806.311以降の私たち。 | しづりん絵日記

しづりん絵日記

もがけばもがくほど深みにはまる。世の中を斜に構えつつ、平和に生きよう。

意外な人がブログを読んでくれている事を知る。
嬉しいなぁ。

本当は、コメント欄でも作って
反応を知りたいところなんだけど、
知らない人からいろいろ、書かれたら怖いなぁと
ビビりな私は、そういうのを作れない。

だけど、読んでくれてるのはやっぱり嬉しい。
なので、今日は読んでくれてると言ってくれた人に
向けて書く事にします。うん。

震災後、放射能を避けてどーんと、
パタゴニアまで行っちゃった友達が居る。
(ちなみにアウトドア屋さんではなく
 ホンモノの南米の地域のことです)

そこへ片道5日間かけて遊びに行った友達が居て、
その人からしづりんのブログ読んでるって聞いたので、
今日はその人に向けて書いてみるね。

放射能がどばっって散ったとき、
血の気が引くような感じがした。
テレビの中の出来事が、
夢を見てるみたいな感じだった。

美しい緑の木漏れ日を見ても
「ああ、この美しい世界に、放射能が降っちゃったんだ」って
絶望的な気分になった。

福島の相馬の馬追いにも
奥日光のキャンプ場にも
いつか行きたいと思っていたけど
もう行けないんだなぁってその時は思って
心底悲しい気持ちになった。

戦争は、遠く、おばあちゃんの時代で
自分の時代に起こるなんて
夢にも思った事無かった。

だけど、
原発に関する政府からの情報が
ほとんど嘘だと知ったとき
それがまるで別世界の事では無い事を知り
本当に怖くなった。

放射能のことを知れば知るほど
外に出る気がしなかった。
原発事故から1ヶ月半くらい
週末は殆ど外に出なかった。

放射能被害に関する、
たとえばチェルノブイリでの
子供達への影響なんかを
調べてなんて恐ろしい事だと思った。

テレビだけを見て政府を信じて
放射能の恐ろしさを知らずに
平気で暮らしている人が可哀想だった。
だから、知らせる事にした。

だけど、途中から
「知ってるけれど、信じない。
 だって見えないし」
ってスタンスで生きてる人がいる事を知る。

日本の中はその後
「放射能にビビってる人」か
「放射能にビビらない人」みたいな
分け方になってしまった。

だから放射能について話さないのが礼儀
みたいな感じになった。
身近な人々の間ですらそうだ。

身近な人が
「福島のキャベツ畑の人が自殺しちゃったんだから!
 福島のものを食べなきゃ可哀想だ」
なんて言うひともいて
(それは私たちの親戚でも友人でもないのだけど)
それはそれは、悲しい気分になった。

福島のキャベツ畑の方は
本当に気の毒だと思うけれど。
だからといって
福島の野菜を食べることは
私にはできなかった。

だけど、
いろいろ調べるうちに
低線量被爆にさらされた人の
その後の健康調査をした結果、
何の差異もなかったという
資料も発見した。

うちの父は、ガイガーカウンターを
数年前から自宅に設置して、
それをWEBで公開していたので
震災後に一躍有名になったのだけど。
震災の2ヶ月後くらいに実家に帰った時に
その父が、昔からずっととっていた
福島の牛乳を相変わらずぐびぐび飲んでいるのを
知ったとき、なんだか吹っ切れた。

まぁ、いいか。
生かされるか
そうでないかは
神のみぞ知る。

そう思った。

それでようやく平気で外に
出る事ができるようになった。

何が正解かは判らない。

だから、自分の信念にそって
生きるしかないと思う。
情報をかき集めた上で、
自分で判断する。

その知り得た情報を、惜しみなく伝えて
相手を論破するんじゃなくて
その上で、どういうスタンスを取るのかは
個人の自由なのだから。

だから、放射能に敏感になっている人にも
放射能なんか怖くないって言ってる人にも
どうのこうの言うのは違うような気がする。
結果がどうなるかなんて、誰にも判らないんだもの。

直感に従って生きる。

311以降の私たちにできること。