日本人としての誇りを取り戻し、味のある筆文字を書く上で欠かせない白川文字学VOL3

でご紹介した

白川先生の最大の功績

の箇所をさら~っと流しすぎてしまったので、
補足したいと思います。


日本人としての誇りを取り戻し、味のある筆文字を書く上で欠かせない白川文字学VOL2

でも、触れましたが

白川先生は、漢字の解明ではなく、東洋の解明に挑みました。


文字の起源は文字の文化とつながり、文字の文化は言語の文化とつながり、言語の文化は観念の文化とつながっているので、今日の理解で文字に見えないようなたった数本の線条でも、その気配を無視できないのです

とある。

難しいことはわからないですが、様々な文化が綿密に絡み合っているので、ひとつの文化しか精通していない場合は、文字の起源を解明することができないということでしょう。


その為、白川先生は

民俗学、文化人類学、社会学、宗教学、神話学、図象学

など、ありとあらゆる分野を研究していったのです。

古代中国研究によると

ほぼ全員が万物には霊魂が宿ると考えていた

といいます。

当時の人は、自然は霊的な世界と捉えていました。
呪術として、超自然現象な力に働きかけるための象徴的行為を行っていました。象徴行為、呪的儀礼を行うことによって、超自然力を動かし、危機を克服しうると信じていました。

その呪的儀礼を文字として形象化したものが漢字なのです。
漢字の背景にはそのような呪的な世界があったのです。

呪的儀礼がどうゆうものかについては、別の機会にします。


印象的だったのは、白川静の世界で

「文字があり、文字は神とともにあり、文字は神であった」

と書かれていたこと。

僕たちは、学生時代、このようなことは一切習わず、ただ文字というか形として、漢字を扱ってきました。

しかし、当初、漢字(感じの前進、甲骨文字、金文)には、このようなバックボーンを持っていたのです。

古代中国だけに限らず、万葉集の頃の日本人も、呪的儀礼を行っていたと白川先生は言います。


先人は、目に見えないものを信じる心をもっていました。


しかし、戦後教育のせいで、

目に見えないものを信じること=怪しい、頭おかしい

と言われてきました。

最近は、パワースポットブームで、目に見えないモノへの理解も深まってきていると思うけど、

先人の目に見えないものを信じる心はもっと純粋

だったような気がしています。

最近のスピリチュアルブームは、婚活だったり、金運アップだったりと、見返りを求めすぎている。エゴ、エゴ、エゴ

僕もエゴにずっとやられてきましたが(苦笑)

当時は、(もちろん超自然的なものを沈めるという意味もあったけど)純粋に、目に見えないものに対して、感謝していたような気がします。そして、先人は、万物に魂が宿ると信じていたのです。

ちょっと話がずれましたが、

漢字ができた古代中国には、このような背景があったということを知ってから、

日本人としての誇りを取り戻し、味のある筆文字を書く上で欠かせない白川文字学VOL3

を改めて、読み直してもらうと、

白川先生の世紀の大発見に価値を感じてもらえるとと思います。




を、口耳の口ではなく、

神とコミュニケーションとるための祝詞を入れるための器

ととらえたことで、他の漢字の原義も、呪的儀礼、祭祀儀礼を意味していたということが、わかったのです。

甲骨文字、金文、漢字は、たった一字で呪的儀礼を表し得ました。


このような背景を持つ漢字を自由自在に操る日本人ってすごいと思いませんか?

僕もまだまだですが、白川文字学を勉強すればするほど、日本人としての誇りが深まってゆく気がします。もちろん、そのエネルギーは書にも反映されてゆくことでしょう♫