5月5日


京都御朱印巡り2日目は早朝の清水寺からスタートです。


北法相宗大本山  音羽山清水寺
ご本尊  千手観音(秘仏)
京都府京都市東山区清水一丁目
拝観料  400円



        仁王門
応仁の乱(1467~1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。清水寺の正門で、幅約10m、奥行き約m、棟高約14mの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗りのため「赤門」とも呼ばれています。西門、三重塔とあわせて、絶好のシャッタースポットです。
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        西門(さいもん)
ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられています。現在、工事中。
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        仁王門        西門        三重塔
美しい丹塗りに映える正面軒下の「清水寺」の額は、平安時代の名書家、藤原行成の筆と伝わっています。また、門の両脇には像高365cm、京都で最大級の仁王像が金剛の大力で清水寺を警護しています。左右両方の狛犬の口が、どちらも「阿形(あぎょう)」=開口した形になっています。明治時代に寄進される折、東大寺南大門にある狛犬をモデルにして造られたことによります。また、お釈迦さまの教えを大声で世に知らしめているともいわれています。
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        馬駐(うまとどめ)
かつて貴族や武士はここに馬を繋いで、徒歩で諸堂を参拝しました。現在の建物は応仁の乱(1467~1477年)後に再建されたもの。正面約10.5m、側面5m強と規模が大きく、同時に五頭の馬を繋ぐことができる全国的に希少な遺構です。平成22年(2010)に解体全面修復されました。
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        善光寺堂
もとは地蔵菩薩を本尊とする「地蔵院」でしたが、いつ頃からか如意輪観音を中尊とし、明治の中頃に、奥の院南庭にあった善光寺如来堂を合併して、善光寺堂となりました。鎌倉時代末期作の秀逸な如意輪観音坐像、善光寺如来堂の本尊だった善光寺型阿弥陀如来三尊像は、本尊の地蔵菩薩立像と並んで安置されています。善光寺堂の右手前にある「首ふり地蔵」は、首が動かせるという珍しいお地蔵様。 自分が恋い想う人の住む方向に首を向けて祈願すると、想いが叶うといわれています。
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        鐘楼
慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころです。鐘楼の柱は四隅に4本が一般的ですが、間に2本追加して、6本で組まれています。これは2.03トンのとても重い梵鐘を吊るために頑丈に造ったため。また、6本の柱はすべて少し内側に傾ける「四方転び」という技法を用いて、しっかりと屋根と梵鐘を支えているのです。平成の新梵鐘は五代目として平成20年(2008)4月20日に、清水寺門前会の寄進によって奉納されました。四代目の梵鐘(重要文化財)は、応仁の乱後、当山を復興した願阿上人(がんあしょうにん)の大勧進活動によって文明10年(1478)に奉納されて以来、なんと530年の間、京都、東山にその音色を響かせてきました。今は静かに宝蔵殿に納められています。
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        三重塔
平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建。現在の塔は古様式に則って昭和62年(1987)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井、柱などには密教仏画や飛天、龍らが極彩色で描かれています。三重塔としては日本最大級の高さ約31mの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました。各層の屋根の四隅にはそれぞれ鬼瓦があり、如来・明王・天の梵字が額飾りについています。しかし、東南角だけは各層とも龍の鬼瓦。もともと京都は火伏せの神が鎮座する愛宕山が西北を守っており、反対側の東南が弱点になるため、水の神である龍神を置いたといわれています。当時の人々がとても火災を恐れていたことが、うかがえます。
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        くわんぜおん    
  景清爪形観音(かげきよつめがたかんのん)
石灯籠の火穴の奥に、平家の武将平景清が自分の爪で彫刻したと伝わる小さな観音像が祀ってあるといわれています。石も黒っぽく、火穴も小さいため暗くて見えませんが、晴天時には、まれに一部が見えるという説もあります。
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        随求堂
塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718)の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。また、堂内には大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)や粟島明神(あわしまみょうじん)など縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。千鳥破風に施された「龍の鏝絵(こてえ)」は傑作として知られています。平成18年(2006)、解体修理によって美しくよみがえりました。随求堂(ずいぐどう)では、お堂の下を大随求菩薩の胎内に見立てた、胎内めぐりが体感できます。(拝観料100円)真っ暗の中を、壁に巡らされた数珠を頼りに進み、この菩薩を象徴する梵字(ハラ)が刻まれた随求石を廻して深く祈り、再び暗闇の中をたどってお堂の上に戻ってくるというもの。
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        経堂
寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していません。堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師、岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。毎年2月15日の涅槃会には、法要のため、堂内に「大涅槃図」が特別に掛けられ、拝観することができます。江戸時代前期から中期に活躍した絵師、 山口雪渓の筆による、縦3.91m、横3.03mの大きな涅槃図です。
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        開山堂(田村堂)
謡曲「田村」に謡われている「田村堂」とは、このお堂のことです。清水寺創建の大本願、坂上田村麻呂公夫妻の像を堂内中央、須弥壇(しゅみだん)上の厨子(ずし)(重要文化財)内にお祀りし、併せて清水寺開基の行叡居士(ぎょうえいこじ)と開山の延鎮上人(えんちんしょうにん)を奉祀しています。三間四方、入母屋造り、檜皮葺。現在の建物は寛永10年(1633)の再建で、平成18年(2006)に修復されたもの。繧繝(うんげん)彩色という手法が施され、丹塗りの柱と屋根をつなぐ組み物は、朱や緑など五色で彩られています。行叡居士坐像、延鎮上人坐像は、特別公開の際に拝観できます。
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        北総門
寛永8~16年(1631~39)に再建された間口4.12mの薬医門。屋根は切妻造り、本瓦葺で、鉄製の飾り金具や鉄帯を取り付けた大きな扉を二枚吊りこんだ重厚な造りです。かつては成就院の正門として使われていました。平成22年(2010)に全面的に解体修復工事が行われました。
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        弁財天
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        朝倉堂
越前の守護大名、朝倉貞景の寄進により、「法華三昧堂」として永正7年(1510)に創建されました。創建当初は朱が鮮やかな舞台造りでしたが、寛永10年(1633)の再建で、全面白木造り、木口のみ胡粉を塗った重厚な雰囲気の建物になりました。堂内には、宝形作り唐様厨子(重要文化財)の内部に、本堂と同様に清水寺型千手観音ら三尊像をお祀りしています。平成25年(2013)に解体全面修復されました。
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清水寺(きよみずでら)は、京都東山の音羽山の中腹に建つ歴史ある寺院です。
創建は平安京遷都よりも古く延鎮上人により778年(宝亀9年)に開山されたと伝えられています。
平安建都間もない798年(延暦17年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝えられています。
現在の建物の多くは、1631年〜1633年(寛永8年〜10年)、徳川家光の寄進によって再建されたものです。
清水寺は始め「北観音寺」と呼ばれていましたが、境内にわき出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化され、一般にも清めの水として「清水」が知られるようになり、後に名称を「清水寺」に改められました。
そんな清水寺の由来となった清水が、現在でも「音羽の滝」の名水として、観光客に親しまれています。
1994年(平成6年)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されました。