神晃講通信
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己亥(つちのとい)年・謹賀新年の御言葉

己亥(つちのとい)年・謹賀新年の御言葉

平開けて、御代の移ろい駆け落ちぬ、深泥の沼の蓮の如くに、


(たいらけて、みよのうつろいこけおちぬ、みどろのぬまの、はすのごとくに、)


平ら成る御代も明けて全く新たなる御代の到来と思えば、今までの苦労や思案も蓮の花が開く如くに消えて浄化を成す。

(要約)
今年は己亥の年廻りで腐葉なる土壌に種を仕込み、ただひたすらに耕す事に精を出す年です。亥年は猪突猛進ですが己の亥は頑固盲進で人の言うことに耳を貸さぬ頑固さが在ります。今年は御代の交代もあり思わぬ変化が起こる時でもあるので柔軟な思考と天恵を受ける素直さが必要とされますから亥年の粘り強さと貫徹精神を生かしながら、しなやかな思考と振る舞いを兼ね備えなければならない反心柔軟を心がける事が肝要です。今年蒔いた種は良きも悪しきも必ず結実を迎えます。心して世の為、他者の為に良い種を撒き、育んで下さい。善き世の中を育むのは自身の行いからと心得る新年です。
        弥栄
 


天元流之宮龍王院 琉祖 祥月

山蔭神斎    山蔭員英

師走の御言葉

師走の御言葉

一年の、終わりを示す師走月、名残を惜しみ始まりを告ぐ

(ひととせの、おわりをつげるしわすつき、なごりをおしみはじまりをつぐ)

(要約)

一年の計は師走から紡ぐものである。終わりと始まりは連なっている、今年度の終計をよく考慮して元旦には始まりの志願を立てなければならない、師走は言葉のごとく忙しさを告げるが、この時こそ落ち着いた展望を立ち上げることが肝要である。

(要所)

私達は終わりと始まり、または善と悪を区別しがちであるが、それは入り交じって一体である事を知るべきである、ただ、けじめをつけて線引きを定めているだけであるから終わりは始まりで始まりは終わりと繋がっていることを悟るべきである。

      弥栄

天元流之宮龍王院  

   琉祖 祥月

霜月の御言葉

晩秋に、神の御和えを整えば、祭りて祝う神嘗の宴に


(ばんしゅうに、かみのみあえを、ととのえば、まつりていわう、かんなめのえに、)


(要約)

収穫の秋深まり、年越しの準備に入る前の潤いを分かち合う時、11月はそんな季節です。下旬には神嘗祭が祭行されて正に神様との御和(みあえ)=(大自然との調和)が成される時です。現代においてもあらゆる仕事の成果を祝い、また或は反省して、全ては大自然(神)よりもたらされた天命の成就に服する事、(大自然の大いなる意思に立ち戻る)事に意識を回帰して、天人地の和合を図るべく皆で直会(なおらい)=(宴を結ぶ)事が古よりの習いとされるのである。心して和解する時である。


(要約)

古よりの習いに続く神嘗祭(かんなめさい)は秋の収穫を祝い神様に感謝御礼を申し上げて、そのお下がりを皆で頂く、即ち神との御和(みあえ)であり神と交わる、重要な習わしである。えてして人は孤立しがちで孤独であるが、元より神から別れた御霊であることをかんがみて、人々は神の御手代(みてしろ)=(手足)であり、はたまた一体であることを思い出す季節の宴である。時代は変われど感謝報恩の心は何も変わることはない、どのような仕事の収穫でも神様(大自然)からもたらされた恩恵であることを思い、皆寄って大自然からの恵みを頂き杯を交わす時節の祭りが(祭ろい合う)の本義である。


      弥栄

 
天元流之宮龍王院 

    琉祖 祥月

山蔭神韲 山蔭員英
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