氏です。「様々な細胞に成長できるiPS細胞の作成」に成功したことが受賞理由でした。このときに「まだ若いのに、また、同部門で成果がある人がいるのに」という意見が出ましたが、王立科学アカデミーは「この分野の門戸を開けたこと」が受賞理由である、と説明された事でしたね。

 

 アカデミーの『この分野の門戸を開けたこと』に感じることは、その重みを思い知ることです。まさしく法然上人が、長く苦しい行学の末に、「ただ弥陀の本願の船に乗りて、生死の海を渡り、極楽の岸につくべきなり」と示され、『念仏往生』の門戸を開けて頂いて以来845年、本年のこの機会に改めて噛みしめて頂ければと思います。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   合掌

 

滋賀教区 大津組 西福寺 黒川 英正上人 寄稿

◇お盆とは

 正式には「盂蘭盆(うらぼん)」と言い、古代インド語の「ウランバナ」という語が漢字に音写されたものです。「ウランバナ」とは「逆さに吊らされた激しい苦しみ」の意で、漢字で倒懸(とうけん・ささがけ)とも書かれる無常の苦しみを伴う刑罰をも意味します。

 中国で作られたと推測される「盂蘭盆経」によると、釈尊の弟子で神通力第一と言われる木蓮尊者が先に亡くなった母親の様子を調べたところ、倒懸の苦しみを受ける餓鬼の世界に堕ちていました。

 餓鬼というのは飢えた生き物で、木蓮は餓鬼になった母に食べ物を差し出しますが、それらは口のところで火となって燃えてしまい、食すことができません。木蓮は神通力を以て何とか母を救おうとしますが、その神通力も効きません。

 そこで、釈尊に相談したところ「木蓮よ、そなたの母は決して悪人では無かった。とても優しい人であった。しかし、そなたを愛するあまり、他の子供には優しくなく、平等でなかったのであり、その身勝手さによって餓鬼道に落ちてしまった」と説かれました。

 そして悲しむ木蓮に次の様に教えられました。「そなた1人の力では母は救えない。出家者が行う夏の修業期間が終了する日(7月15日)に大勢の僧に飲食の供養をし、経を読んでもらいなさい。その力によって母は必ず救われる」

 木蓮はこの教え通りに実践し、母は無事に餓鬼の世界から抜け出すことができたと記されています。さらに釈尊は「仏や僧にこのような供養(布施)をすることによって、母のみならず餓鬼道に堕ちた多くの精霊が逆さ吊りの苦しみから救われ、今生きている人々も幸福を得ることができるであろう」と説かれました。

 これがお盆の始まりで、関西地方では主に月遅れ(旧盆)にて8月に行われ、地方、地域によって行事の習慣は異なりますがご先祖の霊をお迎えして供養さしあげることに変わりはありません。自分にいのちを授けてくださったご先祖に感謝し、いのちの有難さを見つめる行事が「お盆」であり、釈尊の説かれた「平等」という言葉を今一度かみしめて頂きたく思います。

 

◇ちょっといい詩

 『一、ご先祖さまのいのちのリレーに「ありがとう」

  二、ご先祖さまのおかげで今生きていることに「ありがとう」

  三、ご先祖さまがみんなを見守っていることに「ありがとう」

  四、ほかのご先祖にも「ありがとう」』

 

 『みえなくてもお花を供えたい

  食べなくても美味を供えたい

  聞こえなくても話をしたい

  見えざるものへの真心は美しい』

 

 『お光は 明るさを

  お香は 正しさを

  お花は 和やかさを

  ローソクも線香も花々もわが身をへらし

  わが身を殺して わたしたちに教えてくれる』

 

 『生きているということは 誰かに借りをつくること

  いきていくということは その借りを返していくこと

  誰かに借りたら誰かに返そう

  誰かにそうして貰ったように

  誰かにそうしてあげよう』     永 六輔

 

今 ここ この瞬間

 『今ここにある かけがえのないこの命

  誰ともかわれない 私のこの命

  果てしなく永い時の流れに 有ること難き今生かされる

  だからこの瞬間を 一途に一途に生きよう

  人はただ一人で 生きては行けない

  多くの人々や 無量の糧をえて

  果てしなく広い光の中で 縁(えにし)につつまれ今生かされる

  だからこの瞬間を 大事に大事に生きよう』

 

仏の四つの無量心

  『〈慈〉楽をあたえ 貪りをなくし

   〈悲〉苦を和らげ 瞋りをしずめ

   〈喜〉ともに喜び ねたみをのぞき

   〈捨〉とらわれの心を捨てさせる』

 

滋賀教区 湖南組 正定寺 佐々木 昭道上人 寄稿