罰金刑とは、減軽等が無ければ1万円以上の金銭の支払いを科すことを刑法で規定した財産刑であるが、これは現代版の贖宥状(免罪符)ではないのか?

贖宥状(免罪符)とは、高校の世界史の授業に戻るのも何であるので、ここでは簡潔に説明しておきたい。これは、かつてローマ教王や神聖ローマ帝国(ドイツ)などで発行された人の犯した罪を贖宥状(免罪符)と呼ばれる書状をお金を出して買うと罪が赦されたり、軽減されると吹聴されていたものである。実態としては、贖宥状(免罪符)は罪の赦しのために発行されていたわけではなく、十字軍の戦時資金やサン・ピエトロ大聖堂の建築資金、あるいはある個人的な立身出世のための資金として利用された。

現在の世界では、その後の有名なマルティン・スターの宗教改革等を経て、トリエント公会議でも否定され贖宥状(免罪符)は極めていかがわしい存在となっている。

しかし、私は贖宥状(免罪符)は現代でも名を変え生き続けていると思う。

罪刑法定主義では、罪刑均衡の原則を元に刑罰を下し罪を赦すが、お金を払って罪は消せるのか?、赦されてよいのか?

人々は皆、贖宥状(免罪符)を否定するが罰金刑等の財産刑を認める。これは矛盾していると思うのは私だけだろうか?

私は、この現代の贖宥状(免罪符)が次世代の犯罪抑止に効果的であると罪刑法定主義を支持する人々が証明するなら否定はしない。しかし、誰も矛盾した状況にあるにも関わらず、それを証明し得ないなら社会奉仕活動やボランティア活動などを刑罰として強制した方がよほど社会のためになると思ってしまうのである。





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