祖父の前で露出

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 まだ祖父が元気だった頃、私は祖父の前でミニスカートをつけることなどできませんでした。思えば、いい年齢になった私を祖父が叱るわけなどありませんでした。それでも、おかしなもので、自分の女を祖父の前に晒すことに私は抵抗があったのです。
 はじめて祖父の介護に来たときにも、私は、パンツばかりをカバンに詰めて来ました。スカートをつけることにさえ抵抗があったからです。
 その反面で私は全裸で街を歩いたりしていたのですから不思議なものです。
 あれはまだ夏の暑さの残る頃でした。私は露出用にしか使用しないようなミニスカートを祖父の家でつけました。一見ホットパンツにも見えるのですが、少し屈めば中が丸見えになるスカートです。
 祖父がそのことで小言を言っても、私は暑いし家の中だけだから、と言い訳けするつもりでした。ところが、祖父は何も言いません。言わないどころか、私が祖父にお尻をむけたまま前屈みになると、じっと私のほうを見ているのです。その視線が私には分かるのでした。
 そうした年齢になった男の人がどれほどエッチなのかは分かりません。もしかしたら、ただ、人恋しさで赤ちゃんがそうするように私を追っているだけかもしれません。それでもいいのです。
 ただ、ジーンズなどのときには、祖父はそう私を追いません。やはり私の下半身が、スカートの中が気になっているのかもしれないのです。私はそう想像するだけで楽しいのです。
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祖父との思い出

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 私は子どもの頃、よく祖父の家にあずけられました。その当時は伯母、つまり父の末の妹が祖父母と同居していました。今は結婚して私と同じ東京で暮らしています。とても優しい伯母さんで、私は大好きでした。ですから、祖父の家にあずけられることは嫌ではありませんでした。
 ただ、まだ学生だった伯母は、勉強が忙しいらしくて、あまり家にはいませんでした。ですから私はたいはんを祖父母と過ごしました。祖父母は私を可愛いとは思っていたようです。しかし、不器用な人でしたから、どう接していいかは分からなかったようなのです。
 ですから、私の相手は勉強でしていました。勉強を教えることでしか孫と会話ができなかったのかもしれません。厳しく怖い印象ばかりがありました。
 とくに祖父は私を常に、別の誰れかと比較して叱りました。
「お前は誰誰と比べて勉強ができない」とか「お前は孫の中でもトロイほうだ」と、そんなことばかり言われました。とくにショックだったのは「お前はとりわけ美人でもないし、勉強ができるほうでもないし、運動だってできないんだから、親のいうことぐらいきちんと聞ける子にならなければ誰れにも可愛がられない」と、言われたことでした。
 私は特別でない、と、そればかり思いました。みんなは特別な子どもだから可愛がられるけど、私は特別な子どもではないから、みんなのように甘えてはいけない、そう思ったのです。
 実際、祖父も祖母も私の前で、他の人の話しばかりをしました。そして、その頃、子どもたちの中でも、私はどうでもいいような存在だと気づいたのです。私だけ注目されてない、と思いました。
 あるとき、私が男の子たちにオシッコしている姿を見せるまで。
 そして、今、祖父は私を特別な目で見ています。もしかしたら、私の裸にも注目しているかもしれないのです。そう思うと私は興奮してしまうのです。祖父に性的な何かを感じているのではありません。祖父とセックスしたいなどという気持ちは少しもないのです。ただ、あの厳しい祖父が私の裸を見たいと思っているのかと思うと、それが嬉しいのです。

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祖父に対する露出

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 最初にその異変に気づいたのは、もう、祖父がベッドから起きて自分でトイレに行けるようになってからのことでした。もっとも、それ以前には、祖父は病院で看護されていたわけですから、家にもどって間もなくのことだったと思います。
 私は祖父が寝ついた後、しばらく休憩して、それからお風呂を使っていました。
 お風呂は祖父の寝る茶の間に面した廊下の反対側にあります。元気だった頃には二階に寝ていたのですが、退院してからは応接間にベッドを入れ、そこで寝るようになりました。
 廊下を隔てた浴室のドアはガラスですが、そこは洗面もかねているので、着替えは、さらにその奥でできるようになっていました。最初こそ、私は奥で着替えていたのですが、まだ、夏の暑い頃でしたから、広い洗面まで出て来て身体を拭くようになりました。もちろん、ガラス扉といっても曇りガラスですから、そう気になるものではありませんでした。それに、祖父と私以外には、家には誰れもいないのですから、あまり気にする必要もないと思ったのです。
 ところが、パジャマに着替えて洗面を出ると、私は祖父の寝る応接間の襖戸が開いているのに気づいたのです。ただ、祖父は夜中にトイレに立つと、よく、戸を開けたままにしていたようですから、それほど気にはしませんでした。
「おじいちゃん、起きてるの」
 と、静かに声をかけ、返事のないのを確認するや、そっと戸を閉めました。
 ところが、あるとき、応接間の前で持っていたタオルを落としたときに、その戸が閉まっていたのを何という気はなしに確認してしまったのです。それなのに、その日も私がお風呂から出ると戸が少し開いているのです。暗い部屋の中は見えませんが、祖父がこちらを見ているような気がしました。曇りガラス越しに見える孫の裸を祖父は見ているのかもしれないと思うと、私は、性的に興奮してしまいました。
 もちろん、戸はいつも開いているというわけではありません。私の入浴中に偶然に祖父がトイレに立ったことも考えられます。
 それでも、私の妄想は勝手にふくらみました。私はうっかりパジャマの下を忘れたふりをしました。誰れも見ていなければ忘れたふりなどする必要などないわけですが、それでも、一人でそうした演技をしてしまうのが私の癖なのです。
 上にパジャマを羽織ると、下は微妙に隠れてしまいました。私はパンツも穿かずに洗面を出ました。あわてているような、恥ずかしがっているようなふりをしました。祖父の部屋の戸は開いていました。洗面の明かりで、こちらの様子はハッキリと見てとれるはずです。
 私は過剰にパジャマを下に引っ張り、腰を引いてそこが見えないようにするふりをしました。
「おじいちゃん、起きてるの」
 いつも以上に小さな声で言いました。返事はありません。暗やみの中、祖父がそこに横たわるのは見えるのですが、その顔がこちらを見ているかどうかまでは分かりませんでした。私はそっと襖戸を閉めました。
 その戸は昼間も何度となく閉めるのですが、それでも、開いていることが多いのです。偶然なのかもしれません。偶然でもいい、もっと、祖父が私を気にしてくれればいい、私はそんなことを思いました。
 性的にも興奮はしていました。実の祖父が自分の裸に興味を持ってくれることが私には刺激だったのです。そのタブーは私を普通の露出以上に興奮させていたのだと思います。
 でも、それ以上に、私は私が祖父にとっての特別な存在となるのが嬉しかったような気がするのです。不思議な満足感です。たぶん、それは私と祖父との幼い頃の思い出から起こったものだと思います。
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祖父の真上でのオナニー

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 祖父はたいていのことは一人でできます。できないのは、買い物とか食事の支度とか掃除などです。さすがに階段の上り下りもできません。ですから、二階の部屋にいる間は私は自由になります。はじめはノートパソコンを購入することも考えたのですが、休職中の上に、いつまで、この状態が続くのかも分からず、それは止めました。
 そもそも、そうした体力も最初の頃にはありませんでした。
 私は祖父の寝る一階のベッドのちょうど真上に布団を敷きました。別に祖父に何かがあったらすぐに気づけるようにという配慮ではありません。もっと別の意味があったのです。
 私は全裸になり、自分の真下に祖父が寝ていることを想像しながら横になりました。そして、足を広げたりしました。オナニーもしました。あの堅物だった祖父が、自分の真上で孫にアソコを見せつけられ、そしてオナニーまでされているのかと思うと、私は妙に興奮しました。
 ただ、そんなことも最初は疲れていて、ただの就眠儀礼のようになってしまっていました。
 祖父は今でも女の裸に興味がるのか、孫の私の裸を見たいと思ったことがあるのか、そもそも、あの厳格な祖父は性に興味があったのかどうか。私はそんなことを考えるようになりました。そして、確かめてみたくなってしまったのです。

祖父に対する露出

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「お前が一番賢かった」それが祖父の口癖です。おそらく誰れにでも言うのでしょう。私が子どもの頃には厳しい人でした。教育関係の仕事をしていたからだったのでしょうか、孫にまで厳しかったのです。私は「孫に甘い」祖父母というものを知りません。
 ところが、一年近く前、祖父は自宅で倒れたのにもかかわらず、医者に行こうとせず、すいぶんと痛みに耐えたあげくに、病状を悪化させ、ほとんど動けなくなりました。最近はかなり回復しています。散歩ぐらいは一人でできるようになりました。
 最初の頃は看護されていたのですが、しかし、意識のはっきりしている祖父は、他人の看護を歓迎していませんでした。
 そのため家族が交代でめんどうを見て、足りないところを介護師の方が補うことになりました。
 孫では、私と、私とより三つ上の従姉妹と、別の孫のお嫁さんが交代でめんどうみることになりました。祖母が他界してからも祖父は家を出ることをせず、また、誰れも家に入れることをしませんでした。
 最初は長いことにならにと皆が思っていました。
 ところが祖父の介護は長引きました。その上、介護疲労の問題も出てきました。私は、最初の内こそ戸惑いましたし、今も、身体は辛いのですが、精神的には慣れてきました。
 幸い、祖父は杖を使えば歩行ができ、トイレには行けるようになりましたから、そこは楽になりました。また、祖母も長く患いましたから、家がバリアフリーに改築されていたので、それも楽でした。それでも、最初の半年は何もできない、何も考えられませんでした。しかし、最近は少し余裕があります。
 そこで、私は祖父を相手に露出を楽しむようになりました。あの、厳格な祖父だと思うと、私の興奮はより大きくなりました。そして、私は祖父を相手に露出しながら、どうして自分が露出に目覚めていったのかを知るようになってきました。
 こんな露出の話しは、あまり面白くないと思います。その上、慣れてきたとはいえ、まだまだたいへんで、アップもマチマチになると思います。それでも、これから、数回に分けて、私と祖父の話しを書いてみます。

全裸で歩道橋の上に

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 歩道橋の前に着きました。信号は遠く、深夜だというのに車の通りが激しいので、路上の横断は不可能です。ただ、それでも、歩道橋など渡る人はなく、離れた信号を利用するに決まっています。
 誰れにも出会うはずがない、そう思って私は服を着たままで、歩道橋の上まで行きました。歩道橋の上から路上を見ると、遮るものはほとんどありませんから、下の車がよく見えます。
 もし、注意深く見れば、そこに全裸の女がいることは、下からだって分かるはずです。ただ、私も車を運転するから分かるのですが、歩道橋の上にまで注意を払って運転している人はいないはずです。助手席の人には見られるかもしれません。でも、発見しても、それが全裸の女だと分かるには時間がかかるはずです。たぶん、誰れにも気づかれることなく向こう側に渡れるはずです。
 反対の階段をおりると、そこには公園があります。トイレとベンチだけの小さな公園です。ただ、その公園は汚いし臭いので、そこに服を隠しておく気分にはなれませんでした。
 身を隠すところもありません。
 私はもとの側にもどり、しばらく車道を眺めていました。フロントホックのワンピースだけで、中は全裸です。ボタンもたった三つだけです。それが最低のボタンで、あとははずしてあります。
 この三つをはずして、紙袋に入れ、植え込みそれを置くだけです。通りを行く人はありますが、歩道橋の上にいれば、遠くの人まで見えます。人がいないのを確認した上で、安全に降りて来ることはできるはずです。
 左右を見て、誰れもいないのを確かめて私は全裸になりました。服を無造作に紙袋に入れると、あわてて歩道橋にもどりました。見られていません。歩道橋の階段のところでは、まだ、安心できません。そこでは歩道からまる見えだからです。階段をのぼらなければなりません。
 上に誰れかいるかもしれない、そんな気配がする、そう感じました。それでも、私は歩道橋の上に行かなければなりませんでした。歩道に人が見えたからです。
 身体を小さくたたんで、階段をのぼりました。そんなことしても、全裸なのは分かってしまいます。それでも、そうせずにはいられなかったのです。
 腰を引きながら歩道橋の上を覗きました。それも、そんなことしたところで、そこに誰れかいれば遅いのです。何もかも見られてしまうのです。隠しようなんかありません。
 見せたくてしているのではないの、無理にさせられてるの、そんなことを主張したかったのかもしれません。幸い、上には誰もいませんでした。足の間をすり抜ける風が心地良く、私は、歩道橋の上では大胆に前を広げて歩きました。服を着ていても下品な歩き方です。でも、平気でした。
 反対の階段をおりて、歩道を見つめました。サラリーマン風の男性でした。酔っている様子はなく急ぐように早足で歩いて歩道橋に近づいてきます。急いでいれば歩道橋を使うかもしれない、そう思い、私は公園に避難するかどうか迷いました。
 迷っているのに、私は階段をのぼっていました。それも、まるで服を着ているように、ためらいもなく、スタスタと歩いています。自分でも意外でした。何がしたかったのか分かりません。
 その人が歩道橋を渡ったらどうするつもりだったのでしょう。分かりません。
 反対側におりるまで、私には恐怖もためらいもありませんでした。平然と歩道に出て、その人の後ろ姿を見ながら、平然と服を着ました。感じていました。その人の後ろ姿に「ここに全裸の女がいるよ、何もかも見えるよ」と、そんな言葉をなげかけていたように思います。しびれるような興奮が全身に走りました。
 服を着て、遠くに停めてあった自分の車にもどるまで、興奮は続きました。車にもどり、そのドアを閉めた瞬間、全身から汗が吹き出るのを感じました。怖さで震えました。
 こうして思い出しても、少し怖いです。でも、興奮したのも事実なのです。
 ようやく自分の時間がとれるようになると、やっぱり眠れなくなりました。昼間から、今夜はどんな格好で、どこを歩こう。車を使おうか、それとも、ジョギングの格好で歩こうかと悩んでいました。
 露出した直後からは、ものすごく後悔し自己嫌悪するのに、一日経つと、やっぱり見られたくなってしまうのです。それが何日も露出できないままだと、一日のたいはんを露出のことを考えて過ごすことになります。
 その夜は、車で出ることを止め、ジョギングスタイルのまま、以前に全裸になったことのある大きな公園に行きました。そこなら下半身ぐらいはいつでも脱ぐことができると思ったからです。トイレのある茂みは公園の入り口からは見えないのですが、こちらから入り口はよく見えます。誰れかが来ればすぐに分かるのです。
 私はトイレに入ったのですが、そのまま個室は開けずに出て来ました。そこでパンツを脱ぐつもりだったのですが、少し明る過ぎたのです。茂みの中に入り、そこで脱ごうとも思いましたが、そこでも勇気が出ませんでした。上半身はシャツだけでノーブラです。ここなら全裸になれるんだという思いは、いつしか、今日は全裸にならなければいけないに、変わっていました。
 トイレと茂みの間をなんどか行き来してしまいました。決心がつかなかったのです。
 その時「トイレですか」と、私に声をかける人がいました。驚きました。心臓が止まるといいますが、まさにそんな驚きです。公園の入り口は見張っていました。誰れも来ていません。もちろん、散歩のふりして公園の中も見てまわりました。誰れもいないことは確認したはずでした。
 私は無言のまま、彼から離れました。何かあったら声を上げればいい、そう思いました。
「いえ、トイレに入ったり出たりしていたみたいだから、あの、怖かったら僕、見張ってますよ」
 彼の声が少し私を落ち着かせました。声が若いのです。もしかしたら想像しているより、はるかに若いかもしれません。
「トイレ、汚いから」
 それでも声は震えていました。私は彼が露出痴漢であると感じはじめました。トイレが汚いなら自分が見張っているから、茂みですればいい、と彼が言うことを期待していました。できれば、オシッコが出て来るところを見せてほしい、絶対に触ったりしないから、と、頼まれることも期待していました。
 ところが彼の答えは意外なものでした。いえ、普通に考えれば当然のものでした。
「公園を出て右に行くと、小さいけどコンビニありますよ。トイレだけでも平気ですよ。僕もトイレだけで使ったことあるし」
 私はにっこりと笑って「ありがとう、行ってみる」と、言って、公園を後にしました。
 彼はいったいどこにいて、いつから私を見ていたのでしょうか。それに彼はあんな時間のあんな場所で何をしていたのでしょうか。それは分からないままなのですが、その日の夜、私は何度も何度もオナニーしてしまいました。
 もし、私が全裸になってしまったら、彼は声をかけて来たのか、それとも、どこかでこっそり覗いていたのか、もし、あのとき、私がオシッコが我慢できないと言ったら彼はどうしたのか、彼が露出痴漢で、オチンチンを出したら……。
 私の妄想は尽きることがありませんでした。
 そのお店に行ったのは、もう一年ぶりぐらいになると思います。久しぶりに行くと、もうなくなっているお店や、トイレの構造だけが変わっているというお店が多いので心配したのですが、そのお店はまだありました。
 そのお店は、トイレに行くまでに、人がやっと通れるぐらいの通路があります。その通路があるおかげでトイレとお店は切り離されたようになっているのです。トイレのカギをしなくても、そのお店のトイレならドアを開けた人にしか見られません。他の人には、トイレを開けられたということさえ分からないはずなのです。誰れかにオシッコしている姿を見せたいのに、みんなに見せたことを知られるのは嫌なんです
 通路の奥のドアを開けると、洋式便器が横向きにあります。狭いのでドアを開けられたら、本当に真横に立たれることになります。
 私はそのトイレで立ったままオシッコすることを決めていました。
 最初はスカートでするつもりでした。でも、パンツが膝にあると、どうしてもオシッコが足にかかってしまうのです。それなら、いっそ下半身は脱いでしまおうと思いました。そして、どうせ脱ぐならパンツのほうがいいと思ったのです。脱いだものを片手に持って、そのままオシッコしてしまおうと思いました。
 浴室で練習しましたが、うまくいきました。少し腰を突き出しさえすればオシッコは狙ったところに飛びます。
 練習したことを思い出しながら私はトイレに向かいました。お店には数人のお客さんがいますが全員男の人です。さすがに女性に立ったままオシッコしている姿は見られたくありません。
 でも、私がトイレにいる間に女性が来て、いきなりトイレに入れば、その人には見られてしまうことになります。そのときは諦めて、おもいっきり惨めな思いをしようと覚悟していました。
 トイレを開け、一度、カギをかけました。音が聞こえないように、こっそりかけました。もちろん、そんなところからカギの音なんて聞こえるはずがありません。それでも、そっとカギをかけ、そして、パンツを重ねて一気に脱ぎました。まだ、ためらいはありませんでした。
 耳が遠くの音楽をとらえました。これなら人が来る足音も聞こえるかもしれないと思いました。でも、聞こえるとはかぎりません。突然、開けられるかもしれないのです。どんな顔をすればいいのでしょう。立ったまま下半身裸でオシッコしている変態女がトイレを開けられたからって、普通の女のように驚いた顔をしていいものなのでしょうか。
 そんなことを考えながらカギをそっとはずしました。これで、もう何もできません。私はものすごく無防備な状態でそこに立っているのです。オシッコはすぐには出ませんでした。このまま早く出して終わりにしたいという気持ちと、誰れかが来るまでもう少し待ちたいという気持ちで心が揺れていました。でも、そんなこととは関係なく、オシッコは出ません。足を大きく拡げて、便器をまたぐようにして立ちなおしました。これならだいじょうぶ。今なら誰れも来ない、きっと、だいじょうぶ、でも、誰れかに見られたい、この変態行為を見られたい、そんな思いが頭の中をかけめぐります。少し力を抜くとオシッコが出ました。思ったよりも前に飛んでしまったので、自分の足ではなく、便器を汚しそうになりました。
 オシッコは止めることができません。今、誰れかがドアを開けたら、もう何もできません。男の子がオシッコするように、おなかを前に突き出して、いい年齢の女がオシッコしているのです。完全に変態です。
 オシッコは勢いをなくして、足もとに落ちました。それから私はそっとカギをかけました。パンツをつけて、席にもどりました。たった今、このお店のトイレでとんでもない変態行為が行われたなんて誰れも知りません。
 少しの興奮を抑えて、私は日常にもどりました。
 以前からやってみようと思っていたことがあります。それは夏の冷房対策用のカーディガンを腰に巻いて、下半身裸で歩いてみるということです。カーディガンですから下半身を完全に隠すということはできません。どんなに上手く巻いても、よーく見ればその下に何もつけてないのは分かってしまいます。
 鏡の前でやってみて、あまりにも分かりやすいので、何度も止めようかと思いました。
 でも、巻きスカートをつけて、やっぱり家を出てしまいました。
 狙いは駅裏の少し寂しい商店街です。せっかくのカーディガンを腰に巻くには、やや涼しい夜でした。それでも私はそれを腰に巻き、そして、商店街を歩きました。昼間なら、人がたくさん歩いている商店街ですが、深夜ということもあって、人はまばらです。でも、まったく人がいないということもありません。
 こんなところを下半身裸でカーディガンだけを巻いて歩いたら、きっと、みんなに分かってしまうに違いない、そんなことできない、何度もそう思いました。すれ違う人の下半身を見つめました。男の人の股間のファスナーまでハッキリと見ることができます。後ろからならともかく、前から見られたら、やっぱり、私のヘアーは見えてしまうに違いない、と思いました。
 そう思いながら、私は路地に入りました。ここならスカートをとってもだいじょうぶだと思い、巻きスカートのホックをとりました。クシュクシュとそれをまとめると、バックに入るほどの大きさになります。
 下半身に冷たい風があたるのを感じました。少し歩いてその部分を見ると、やっぱり見えています。カーディガンの合わさった部分から黒いものが露出してしまっているのです。家でしたようにボタンをとめてみました。ヘアーは見えなくなりました。でも、すき間からアソコに直接風を感じます。きっと、見えているに違いありません。
 止めたい、止めよう、そう何度も何度も思いながら、それでも私の足は商店街に向かっていました。
 変態と言われるかもしれない。嫌悪の目で見られるかもしれない。チャンスと思って悪戯してくる人もいるかもしれない。いろいろなことを考えると心臓が痛くなりました。
 ところが、商店街を歩く頃には、不思議なほど安心していました。路地よりも明るいのですが、誰れも私の下半身になんか注目しないのです。
 商店街のはずれには、公園があります。昼間でも人のいない公園です。その公園の少し手前で、私は後ろを見ました。こちらに向かって来る人は誰れもいません。公園に人がいないかどうかは分かりません。それでも私はカーディガンをとりました。そして、公園まで下半身完全に裸のまま歩いたのです。
 幸い公園には誰れもいませんでした。それでも、私の興奮は頂点に達しました。激しい後悔もありましたが、この快感を私は手放すことはできそうにありません。