日本はこうした方々の活躍で支えられていると思います。


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「被ばく線量の最大値が自分でよかった」。福島第1原発3号機への放水に参加した東京消防庁第3方面本部消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)の石井泰弘部隊長(47)が24日、時事通信の取材に応じ、緊迫した作業を語った。


 石井隊長は18日午後5時すぎ、周囲の放射線量を測定できる「特殊災害対策車」に乗り込み、先陣を切って敷地へ入った。放射線量の高い区域を調べ、放水車などの配置を決めるためだ。しかし、作業は難航した。水を吸い上げる予定の岸壁は崩壊し、別の地点からホースを伸ばす経路では、津波で横滑りした巨大タンクが行く手を遮る。隊員が屋外に出て、人力でホースを運ぶ方法も強いられた。


 石井隊長らはホース運搬部隊の被ばく線量を測定。隊員は胸に線量計を着用しているが、作業中は確認する余裕がない。「自分の被ばく線量が彼らとイコールになるよう常に付き添った」。息苦しいマスク越しに大声を出し、必死で数値を伝えた。
 「水が出たぞ」。無線機から一報が聞こえた。「その瞬間、『やった』という達成感があった。みんな同じ気持ちだったと思う」。全隊員の脱出を確認し、最後に敷地を出た。


 胸の線量計は、全隊員のうち最も高い「27ミリシーベルト」を示した。しかし、石井隊長は「自分でよかった」とほっとした。「自分の被ばく線量が最大ならば、隊員は自分より安全。それが我々のやり方だ」と話す。


 敷地への進入前、石井隊長は部下に問い掛けた。「かなり困難な活動になるが、いいのか」―。「やります」。弱音を吐いた隊員はいなかった。


 「素晴らしい隊員を持ち、誇りに思う。一人一人が日本のために頑張らなくては。命令があれば、また行く」。部隊は東京・渋谷の本部に戻った今も、次の派遣に備えて機材の整備を続ける。

自分に何ができるのか、一人ひとり考えましょう。一人、一人が重なりあって、実に世界の約120カ国と国際機関から支援が来ています。これは、世界にある約190カ国の内、最貧国や、一部の紛争国を除けば、地球の7~8割に相当する、すごい数だと思います。正に、世界が、地球が一丸となってこの困難を乗り越えようとしている中、自分も何ができるのか、、を考えています。


高校生も一人ひとり、頑張っています。


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東日本大震災で加藤宏暉(こうき)町長はじめ1000人以上が死亡・行方不明となった岩手県大槌(おおつち)町の県立大槌高校では、自宅を失い学校で寝泊まりする生徒ら約40人が食事の配膳(はいぜん)や交通整理など、避難所の運営に力を尽くしている。

 同校2年、水留望見さん(17)は「こうなった以上は元の生活に戻るまで協力し合いたい」と話す。震災当日、高台の学校にいた多くの生徒は、津波で町が流される様子を呆然(ぼうぜん)と見つめた。まもなくして、被災した町民らが命からがら学校へ逃げてきた。少しでも寒さをしのいでもらおうと考えた生徒らは、教員に指示されることなく、取り外した教室のカーテンを掛け布団代わりにし、被災者を受け入れるために校舎のかたづけを始めた。伊藤晃教諭(39)は「教員と生徒の上下の関係を離れ、困難を乗り越えようとする仲間になった」と語る。

 同校で生活する被災者は約600人。物資が搬入され、炊き出しが始まると、生徒らはおにぎりを握って被災者に配った。するとほかの被災者が「自分たちも役に立てることがあれば」と、厨房(ちゅうぼう)に集まるようになり、調理を手伝うようになったという。

転載します。


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東北地方太平洋沖地震が起きたとき、フランスは朝の6時46分で、朝から一日中、ニュースは日本の地震の報道一色でした。
パリの日本人街と呼ばれるオペラ地区に行くと、朝10時ごろから次々とテレビやラジオ局、新聞記者が集まり、日本人を探してはインタビューをしたいと近づいてきます。

「あなたの家族は大丈夫ですか? 連絡はとれましたか?」
続々とやってくる記者たちの数に、祖国で起こった災害の大きさをあらためて実感します。
そんな中でも救いになるのが、日本人の振る舞いをたたえられたときです。

「なぜ日本人は冷静でいられるのですか?」
「どうしたら、こんなときでもほかの人を思いやれるのですか?」

フランス人の目には、みんなが一丸となって現実に向き合い、取り乱すことなく前進しようとしている日本人の振る舞いが「尊敬に値する」と映っているのです。



■自然を受け入れる大きな器を持つ日本人

日本人を取材したいとやってきたフランスの新聞「パリジャン」紙の記者、マリアンさんはこう言います。
「なによりも、日本人の冷静さに驚きました。フランス人は問題があればやたらと騒ぎます。もし、フランスで同様のことが起こったとき、受け入れるという姿勢に慣れていない私たちは、あなたたち日本人のように対応できるかどうかは疑問です」と語りました。

また、テレビ局の記者、マルティンさんは言います。

「食料不足が懸念され、スーパーに殺到する人たちの映像を見ても、みながきちんと列に並んで順番を待っている姿に驚きました。もしこれがフランスだったら、きっと押し合い、取り合いになるでしょう。
以前、取材で日本に行ったとき、交通量の激しい銀座4丁目の交差点で、一度もクラクションが鳴らずに人と車が行き交うのを見たときから、すごい国民性だと思っていました。でも、震災時にもパニックやヒステリーを起こさずに、きちんとルールを守れることは、あらためて尊敬いたします」

■子供でさえ取り乱さない冷静さ

フランスは一部の地域を除き、ほとんど地震が起きていません。周囲の人に話を聞いても、60代の人たちでさえ「一度も地震を経験したことがない」と答えます。

そのため、フランスでは地震に対する知識や備えがあまり浸透していません。親たちは、日本の子供たちの冷静な対応に驚いています。
「まだ小さな子供たちが、泣きわめきもせずに机の下に隠れたと聞いて驚きました。フランスで地震が起こったら、自分の子供はあんなふうに対応できないと思います」

日本の地震ニュースの影響で、学校で行われる避難訓練を紹介する番組も組まれています。

■身勝手な行動を慎む心

16日、放射能漏れを心配するフランス政府は、在日フランス大使館を通じて日本に滞在するフランス人は「直ちに帰国あるいは日本の南部に避難」するように勧告しました。そんな中、フランスのメディアが東京で働くサラリーマンに「どこかほかの県や国に避難しないのか」と聞いたインタビューで、
「会社をほったらかして、自分だけ一人逃げるなんて、ひきょうな気がします」
と言ったコメントが報道されて話題になりました。

会計士のマティルドは言います。
「私たちフランス人にとって、会社や仕事は日本人ほど重要なものではないのかもしれないけれど、日本人が自分の命をかけてまで仕事をしなくてはいけないという責任感のもと、働いていることに感銘を受けました。
普段から日本人は仕事に対してまじめだという認識はありますが、このような事態になって、その精神に偽りがないことを確認した気持ちです。自己の利益だけではなく、全体のつながりを大切にする心をわれわれフランス人も見習わないといけません」

不安定な生活を送りながらも、前に向かって冷静に一歩一歩進もうとする日本人。このような話を聞くたびに、自分が日本人であることを誇りに思います。

(ユンブル×蘭 景)

国境も、宗教も、人種も関係ありませんね。


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スパイスのいい香りが立ちこめる。避難所となった岩手県大槌町の公民館。底冷えがする21日午前、カレーの準備をするパキスタンやインド国籍などのイスラム教徒17人の姿があった。

 17人は、愛知県春日井市の「春日井イスラミックセンター」のメンバー。被災者の様子をテレビで見てすぐに支援を決めた。大量の食材を買い込み、巨大な鍋など調理器具と一緒にトラックで被災地に向かった。

 公民館の一角で寝泊まりしながら、20日はその公民館で約1800食分、21日には近くの高校で約900食分のカレーを振る舞った。久しぶりにたくさんの肉が入った温かい食事に、被災者はほおを緩ませた。

 パキスタン人のアフマド・ムシュタクさん(40)は語る。「人種や宗教に関係なく、困った人を助けるのは当然。おいしい料理を食べて、体も心も温まってほしい」。

9.11の時もそうでしたが、消防隊員の方の命を賭した活躍には感謝の念が絶えません。


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福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。


 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。


 石原知事は、被曝(ひばく)覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。


 活動報告会に参加した隊員の一人は「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。

今日はこんなお話を。


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濁流にのみ込まれそうになっても夫は妻の手を離さなかった。岩手県大槌町で被災した無職、上野四郎さん(74)。間一髪で助かったキエさん(74)は「父さん、ありがとね」。約50年連れ添った夫婦の絆は、大津波をも乗り越えた。


 「津波が来る」。大きな揺れの後、2人は避難するために自宅を急いで出た。海岸からは1キロ弱。数十メートル進み、川沿いに止めた車に乗ろうとした瞬間、がれき混じりの濁流が襲いかかった。


 流れに引きずり込まれそうになったキエさんを、四郎さんが必死につかんだ。「助けて」。何が起きたのか分からず、叫ぶキエさん。手が滑りそうになったが、何とか握り直し、近くの斜面まで無我夢中で引き上げた。


 ずぶぬれの2人は励まし合いながら、国道の高架橋につながる階段を上った。「助かった」。救急隊の姿を見て全身の力が抜けた。キエさんは低体温症で危険な状態だったが、一命を取り留めた。四郎さんも自力で歩けないほど衰弱していた。


 キエさんは約20年前に白内障などを患い、視力をほとんど失った。以来、どこへ行くにも夫婦一緒。毎日の食事は四郎さんが作る。「若い頃、苦労をかけたから」と元バス運転手の四郎さん。


 2人は避難所の老人福祉施設に身を寄せる。町内に住む長女も無事だった。四郎さんは「津波が来るのが早かった。流れがもう少し強かったら、助けられなかった。本当に駄目かと思った」と目を潤ませた。


 青く腫れた右手が痛々しいキエさんは「盛岡と山梨の孫に『元気だから』と連絡したい。お父さんが頑張ってくれた。助けてくれてありがとう」。2人は目を合わせ、照れくさそうに泣いて笑った。

とてもセンスが良いと思います。僕も参加してみます。


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グラビアアイドル・女優としても活躍している女性タレント多田あさみさんが、自身のブログに投稿した募金方法が大きな話題になっている。「大人の千羽鶴始めました」というエントリーには、大手コンビニ・ファミリーマートの機械(Famiポート)を使い、簡単に日本赤十字団体へ募金する方法が写真付きで解説されている。


そして、千円札に描かれている鶴を「千羽鶴」にたとえ、「今、本当に必要な鶴を被災地へ」と綴っているのだ。


「一人じゃこの千羽鶴はできませんがみんなで力を合わせればきっと千羽以上になるはず。もちろん、鶴より小さい小鳥でもいいし、余裕のある方は諭吉さんのお供の朱雀だか鳳凰を飛ばすのもいいと思います。大人の千羽鶴始めましょ」(多田あさみ公式ブログより引用)


この投稿には、多くのインターネットユーザーから「本当にすばらしいセンス」「かっこいい」「失礼ながら初めて知った芸能人さんなんですが、素晴らしい行動に感動してしまいました」「これから早速飛ばしてきます!」と絶賛、感動の声が寄せられている。


彼女の呼びかけにより、きっと多くの人がお札の鶴をコンビニ経由で飛ばしたことだろう。被災地に届いた時、「千羽鶴」以上の支援になっていることを切に願う。

日ごとに被害状況が広がっていきますが、こんなニュースがありました。頑張れ日本!


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 日を追って深刻な被害が明らかになってくる東北関東大震災に関連して、1人の被災者のおじいさんが発した言葉がインターネット上で「感動した」と話題になっている。このおじいさんは、1960年のチリ地震に伴う大津波被害の体験者だ。おじいさんは被災家屋から救出された際、テレビ局の取材に対し、「また再建しましょう」と笑顔で力強く答えたのだ。


 「今、降りてきます」。巨大地震発生から3日目の2011年3月13日11時前、フジテレビ系ニュースは、岩手県内で3人のお年寄りが取り残された家屋3階から自衛隊員らに救出された状況を映像と共に伝えた。高齢な人3人で、うち2人は女性、1人がおじいさんだった。


■「チリ津波んときも体験してっから。大丈夫です」

 自衛隊員らが付きそう中、おじいさんはしっかりした足取りで、階段を降りてきた。茶色のジャンパーにめがね姿で顔には笑みを浮かべている。テレビ局の記者がマイクを向けると、「大丈夫です。よかったです」と答えた。

 さらに、「チリ津波んときも体験してっから。大丈夫です。また再建しましょう」と笑顔で続けた。


 チリ津波とは、1960年5月に南米チリ近海で発生したマグニチュード9.5を記録した大地震の影響で、太平洋をはさんで日本の岩手県や宮城県などの海岸沿いを襲った大津波のことだ。国内で140人以上が死亡した。


■「おじいさん、おばあさん、私達にまかせてください」

 ニュースの放送後間もなく、おじいさんの前向きな姿勢に対し、ネットで称賛の声が挙がり始めた。ツイッターでは、「かっこいい」「力強い」「泣いた」「感動した」などの書き込みが続いた。動画投稿サイトのユーチューブでも関連映像が再生回数4万5000回を超える勢いのものもあり、「俺さっそく献血いってくるわ」「ゆとり世代って馬鹿にされてきたけども(略)大丈夫。おじいさん、おばあさん、私達にまかせてください」と力強いコメントも寄せられている。

3月4日、アルゼンチンの空港で飛行機の遅延や欠航が相次ぎ、足止めを食った客らは空港側に抗議して大騒ぎとなった。その場にたまたまシンガーのシンディ・ローパーが居合わせ、同様にフライト待ちをしていたのだが、客らを落ち着かせるために、ある粋な計らいを行ったという。



シンディ・ローパーは80年代を代表するシンガー・ソングライターである。過去にグラミー賞、エミー賞などを受賞しており、57歳になった現在も勢力的に活動をしているのだ。


その彼女がこの日、旅行中のホルヘ・ニューベリー空港で立ち往生する羽目に。というのも、フライト・スケジュールが大幅に乱れており、欠航や遅延が相次いでいた。彼女と同じく、飛行機を待っていた客らは苛立ち、窓口などで抗議を始めたのである。


見かねたシンディは、アナウンスのマイクを奪うと、歌い始めたというのだ。歌ったのは、彼女をスターダムに押し上げ、世界的ヒットとなった「Girls Just Want to Have Fun」。突然のライブに、イライラしていた乗客も空港関係者も大喜び。スーパー・スターの歌声に魅了され、騒ぎは収束したとのことだ。

そのときの様子は、Youtubeに多数公開されている。動画では、周りにいた客たちの笑顔を確認できるはずだ。さすが世界のエンターティナー。どんな状況でも、人を楽しませる気持ちを忘れない。


http://www.youtube.com/watch?v=4PrBnG9E4I4&feature=player_embedded