献湯祭 ( 湯の町南紀白浜 ・ 有間皇子記念神事式典 )2023 | 南紀白浜で暮らす

南紀白浜で暮らす

長年住み慣れた大阪から石垣島に移住。その後、2011年に南紀白浜に移住しました。
南紀白浜を中心とした素晴らしい景色や行事、アドベンチャーワールドのパンダなどの動物達のこと。
そして日々の生活、好きな旅行や海の中のことなどについてもご紹介したいと思います。

今日は南紀白浜にとって大切な、温泉に感謝する献湯祭の日。

 

しかし、台風2号の影響を受け、このところ天気はスッキリしません。

 

今日は、途中少しパラっと来ましたが濡れるほどの雨は降らず、幸いでした。

 

 

毎年、この行事が行われる場合は、有間皇子に関係する場所を訪れ、お参りをしたり、公衆浴場や源泉を幾つか回っています。

 

今日も回りましたので、その様子をご紹介したいと思います。

 

 

有間皇子のことについてご説明したいのですが、新たな発見がないので前年のコピーです。

 

有間皇子は、657年に牟婁の湯を訪れて大そう気に入り、牟婁の湯をはじめ、南紀白浜温泉を世に知らしめた人物です。

 

南紀白浜が温泉地として存在するのは、正に有間皇子のお陰。絶対に忘れてはいけない人物です。

 

 

歴史的なことですが、

有間皇子が牟婁の湯を訪れた翌年、有間皇子の勧めで、斉明天皇と中大兄皇子が白浜温泉を訪れたそうです。

 

ところが有間皇子は、中大兄皇子のわなにはまってしまい、謀反の罪で、天皇の滞在する行宮 ( 白浜 ) で、中大兄皇子の厳しい尋問を受け、最後は、現在の海南市にある藤白坂で捕らえられて絞首刑にされ、19歳の若さで命を落としたそうです。

 

 

有間皇子が処刑された場所については、有間皇子が白浜の行幸芝で厳しい尋問を受け、翌る日、都に帰る途中の藤代坂 ( 海南市 ) で捕らえられて絞首刑となったとのことですが、当時、1日で白浜から海南市まては速足で歩くわけではないので、歩いて行けないのではないかなど、色々と疑問があるそうです。

 

 

公衆浴場 「 崎の湯 」 に行く手前に、「 御幸芝 此丘上 」 の石碑があります。

 

 

 

行幸芝は、

飛鳥時代に斉明天皇が湯治のため滞在された、「 行宮跡 」 があった所です。

 

また、有間皇子が、中大兄皇子の罠にはまって謀反の罪で中大兄皇子の厳しい尋問を受けた場所でもあります。

 

後ろの建物は、KEY SHIRAHAMA TERRACE ( ホテルシーモア ) です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御幸芝からの眺めです。

白良浜や権現崎などもみ見えています。

 

 

 

次に、 「 ジノッサン 」 ( 地主さん )について。

 

白浜の湯崎地区に、処刑された有間皇子の死を悼む白浜の人々によって密かに持ち帰った首を埋葬し、御幸の芝の高台に、祠をつくって冥福を祈ったという、地元湯崎の人々に  「 ジノッサン 」 ( 地主さん ) と呼ばれて祀られている祠があります。

 

 

現在の 「 ジノッサン 」 の祠の位置は移転されていますが、移転する際のこのことを撮した写真や文章で記録したものはないものの、供述として、祠の下には石が並べられていて、当時の皇族の墓の特徴が伺えたとのことでした。

 

 

そうしたことからも、有間皇子の死を悼む白浜の人々によって、密かに首を埋葬し、御幸の芝の高台に、祠をつくって冥福を祈った。というのは、真実味があるような気がします。

 

 

写真は、 会員制リゾートクラブ 「 ザ グラン リゾートエレガンテ白浜 」 の裏側の通用門の直ぐ横にある、  「 ジノッサン 」 ( 地主さん ) と呼ばれている祠です。

 

 

 

 

 

 

中の石に書かれていた文字などが、移住した頃は微かに分かったのですが、現在は風化して分からなくなっていました。

 

 

 

 

 

 

これらのことについての詳しいことについては、以前、このブログでご紹介しています。

 

    →  こちら です。

 

 

ジノッサンは、現在は観光客は勿論、地元の方でも知らない方が殆どですので、お参りされる方は殆どないのではないかと思います。

 

 

では、温泉についてです。

 

今回は、コロナの関係だと思いますが、公衆浴場の無料開放はありませんでした。

 

 

崎の湯です。

この温泉の源泉は、行幸 ( みゆき ) です。

洗い場がありませんが、海と接していて、とても開放感があり人気の温泉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて牟婁の湯。

ここの源泉は、行幸と、鉱湯 ( まぶゆ ) の二つの源泉を楽しむことができます。

温泉から海は見えませんが、温泉好きの方にお勧めです。

 

 

 

 

 

 

牟婁の湯は、コロナの関係で、現在、午前7時から同11時までは、白浜町民だけしか入ることが出来ません。

 

午後4時から同9時30分までは、そうした制限はありません。

 

 

 

現在は、建物も温泉もありませんが、仙気湯と元湯のあった場所を示す石碑です。

 

湯崎の 「 きくや旅館 」 に行く途中にあります。

 

 

 

同じく浜の湯の後です。

フィッシャーマンズワーフ白浜の前にあります。

 

 

 

 

 

 

これらの温泉については、後日、昔存在していた頃の写真をご紹介するつもりです。

 

 

白良湯です。

源泉は、生絹 ( すずし ) 湯です。
白良浜は目の前で、温泉から海も見え、ロケーションの良い温泉です。
勿論泉質も良いのですが、温泉に入りながら景色も楽しみたい方にお勧めです。
 
 
 
白良湯は、コロナの関係で、現在、白浜町民だけしか入ることが出来ません。
 
 
 
松の湯です。
御幸足湯の前にあります。
 
 
 
特に制限はありません。
 
 
 
続いて源泉です。
 

行幸源泉です。

 

 

 

鉱湯 ( まぶゆ ) 源泉です。

 

 

 

つくもと足湯です。

 

 

 

御船足湯です。

足湯に浸かりながら南紀白浜のシンボル円月島が眺められます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公衆浴場ではなくホテルですが、大正11年に、白浜で初めて内湯旅館となった白浜館です。

 

 

 

 

 

次に、有間皇子記念式典の模様です。

 

有間皇子記念式典は、 有間皇子之碑前で午前9時15分頃から行われました。

 

初めに、催事の藤田正夫実行委員長 ( 南紀白浜観光協会会長 ) の挨拶と、有間皇子に関する説明や挨拶がありました。

 

 

 

藤田会長は、歴史的な事にも詳しいですね。

 

 

 

巫女さんです。

 

 

 

式典を見ているのは、「 一番湯奉納行列 」 に参加する奈良王朝時代衣装を着た方々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井澗 ( いたに ) 誠 白浜町長の玉串奉尊です。

 

 

 

正木 白浜町議会議長の玉串奉尊です。

 

 

 

 

 

 

式典は、約30分で終わりました。

 

 

 

 

この後、「 一番湯奉納行列 」 が行われましたが、後にご紹介したいと思います。

 

 

献湯祭 ( 一番湯奉納行列 )  2023 に続きます。