ミュンヘンの悲劇 | My Fever Life(治療不可能なフットボール馬鹿の日記)

ミュンヘンの悲劇

53年前の今日、サッカー界にとってとても悲しい出来事が起きました。それはマンチェスターユナイテッドの選手を乗せた飛行機がチャンピオンズカップの準々決勝でレッドスターベオグラードとベオグラードで対戦してイングランドで帰る途中に給油の為に経由したミュンヘンのリーム空港で事故に遭いロジャー・バーン、マーク・ジョーンズ、ダンカン・エドワーズ、エディー・コールマン、トミー・テイラー、リアム・ウェラン、デイビット・ペッグ、ジェフ・ベントの8人の選手と3名のクラブ関係者を含む23名の乗客が亡くなり2人の選手が再起不能になった飛行機事故です。
オレンジの日記帳-story_3_1.jpg

特に死を悼まれたのは事故の15日後に21歳の若さで亡くなったサイドハーフのダンカン・エドワーズ。彼は16歳でユナイテッドと契約をして翌年の4月に16歳と6ヶ月でデビューを果たし18歳でイングランド代表に召集されて将来を期待されていましたがこの事故で亡くなってしまいました。生きていたら代表100試合出場は達成しただろうと言われ58年のワールドカップ出場はもちろんの事、66年の自国開催のワールドカップでエリザベス女王からジュール・リメ杯を受け取るのはボビー・ムーアではなく彼だったのかもしれません。またボビー・チャールトンは「私が唯一劣等感を抱かされたプレイヤー」と賞しています。
オレンジの日記帳-1198168877_Duncanedwards.jpg

また監督のマット・バスビーは危篤状態に陥ったものの生還し、事故に遭ったボビー・チャールトンを中心にチームを見事に再建し、そしてデニス・ローやジョージ・ベストらを擁し事故から10年後にウェンブリーでイングランドでベンフィカを降して初めてチャンピオンズカップを制します。(英国で初めて制したのはセルティック)
この優勝は事故で亡くなった選手達と共に掴んだものだと思います。

現在オールドトラッフォードには事故の起きた1958年2月6日午前3時4分で止まっている時計と記念碑がありこの痛ましい事故を忘れないようにしています。

この事故を知らなかった方もこのような事故があったという事を知っていただければ幸いです。
オレンジの日記帳-91344954.jpg