
日本神話の会
第4回研修旅行の2日目 9/10(土)
参拝④槵觸神社(くしふる神社)


天真名井で御神水を戴き
心身共に浄められて

美味しいお水に元気も出て
次の目的地『槵觸神社』に到着です

御祭神は
瓊々杵尊さま(ににぎのみこと)
天児屋根命さま(あめのこやねのみこと)
天太玉命さま(あめのふとだまのみこと)
経津主命さま(ふつぬしのみこと)
武甕槌命さま(たけみかづちのみこと)
経津主命さま、武甕槌命さまは
武道の神ともされているので
参道の傍らに土俵があり
稽古の声が聞こえてきます

古くは「櫛ひ大明神」や
「くしふる大明神」と称せられ
また「二上(ふたかみ)神社」
「高智保皇神社」とも呼ばれており
明治4年(1871)に
「二上神社」を正式社名としましたが
同43年に「槵触神社」に復したそうです
『二上神社』。。。
二上(ふたかみ)といえば

先程戴いた天真名井の水種を
高天原からお持ちくださった
天村雲命さまの別名が
『天二上命』さま
もしかすると古くは
御祭神は天村雲命さまだったのかも

『天真名井と天村雲命さま』
http://s.ameblo.jp/shinwanokai/entry-12207309404.html
はたまた高千穂の二上山の
三ヶ所神社の御祭神
伊弉諾尊さま(イザナギノミコト)
伊弉冉尊さま(イザナミノミコト)
のことであったのかな


高千穂の注連縄は
標縄・七五三縄ともいうそうで
注連縄の赤と緑は天神地祇の
天つ神と国つ神を表し
垂れ下がる標(藁茎)本数は
三本、五本、7本
これは高千穂の神楽の祭場や
舞いの由来を述べる唱教に由来し
七は天神七代
五は地神五代
三は御祖(みおや)の神(日向三代)
を表しているそうで
標一本が一柱の神を
意味しているとの事です
天孫降臨の地として伝えられる
槵觸の峯にある槵觸神社

古事記の一文に
「筑紫日向高千穂之久士布流多気に天り坐しき」
と書かれており
古くは「槵觸の峯」を御神体として
お祀りしていましたが
元禄7年(1694)社殿を建立したそうです


御朱印は高千穂神社で戴くことができます

神社周辺は神話史跡コースの
遊歩道が整備されて
しばし森林浴をしながら
くしふるのお山の清々しい気を
いっぱい戴きました


森林浴が心地よい山の途中に
『高天原遥拝所』がありました



ここから神々は
こうして天を仰いで
高天原を遥拝したのでしょうか


ここからお山を下った先に
四皇子峰があり
神武天皇の兄弟神(四皇子)
誕生の地と伝えられ
こちらで幼少期を過ごされたそうです


彦火火出見尊(山幸彦)の御子
鵜鵝草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)は
玉依姫命さま(たまよりひめのみこと)
と結婚されて
神日本磐余彦尊(後の神武天皇)を含めた
四皇子がお生まれになっています

※弟たちと共に神武東征に従軍したが、長髄彦の放った矢に当たってしまう。
「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」と助言し勝利するが、傷が悪化し亡くなってしまう。

※『日本書紀』では、稲飯命は神武東征に従うが、熊野に進んで行くときに暴風に遭い、「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、「鋤持(さひもち)の神」になったとする。
『古事記』では事績の記載はなく、稲氷命は妣国(母の国)である海原へ入坐としたとのみ記されている。

※高千穂では鬼八(きはち)という悪神を退治し高千穂の地を治めたと伝えている。
神日本磐余彦尊は後に
日向から大和に入られ
神武天皇となられる訳ですね


こちらが四皇子が幼少期
お住まいになられた
皇居跡地とのことです


くしふるのお山に感謝をし

次なる目的地『天岩戸神社』へ
異動します
最後までお読みいただき
ありがとうございます✨
日本神話の会 ブログ担当
徳永知子
(とくちゃん(о´∀`о))
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