ある日、友人(視える系)と雑談していたら「shinnoさん、平家の前世もあるでしょ?」と聞かれました。
いや、自分じゃ分かりませんが?w
雑談の中身は「北海道か京都に旅行したい」だったかな。
スピリチュアル無関係の話だったのは確かです。
そこから、いきなり平家の前世って!
友人の見立てでは「平家一門の女性。壇ノ浦で一族とともに入水するが、生き残ってしまい…」
ここで友人は口ごもりながら「人買いに売られて、女郎のような生活をしている」というもの。
例によって、幸せとは言い難い転落人生のようです(慣れました)
「えーまさか~w」「有名人はいないっしょ~ww」と笑いながらも、鳥肌ぞわぞわ。
shinno家のご先祖は、どちらかと言うと源氏に縁があります。
その影響で私は源平合戦が好きなのだろうと思っていたのですが、ここに来て平家が急浮上。
えーまさか~w
そう簡単にほいほいと前世が見つかってたまるか~とも思いますが、真っ向から前世候補を否定しても面白くないですからね。
友人の話を呼び水に、妄想~ む~ん…
…その前に、まずは今生の過去を振り返ってみたら、平家に関するエピソードをいくつか思い出しました。
***
直近の出来事としては、大河ドラマの平清盛にものすごいハマっていたこと。
大河ドラマ史上最低視聴率を更新し、さんざん批判されまくったドラマでしたが、私に限って言えば何度泣いたことか!
最終回の駆け足ダイジェストっぷりにも泣かされましたがw
(低視聴率のせいか最終回恒例の時間延長がなかった)
でも、エンディングは屈指の名シーンでしたよ!
壇ノ浦へ沈んでいく宋剣を追うように、画面は水底へ。
(史実で沈んだのは三種の神器・草薙の剣ですが、ドラマでは平時子が安徳天皇と清盛の愛刀を抱えて入水)
海の底には美しい都があり、見覚えのある御殿の中に入っていくと、過去の登場人物たちが昔と変わりなく生活を送っていて…
見慣れた評議の間には、ドラマ内で今しがた亡くなった清盛の子や孫、側近たちが揃っていて、上座には空席の棟梁の座がある…
ああ、これは主人公(清盛)視点の夢の世界なんだ…と気づいて終わります。
(清盛は都落ちの前に亡くなるので、最終回ではほぼ出番がなかった)
海の底に都があるというのも、時子が入水する時に安徳天皇(7歳)に「海の底にも都はございましょう」と宥めた言葉に引っ掛けてますし。
「フラグ(伏線)立て→回収」な物語が好きな人は大いに楽しめますが、ミスリードを誘う展開も多かったので、さらっと見ている人は話についていけないだろうな~と、当時から思ってました。
「遊びをせんとや生まれけむ」というテーマも、深読みすればスピリチュアルな解釈が出来ますし。
この歌の元ネタにあたる「梁塵秘抄」自体、清盛の宿敵・後白河法皇(平家の敵は源氏じゃないのよ~)が編纂していると言うのも、逸話の取り込み方がうまいなぁと思ったものです。
善くも悪くも、挑戦的で仕掛けの多い、作り込まれたドラマでした。
各方面の批判に理解を示しつつも、私はとても好きでした。
いや、大河の話はどうでも良いのです!
昔、別ブログで大河ドラマの感想を書いていた癖が出たなw
……平家関係の話、1日で終わらせようと思ったけど、どうやら無理みたいです。
という訳で、続きます。
【追記】
分かりやすくまとめられていたので、お借りします。
ある読者からの質問:「遊びをせんとや」とはどういう意味ですか?より引用。
ある読者からの質問:「遊びをせんとや」とはどういう意味ですか?(NHK大河ドラマ『平清盛』の挿入曲)
平安時代末期に、後白河法皇が編さんした「今様」という当時の流行歌を集めた『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)に有名な歌があります。
日本人なら、多分、高校日本史の教科書で習ったことがあるのでしょう。
「遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」
現代語に翻訳すると、こういう意味になる。
「(子どもは)遊ぶために生まれて来たのだろうか。
戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、
私の身体さえも動いてしまう」
言葉通りに素直に解釈した場合は、
「子どもが遊ぶときは、時の経つのも忘れて、夢中になる。子どもが遊ぶみたいに、夢中で生きたい」
という意味になる。
NHK大河ドラマ「平清盛」では、
「生きていればいろいろ大変なことはあるけど、子どもが遊ぶように夢中になって生きようよ」
「どうせ生きるなら夢中になって楽しみながら生きようよ」
という意味にとらえているそうだ。
私流(わたしりゅう)に解釈すれば、人は皆、遊ぶために生まれてきたのだ。
人生なんて、ただのゲームだ。
ただし、待ったなしの一回限りのゲームであるから、真剣勝負と行きましょう。
大河サントラ好きとしても、本作は良かったです。
ニコニコIDある人は作業用の方がいいかも~
前期のオープニング好き~(★)
大鎧かっこいい!
***
チャネリングやリトリーバルは、変性意識の領域で見聞きしているので、実体がどうなっているか分かりません。
解釈(フィルタ)次第で、見え方も考え方も変わるし、個人差があると思います。
他所の情報と違うとしても、私には判断できかねます。責任も取れません。
くれぐれも鵜呑みにしないでくださいね。
いや、自分じゃ分かりませんが?w
雑談の中身は「北海道か京都に旅行したい」だったかな。
スピリチュアル無関係の話だったのは確かです。
そこから、いきなり平家の前世って!
友人の見立てでは「平家一門の女性。壇ノ浦で一族とともに入水するが、生き残ってしまい…」
ここで友人は口ごもりながら「人買いに売られて、女郎のような生活をしている」というもの。
例によって、幸せとは言い難い転落人生のようです(慣れました)
「えーまさか~w」「有名人はいないっしょ~ww」と笑いながらも、鳥肌ぞわぞわ。
shinno家のご先祖は、どちらかと言うと源氏に縁があります。
その影響で私は源平合戦が好きなのだろうと思っていたのですが、ここに来て平家が急浮上。
えーまさか~w
そう簡単にほいほいと前世が見つかってたまるか~とも思いますが、真っ向から前世候補を否定しても面白くないですからね。
友人の話を呼び水に、妄想~ む~ん…
…その前に、まずは今生の過去を振り返ってみたら、平家に関するエピソードをいくつか思い出しました。
***
直近の出来事としては、大河ドラマの平清盛にものすごいハマっていたこと。
大河ドラマ史上最低視聴率を更新し、さんざん批判されまくったドラマでしたが、私に限って言えば何度泣いたことか!
最終回の駆け足ダイジェストっぷりにも泣かされましたがw
(低視聴率のせいか最終回恒例の時間延長がなかった)
でも、エンディングは屈指の名シーンでしたよ!
壇ノ浦へ沈んでいく宋剣を追うように、画面は水底へ。
(史実で沈んだのは三種の神器・草薙の剣ですが、ドラマでは平時子が安徳天皇と清盛の愛刀を抱えて入水)
海の底には美しい都があり、見覚えのある御殿の中に入っていくと、過去の登場人物たちが昔と変わりなく生活を送っていて…
見慣れた評議の間には、ドラマ内で今しがた亡くなった清盛の子や孫、側近たちが揃っていて、上座には空席の棟梁の座がある…
ああ、これは主人公(清盛)視点の夢の世界なんだ…と気づいて終わります。
(清盛は都落ちの前に亡くなるので、最終回ではほぼ出番がなかった)
海の底に都があるというのも、時子が入水する時に安徳天皇(7歳)に「海の底にも都はございましょう」と宥めた言葉に引っ掛けてますし。
「フラグ(伏線)立て→回収」な物語が好きな人は大いに楽しめますが、ミスリードを誘う展開も多かったので、さらっと見ている人は話についていけないだろうな~と、当時から思ってました。
「遊びをせんとや生まれけむ」というテーマも、深読みすればスピリチュアルな解釈が出来ますし。
この歌の元ネタにあたる「梁塵秘抄」自体、清盛の宿敵・後白河法皇(平家の敵は源氏じゃないのよ~)が編纂していると言うのも、逸話の取り込み方がうまいなぁと思ったものです。
善くも悪くも、挑戦的で仕掛けの多い、作り込まれたドラマでした。
各方面の批判に理解を示しつつも、私はとても好きでした。
いや、大河の話はどうでも良いのです!
昔、別ブログで大河ドラマの感想を書いていた癖が出たなw
……平家関係の話、1日で終わらせようと思ったけど、どうやら無理みたいです。
という訳で、続きます。
【追記】
分かりやすくまとめられていたので、お借りします。
ある読者からの質問:「遊びをせんとや」とはどういう意味ですか?より引用。
ある読者からの質問:「遊びをせんとや」とはどういう意味ですか?(NHK大河ドラマ『平清盛』の挿入曲)
平安時代末期に、後白河法皇が編さんした「今様」という当時の流行歌を集めた『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)に有名な歌があります。
日本人なら、多分、高校日本史の教科書で習ったことがあるのでしょう。
「遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」
現代語に翻訳すると、こういう意味になる。
「(子どもは)遊ぶために生まれて来たのだろうか。
戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、
私の身体さえも動いてしまう」
言葉通りに素直に解釈した場合は、
「子どもが遊ぶときは、時の経つのも忘れて、夢中になる。子どもが遊ぶみたいに、夢中で生きたい」
という意味になる。
NHK大河ドラマ「平清盛」では、
「生きていればいろいろ大変なことはあるけど、子どもが遊ぶように夢中になって生きようよ」
「どうせ生きるなら夢中になって楽しみながら生きようよ」
という意味にとらえているそうだ。
私流(わたしりゅう)に解釈すれば、人は皆、遊ぶために生まれてきたのだ。
人生なんて、ただのゲームだ。
ただし、待ったなしの一回限りのゲームであるから、真剣勝負と行きましょう。
大河サントラ好きとしても、本作は良かったです。
ニコニコIDある人は作業用の方がいいかも~
前期のオープニング好き~(★)
大鎧かっこいい!
***
チャネリングやリトリーバルは、変性意識の領域で見聞きしているので、実体がどうなっているか分かりません。
解釈(フィルタ)次第で、見え方も考え方も変わるし、個人差があると思います。
他所の情報と違うとしても、私には判断できかねます。責任も取れません。
くれぐれも鵜呑みにしないでくださいね。