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Web東奥 3月6日(日)11時25分配信


「20年前に青森県むつ市のむつ総合病院に市民から贈られた患者輸送用の救急車が、今月で引退することになった。名称は「美輪号」。病気で娘を若くして失った川島弘子さん(80)が1996年、娘の遺志を受けて「患者さんを救うために使ってほしい」との思いで贈った車両だ。美輪号に最後のねぎらいと別れの言葉を告げるため病院を訪れた川島さんは「多くの人たちの役に立ったのならうれしい」と、長年走り続けた車両を前に感慨深げ。病院関係者から感謝の言葉を贈られ、亡き娘に思いをはせた。

 美輪号は64年生まれの次女・故美輪子さんの名前にちなむ。中高時代に卓球部で活躍した美輪子さんは、地元の信用組合で10年間勤務。その後、保険外交員として仕事をしていたが、95年10月に31歳で帰らぬ人となった。病名はスキルス胃がん。体調不良から診察を受け、わずか3週間での急逝だった。

 「親が言うのも何ですが、人に優しく好かれる子だった」と川島さん。まな娘を失い憔悴(しょうすい)していた気持ちを突き動かしたのは、入院中の美輪子さんの一言だった。むつ総合病院から弘前市の弘前大学付属病院に転院する際に、古い救急車で移動した。「長距離の移動が揺れてつらかった。ママ、新しい救急車を寄付したら」-。美輪子さんの生命保険金から救急車の購入費用450万円を賄い、96年2月に寄贈した。

 むつ総合病院によると、患者の病院間の転院搬送に使われる美輪号が20年間に出動した回数は千回以上。走行距離は約20万キロにも及ぶ。容体が落ち着いた人を地元の病院に運んだり、高度な医療を必要とする人を別の病院に送るなど、昼夜を問わず走り続けてきた。川島さんも、街中を急ぐ美輪号を目にしたことがあるという。

 川島さんは2月下旬、美輪号の見納めで、むつ総合病院を訪ねた。寄贈からちょうど20年。自身も80歳となり、「少しずつ心の整理をしていかないと、と思って。美輪号に最後にお別れをしよう」との思いだった。

 近年は、最新型の救急車やドクターヘリが登場し、美輪号の出番は減りつつある。さらに老朽化や車検切れが迫っている状況も踏まえ、今月に役目を終える。同病院の飛内導明事務局長は「20年にもわたって美輪号を活用させていただき、川島さん、美輪子さんにも感謝を申し上げたい」と語る。

 「こんなにも長い距離を美輪号が走っていたなんて知らなかった」と川島さん。「一人でも多くの皆さんの役に立てて、娘も喜んでいるでしょう」と感極まった様子だった。


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