「 あきらめ 」という不自由さ
いつでもはずれますよ
あきらめない。
これでいいや~、
自分なんて、こんなもんやと
あきらめない。
どうせ、だって、、とごまかし
あきらめない。
では、あきらめないと
執着との違いは、なんでしょう?
私見ながら
「 あきらめない 」は
実は、とても自由度があります。
なので心地よい
軌道修正ができます。
手放すことをいとわないです。
受け入れていくことができます。
不安や恐れを越えてゆきます。
自分や自分以外の存在、環境がもつ
可能性を信じて行動できます。
困難さを、どこかで楽しめたり
喜びへ転換してたりします。
常に、ちょうどいい感じ、状態を
探求し創造し続けたくなります。
執着は、これの逆!と捉えてみると
とても不自由に感じます。
もし、何かにむかっている時に
居心地が悪いと感じるなら
修正してみるタイミングなのでは
ないでしょうか。
自分の人生と
大切にしたい誰かの喜びへつながることを
創造できるなら
「 あきらめない 」
泣いてもいいし
もがきながらでもいいし
傷だらけでも
めっちゃカッコ悪くても
あいつバカだろ~。
そうやって言われても
がんじがらめの
その鎖
外してしまえば
そんなことなど氣にならなくなります
ひとつ、ひとつ
外していけばいいのです