3月18日


亀戸天神社を後にして、亀戸駅から総武線で御茶ノ水駅へ
御茶ノ水駅から中央線で新宿へ
新宿駅から徒歩9分のところに花園神社があります。



花園神社
御祭神  倉稲魂命(花園神社)
           日本武尊(大鳥神社)
           受持神(雷電神社)
東京都新宿区新宿
参拝料  志納


        社号標        大鳥居
新宿1、2を争う高さの鉄製大鳥居で、平成8年に建てられました。境内入口を飾る当社の鑑です。
{CF211427-E95D-46FA-A741-D1043F7EFE04}


        表参道
{539720C6-8EC7-4A1A-AD03-21971F1D5D20}


        鳥居        唐獅子        南参道
1821年(文政4年)に名工村田整珉により鋳造された銅の唐獅子は新宿区の有形文化財として登録されています。
{E77C1D0C-7E80-4718-86A7-9D59D8D2BE60}


        手水舎{20A28727-65BA-4629-A5DC-55C2B710B9FC}


        拝殿   
当社は創建以来、幾度も大きな火災に見舞われ、その度に社殿を再建してきました。第二次大戦の戦災後、社殿が老朽化したため、昭和40年6月に鉄筋コンクリート造りの社殿、社務所が完成し、現在に至っています。
{47FF6C65-F66A-47DA-9BBA-C51845D79538}


        社務所
{6A65DE05-84D6-410E-A3D7-B272D4190BD8}


        神楽殿
大晦日から元旦、2月の節分祭追儺式、5月の例大祭、11月の酉の市の際には、この場所でお神楽やお囃子が披露されます。
{F5BFEF02-0EBD-4FA4-A73A-E855E244B4D7}


        宝物殿
宝物を納めておく建物で、本社神輿と雷電神輿の二基と獅子頭が納められています。2年に1回の表祭の晴れ舞台を迎えるため、ここで静かに出番を待っています。
{26DF264F-05B9-4F84-BF3A-D97A31F79194}


        納大明神    
古くなった神札及び神符(他の神社やお寺の物は不可)を納める場所です。
{25C81445-381D-457D-AAFB-53136442EE18}


        雷電稲荷神社
祭神は受持神。1928年(昭和3年)に合祀された雷電稲荷神社の跡地にその後鳥居と祠が再建・維持され、「雷電稲荷神社」として存続。境内には弁才天も祀られている。
{2F8FE3E8-CCC7-46B2-A91C-EE38EEC1540E}


        威徳稲荷神社   
昭和3年4月頃に建てられたと伝えられ、女性の参拝者に人気の高い神社です。奉納された赤い鳥居が並び、異界へのトンネルに足を踏み入れたような不思議な感覚にとらわれます。
{C687AD04-A1AE-4F73-9E8B-9A6F7D4FD2BC}

{A8AC5471-B2A0-4632-99A4-C89BE95622FA}


        芸能浅間神社
御祭神は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)。江戸の昔から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことで有名です。宇多田ヒカルの母親として知られる藤圭子の歌碑も、このお社の隣に建っています。
{FB23C6D7-DC37-465A-9BD6-A09D961BC259}

{72DD9AE3-1894-4C36-9D2E-FAFC1C76F57C}


        御朱印
{AD646C7B-545B-49AB-9E53-0A8C0E63A4D3}



花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603年)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。
徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。
1648年(慶安元年)尾張公の別邸内に稲荷神社として創建され、稲荷神社が尾張家の管理を離れ、当地にあった三光院が別当寺を務めていたことから三光院稲荷と呼ばれていたとも、尾張家の邸内が花園につつまれていたことから花園稲荷と呼ばれていたとも伝えられます。
明治時代の神仏分離で三光院と分離、稲荷神社として村社に列格、大正5年に花園稲荷神社と改号しました。
昭和3年には雷電稲荷神社を合祀、郷社に列格しました。
さらに昭和40年には境内社の大鳥神社を合祀、花園神社と改号しました。
花園神社の酉の市は台東区の鷲神社、府中の大國魂神社と共に関東三大酉の市のひとつとされ毎年多くの人で賑わっています。
酉の市とは日本武尊を祀る鷲神社・大鳥大社を中心に行われる祭事の事で、武蔵野国南足立郡花又村(現足立区花畑町)の大鷲神社が発祥とされ、日本武尊が東征の際に戦勝祈願を行い、勝利後お礼参りをしたのが起源といい、日本武尊の命日とされる11月の酉の日に行われています。
商売繁盛にご利益のあるという縁起物の熊手が売られ、今時珍しい見世物小屋が立つことでも知られています。