<ある青年にあてた手紙> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<ある青年にあてた手紙>

[とある青年から、以下のごときお手紙をいただいた。

「生命と言うのは分子生物学のように原理的には化学の言葉で説明できるし、化学というのは物理の言葉で説明できる。だから究極的には生きている意味なんてない」と。

果たして、そういいきってしまうことができるのだろうか。

本文は、彼に対する返事である]

貴兄のような考え方をなさる英才は少なくないと存じます。
そして、そういう考え方が間違っているとしても、今のところ、科学的にそれを立証するのは困難です。
しかしながら、やはり、そうした生命観、人間観に対して私は懐疑的です。

「利己的な遺伝子」は存じていますが、こうした視点には、決定的な欠陥があります。
それは、生命に物理化学現象を引き起こしている根本原因についてまで、科学が解き明かしたわけではないということです。
例えば人の意識。
これは唯物論者によれば、貴兄と同じように、脳内の物理化学現象の結果であると断定されます。ところが、この視点についていえば、何ら証明はなされていません。
証明されていない以上、これを支持するのは信仰であって、科学的、客観的視点ではありません。
同じように、医学は、未だ生命の根本原因を解き明かしていません。
人の生死を分かつ根本原因については何もわかっていないのです。
わかっていないことを、さもわかったように結論づけることで成り立っているのが、唯物論です。
これは貴兄の還元主義にもいえることでしょう。

もし、生命が、観測可能な物理生化学上の諸現象を超えた原因によって営まれているとすれば、そこから全く別の視点が開けるのではないでしょうか。
それらは、唯物論の対極にあって、唯心論や観念論などと呼ばれていますが、こうした観点に立つと、人の本質がエゴなのではなく、生命の本質がエゴなだけであって、人の本質は、このエゴに打ち勝って愛を顕現すべき存在であるという結論に達することができます。

興味を持っていただくことができるのであれば、当方ブログ、5月の書き込みをご高覧いただければ幸いです。
拙著「眠れぬ夜に思うこと」とその続編がその内容です。
聡明な貴兄には必ずご理解していただけると期待しますし、同意が得られないまでも、これまでにない視点をご提案できるかと存じます。