2月19日


瀧山寺から車で14分のところに大樹寺があります。


浄土宗成道山 松安院 大樹寺
(じょうどうさんしょうあんいん
                                        だいじゅじ)
ご本尊  一光千体阿弥陀如来
           如意輪観世音菩薩
愛知県岡崎市鴨田町広元
参拝料  志納    宝物殿 拝観料  400円



        山門(県指定文化財)
三代将軍徳川家光公建立(1641年)『釈迦三尊十六羅漢』が安置されています。
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        境内側より
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境内側から山門を振り返った先には小学校があり、その先には総門があり、岡崎城を見る事ができます。これは「ビスタライン」と呼ばれている展望で大樹寺から岡崎城を眺望する直線状のラインには、その眺望を妨げる一切の高層建築物を建てる事ができません。

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        人形供養塔
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        鐘楼(県指定文化財)
三代将軍徳川家光公建立(1641年)
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        手水舎
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        本堂
本堂は1855年(安政2年)の火災により焼失しましたが、1857年(安政4年)十三代将軍徳川家定公により再建されました。
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        本堂内陣

ご本尊は阿弥陀如来像、「厭離穢土欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)は、大樹寺徳川家康公に関する有名な言葉です。

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        宝物殿
松平八代、徳川歴代将軍の等身大のお位牌が安置されています。
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        御朱印
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大樹寺は、松平家(徳川将軍家の祖)、徳川将軍家の菩提寺です。
1475年(文明7年)、松平四代の親忠が寺を建て、大樹寺と名づけました。
大樹寺は歴史的にもたいへん大きな役割を果たしています。 
桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたとき、今川軍についていた松平元康(徳川家康)が、大高城から逃げ帰り、先祖の墓の前で自害を図ろうとするのを思いとどめさせたたのが、この寺の十三代住職、登誉上人でした。
戦国時代の乱世を住みよい浄土にするのが、家康公の役目と、登誉上人に諭され、その後、家康公は生涯に渡り「厭離穢土欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)」を座右の名とされたそうです。
徳川家康が残した遺言です。
「予の遺体は久能山へ埋蔵せよ」
「位牌は三河の大樹寺へ安置せよ」
後幕臣たちは遺言に従い、家康の位牌を大樹寺に収めました。
境内には松平八代の墓、宝物殿には歴代将軍の等身大の位牌、家康73歳のときの木像などが祭られています。