常識という名の正義 | カトーコーキブログ 漫画・音楽・生きづらさ

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多くの人が、何かしらの問題が起こった時、常識という名の正義をもって対処しようとする。

対外的にも、対内的にも。

けれど、それはとても恐ろしい事であるとボクは思う。
何故なら常識の正体が、つかみどころの無い世間というものに判断基準を委ねているからに他ならない。
つまり、自分が決めた基準では無いのである。

それは往々にして、固有の特徴を持つ各問題にフィットしない。

しかし、それが正義だと思ってしまっている人にとっては、それを疑う余地が既に無くなっている。

ボクの場合であれば、常識から自分を解き放った時初めて自分が救われた。
それは即ち、判断基準を他に委ねる事から離れ、自身の判断基準を軸に据えたという事だ。

ボクの今の状態は、常識的に見れば非難されるものだろう。
しかし、この非常識な状態こそが今、ボクをボクたらしめている。
それは紛れもない事実なのである。

常識を疑い、自分で決める。
言葉で言うと簡単なものになってしまうが、これこそが何よりも大切であるとボクは考えている。

常識という名の正義は、人を傷つけうる武器である。
大概役に立たないどころか、問題の本質を見えなくしてしまったり、問題を深刻にしてしまう事さえある。


そんなつまらんもんはドブに捨てちまえ、と思う。