理
「有」である。
「有」には「無」もあり、また「有」も然り。
「無」から「有」も生み、「有」から「有」も生む。
超時空を超え、全てが「中心」である。
進化の方向への一歩は、上記に記載した「理」を知り、理解し、体感し、実践することが出来るようになることです。
以前にも述べましたが、この肉体を持ちながら「無」を極め「有」を感じ理解し、実践し、更なる『有』を生む心身。
「無」とは何か?
「有」とは何か?
答えは「無」とは人間が言う「仏」の位置です。
そして「有」とは人間が言う「神」の位置のことです。
※人間は、それぞれの国や宗教思想により、「有」の位置のことを「仏」と言ったりもしています。
ここでは、異なった位置からの概念や思想からでは無く、私の感じる真実をお伝え致します。
「無」は「0(ゼロ)」の位置です。
全てにおいて「+(プラス)」も「-(マイナス)」も無い位置です。
悪影響が全く無い、そんな位置です。
人間の位置から言うと、相当清まった位置であり、綺麗な存在です。
過去の人々も、人間と言う肉体を持った存在の限界を感じました。
そして、肉体の限界を感じたからこそ、その限界を超えた「神」の存在を求めました。
それを求めたことにより、人間は進化し、まずは「無」に近づくことを知ったのです。
「無」の位置を理解すると、「無」の位置に実は「有」が存在することが理解できます。
知乃さんの言う「人間」~「先祖」~「仏」~「神」と言う流れはこのことです。
現代宇宙物理学と量子力学など、量子重力理論を研究し、真実をお求めの学者諸君、見えない世界を「体感」すると「宇宙斥力」を体感から解明し理解できます。
※「体感」の箇所で体感出来るようになる方法をお伝え致します。
お答えしましょう。
この宇宙は全てが「中心」である、そんな世界です。
「理」を知り、理解し、体感すると「設定」により全ての中心を取れることを知ります。
そして「設定」が新たな「有」を生むことが出来ることを知ります。
それを実践し、実践の結果を体感することから、新たな「有」を知り、更なる実践をして、更なる体感をするのです。
肉体ある人間の位置を中心にすると、この様な表現になるのでしょう。
解かり易くご説明しましょう!
人間と言う位置からの表現です。
「中心」をとる。
武道でも言えることですね。
情報が少ないと、存在維持のために「中心」に納まろうとします。
何故なら、「中心」にいると、周りのものの位置があることから、自分の位置を理解しやすくなり、安堵感を得易くなるのです。
動きが良く見えるようになる位置だからです。
情報をより得易い位置だからです。
より沢山の情報を得る可能性が多い位置だからです。
相対的に物事を見定めやすい位置です。
※人間の今の位置は「欲望」を主張することは良くないと知りつつ、理屈を言ったり、地位や名声を用いて、「欲望」や「自分の位置(存在)」を主張し、それを他に認めさせ、それらを一時満たす作業に過ぎないのです。
人間とは、未だにそんな位置なのです。
物の動きが安定する。
即ち、その瞬間中心は存在することになります。
そうすると、その位置には余裕が出てきます。
安定から更なる吸収へと向かいます。
そして周りを一番見渡せる真ん中から、その枠を広げ更なる情報(エネルギーと言っても良いです。進化の方向と言っても良いです。)を得ようとします。
平面の「中心」から立体の「中心」へ、そして時空の「中心」へと広がります。
人間はそんな時空の中で存在しています。
しかし、人間は本当に情報が多くなると、情報を閉ざそうとします。
それは生命維持の為です。
肉体がある以上、限界はあるのです。
しかし人間は、一人の一生では処理しきれないことでも、誠実に後生に受け継ぐことが出来ます。
その進化の継承が人間の役割です。
人間にも色々な位置があります。
乳児に美味しいからと言って、いきなりステーキや刺身を食させることはしません。
病んでいる人にはお粥や消化の良いものから与えることが、回復への早道であるように、それぞれの位置によって、その瞬間最適なものがあるのです。
それぞれの人々によって、理解する範囲や位置が異なるのと同じです。
それをも超えて、更なる情報を得ると「中心」はどこでも取れるようになります。
ミクロの中にもマクロがあることも解り、体感します。
その逆もまた理解し体感します。
そして更に進化すると、どこでも「中心」だと気付きます。
つまり、全てが「中心」であることがわかるのです。
その先はそれを実践して、試してみるのです。
試して見て、感じるのです。
そして感じてみて、誤りであればまた別を試す。
正解であれば、更に正しい情報が増えるのです。
肉体ある人間は、この繰り返しの努力をすることです。
それが「理」であり「真実の方向への進化」なのです。
貴方はどこから来て、何故ここにいて、何をするために存在しているのか?
宇宙とは?
全てのはじまりは?
終わりはあるのか?
上記がその答えなのです。
存在位置からの定義によって、生まれたとも消滅したとも、言えるのです。
物質世界での「存在(エネルギー)が無くなった」は、別の世界(非物質の世界〈意識・思い〉(エネルギーと言えばエネルギー))では「生まれた」にもなるのです。
存在位置もまた変わるのです。
全ては「今」に存在しているのです。
どこでも「中心」だからです。
それを熟知した、進化した位置から物事を見定めることが出来るようになると、過去、現在、未来を「今」に感じることができるようになるのです。
私は物事を理論的に解明したいタイプの人間です。
無鉄砲で根拠のないことは、極力発言したくありません。
何故なら、私は肉体をもった人間だからです。
現代社会の、今の人間の常識やルールを理解しているからです。
上記のことも、実験による証明があれば、はじめてこの世の中では認められることは存じ上げております。
学者の皆様、研究をして見て下さい。
近々、解明される日が来ることを私は感じ知っております。
上記の事実を揺ぎ無く感じるのです。
体感が増すと、物事をとらえる時に「感じる」が言語による説明や規則性などを実験し、それを理解し認知することよりも先に表れ、後から理屈が付いて来ることも必然だと解かります。
ある方々が輪廻や前世と言いますが、知乃さんはそんな現象は無いと仰います。
私も同感です。
有り得ません。
まだまだ未熟な体感によって、誤った情報を誤ったかたちで処理し、理解していると思い込んでいる、そんな位置から見ると、先に述べました「無」や「有」へ向かう断片が、全ての真実だと錯覚し、輪廻や前世を信じ思い込み、その位置の「質」を語ってしまうのです。
もうおわかりでしょうか?
世間で言われている、輪廻や前世とは、要はご本人に似た存在に憑かれているにすぎないのです。
皆様この文面をお読みになると、更なる進化をされますので、少しは理解して戴ける筈です。
そして、今、一部の方々にはご理解戴けると思います。
それは「理」は新たな「理」を生むことが出来ると言うことを・・・。
そして以前にも述べましたが、知乃さんのブログ文面には「理」が書かれております。
多くの方々が、文面の深さを立体的に理解し、感じることが出来る筈です。
次回はいよいよ「体感」についてお話しを致します。