3月11日 | Shogoオフィシャルブログ「Shogo's Diary」Powered by Ameba

3月11日

こんばんは。



3月11日



あれから一年ですね。




なんか、



本当にたくさんの思いが頭の中を巡って何から書いたらいいかわからないので、


今回3月11日に石巻に行って感じた事を書きたいと思います。




10日の仕事を終えてすぐに車で向かいました。
いつも泊まらせて頂いている千葉さんと言う方のお宅に泊まらせて頂きました。
千葉さんの家は川沿いにあり、自宅の二階まで被災してしまったにも関わらず、奥さんと二人でで瓦礫を出し、泥を掃け、畳や部屋の柱も自力で直したと言うスーパーすごい方です。
毎回20人程でお邪魔しているんですが、ご飯を一緒に食べる事を楽しみにしてくださってるみたいです。
そのお宅で前日入りしていた仲間と合流し、次の日の11日、作業は今回は休みにして今まで出会った方々に会いに出発しました。

12月に一度カーシェアリングで回った仮設住宅で出会ったおじさん。その仮設は、石巻の中心部から離れていて、周りに田んぼしかなく、まだ断熱材も行き届いてなくてとても寒く、26戸中、6戸しか入居していないところ。明らかに車がないと生活がままならない場所にありました。
その仮設に、出会った前日に一人で入居してきたおじさんは、車がないのでストーブも買えず、ホッカイロを全身に貼って昨夜はしのいだと言っていました。
そのままおじさんと僕らの車でストーブを買いには行ったけど、それから会いに行けてなくてずっと気がかりでした。

今回行くと12月に行った時とは違って、その仮設にはたくさん人が入居しているようで少し明るくなった印象でした。
おじさんはあいにく留守だったのでもってきたお花と手紙を置いて次へ向かいました。
少し経つとおじさんから、手紙に書いた連絡先に電話がかかってきました。

「あの時ストーブを買いに行けた事を本当に感謝している。
あのことをきっかけに生きる活力が湧いて、仮設に来ていた工事の人に廃材をもらって自分でこたつを作ったり、弟にお金を借りてなんとか車を買ったりした。
今は早く仮設を出るために今日も仕事探しに動いていたんだよ。」


仮設での孤独死が問題視されているこの今に、明るい話が聞けて本当に本当に嬉しかった。

また、仲間をたくさん連れておじさんの長い話を聞きに行こうと心に決めた。


僕らは今まで二つの水産工場の復興に携わらせて頂いた。
その一つである内海さんという方に会いに行った。

今回僕らは、現地の方は一周忌でもあるから、自分たちが「なにかする」と言う事を極力しないように、そっとしておいてあげる事、そして、もし望まれるのであれば寄り添っていようとみんなで決めたので、黙祷の時間は誰もいない所で静かに黙祷しようとしていた。

再開した内海さんの工場に着くと内海さんが待っていたかのようにいつもの温かい笑顔で迎えてくれた。
内海さんと工場を見ながら今までの事を話していたら、「一緒に黙祷をしよう」と言ってくださったので黙祷の時間を待った。
すぐ隣にある港から沖へ続く長い防波堤をみんなで歩いて、先にある展望台に花をそえてそこで黙祷する事になった。
防波堤を歩いていると、雲っていたはずの空が少しずつ明るくなっていき太陽が海を照らし始めた。


14時46分



ウウーと言うがサイレン鳴り響き、黙祷が始まった。
遠くから聞こえるサイレンの音、お寺の鐘の音も鳴り、あとは波の音だけ。

今までの事を振り返りながら手を合わせて祈った。

見た事のない悲惨な状況。
たくさんの方が亡くなり、街がなくなった。
それでも、
前を向いて力強く生きる東北の人たち。
でも、なぜか頭に浮かんでくるその人達の顔はみんな笑顔だった。

そこから頭の中が急に真っ白になり何も考えられなかった。


その後、内海さんと少し話し、また来ますと挨拶し、近くの神社へと向かった。

ここの神社は、8月に清掃しにきた神社で、その時頂いた身代わりお守りは今でも肌身離さず持っている。
以前にも書いたけど、神懸かり的な神社で多くの人を津波から救っている。
ここでもみんなで花をそえて手を合わせた。
頭の中はまた真っ白だった。


その後、水産工場の佐藤さんに会いにいった。
本当に佐藤さんの家族に会うとホッとする。
もう親戚みたいなもんなのかな。
息子さんの就職決定と娘さんが無事卒業できた事を聞いてみんなで胴上げした。
佐藤さんのお母さんと黙祷をどこでしたのかと言う話をした時、お母さんが

「黙祷の時、あの時の事を思い出してすごく恐かったから、みんなと一緒にいたかった。」
と言ってくれた。

そこまでの気持ちでいてくれていることが本当に嬉しかったと同時に、少し考えすぎていた事を悔やんだ。
そう言う時に、佐藤さん一家に寄り添ってあげたいと思っていたから。


佐藤さんが「ちょっと付いてきて」と言ったので、みんなで近所の平地に向かった。
そこには、額に入ったきれいな女性の写真とお線香とお花がそえてあった。
その方は、佐藤さんの近所の方で昔から親交があったのだが、津波の被害にあって亡くなってしまった。
もともとモデルをやっていた方らしく、この人が僕らと結びつけてくれたのだとお母さんは言った。

みんなでお花をそえて手を合わせた。


帰り際、佐藤さんのお母さんは涙を浮かべながら
「本当に感謝している。」
と言ってくれた。

僕らこそたくさんの大切な事を教えてもらい、成長させてもらい、関わった誰もが感謝しているので、僕も
「こちらこそ本当にありがとうございました」
と言っておわかれした。



最後に石巻市の慰霊祭に花をそえにいき、東京に向かった。



今回はすごく特別な回だった。
東京に帰ってきてからも、ふと気が付くとその日の事を考えていた。
そして、黙祷の時や神社で手を合わせて祈った時、なぜ頭の中が真っ白になったのかがすごくひっかかっていて、何度考えても全く答えが出なかった。
”今までの事”を思い出すのかなと想像していたが、それとは違った。

ここ数日間考えていた。
この答えがでないかぎりはボランティアの文を書く気になれなかった。

ずっと考えていた。



そして、
ふとある写真を見て、佐藤さん達の顔が浮かんだ瞬間に、すーっと頭が晴れる感じがした。



生きると言う事はもう前に進むしかない。




黙祷の時、それまで曇っていたのに、その瞬間だけ太陽が出て、海に眩しいぐらいの光が射した。
その光景が
「もう振り返らなくていいんだよ。」
「後ろを向かなくていいんだよ。」と言ってるようだった。

被害にあった方々はもう辛い思いは十分した。
東北の人たちは本当に強く、あの状況でも持ちこたえて前に進んできた。
そんな方々に思い返すような事なんて絶対しちゃいけない。
僕らはそれを明るい場所に引っ張り上げてあげればいい。



そして、今回感じた事はどこに住んでいても一緒。

東京に住んでいても、普通に生きていても不安な事だらけ。
地震や原発問題、世界中で起こる異常な自然現象。

そんな時代に僕らはしっかり生きている。


だからもう、

マイナスな事なんて考える必要なんてない。

マイナスな事なんて考えなくていいし、もしマイナスな所で話し合っていたら、明るい光のあたる場所に引っぱり上げてあげればいい。

仲間がもしそこにいたら、明るい場所にいる仲間が引っ張り上げてあげればいいし、

家族がそこにいたら、力強く引っ張り上げてあげたい。

そして、

みんながその明るい場所で生きる事が出来たら、

それ以上素敵な事なんてないと思う。



だからこれからは、


もっとプラスの事を生んでいこうと思う。






今まで被災地に行った事がない方で、行けるけど足を運べてなかった方。
行くタイミングがあったけど、逃してしまった方。

これを機に一度足を運んで見てはどうですか?
必ずボランティアで。

3月11日に何が起きたのか。
それはテレビや新聞で見ても10分の1も伝わりません。
ちゃんと、その地に立って空気を感じる事がすごく大切です。
そして必ず、ここがどういう場所で、亡くなってしまった方々がたくさんいると言う事をしっかりと心にもって。

電車でも車でも普通に行けます。
石巻市であれば、僕らがいつも作業を振ってもらっているボランティア団体があります。
是非訪ねてみてください。

絆(OPEN JAPAN)
http://ishinomakizuna.net/




継続的に支援すると日本中が言ったあの時からまだ一年。
支援の仕方も変わりはするけど、被災地はまだ終わっていません。

それぞれ自分の出来ることで、支援し続けましょう。


そして、

まだまだパワーが有り余ってる同世代の若いみんな。

みんなの若さや笑顔は必ず何かを生みます。
現地に足を運んで何かを感じてきてください。

いつか復興と言える時まで、

一緒に笑顔を伝染させに行きましょう。





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