Tears,But…I'll win!! | "Joy of life" - Shingo Watanabe Official Blog -

"Joy of life" - Shingo Watanabe Official Blog -

ドラマー、シンガーソングライター渡辺慎吾の公式ブログ。

何て言うのか、今年は悔しい思い、
情けなくなるような、みじめな思いをする事が多いような気がする。

自分だけが辛い思いをしている…なんて、それはさすがに思っていないが。

ただ、傷ついたり、嫌な思いをしたり、苦しんだりする事は
どちらかといったら多い方なのかもしれない。

これはもしかしたら誰かが、
「君は人の痛みを知りなさい。」と私に教えてくれているのかも…と
前向きに捉えるようにはしているものの、
やはりそれでも、そういった思いをしたり、嫌な出来事が続くのは辛い。

昨日も個人的な事で
悔しくなり、情けなくなり、みじめな思いをした。

こんなのいつまで続くんだろう?とも思ってしまうほど。

場合によっては、人に会いたくなくなる。

落ち込む事だってある。

でも、しばらくすると次第に
自分の中の何処かで、それに刃向かうように、はねのけようとする何かの力が沸き上がってくる。

考えてみたら、昔からそうだった。

自分の原動力って、
そんな"悔しさ"からくる事が多かった。

悔しい思い、嫌な思いをして落ち込んで…

でも、絶対このままじゃ終わらせねえぞ。と
必死こいてやって、気がついたら乗り越えた、って事が。

昨日の悔しい、辛い思いも、
最終的には「どうやって、それを乗り越えていくか?」って方向に向かっていた。

大変な事はまだこれからもしばらくは続きそうだ。

でも、そういう方向に向けられた。



この事をこの場で書くのは初めてかもしれないが、
ちょっと個人的な事を書きたいと思う。

自身を奮い立たせるという意味でも。



私がドラムを始めたきっかけも、悔しさからだった。

今、覆面バンドで大変お世話になっている、メッセホールで
当時、某楽器店の主催のドラムフェアというのをやっていた。

私は当時高校一年。
音楽に目覚めはじめ、忌野清志郎さんのライブ映像で
清志郎さんのバックでドラムを叩いているドラマーが気になり始め
自分も叩く真似をし始めた頃だった。

ある日、そのメッセホールでドラムフェアが行われる事を知り、見に行った。

最新ドラムセット、シンバル…
試奏OKとの事で、自分も叩き始めた。

まだ、ドラムセットに接する機会はほとんど無かったが
見よう見まねで叩いてみたら、結構叩けていた。

夢中になる。

そうしていると、その数分後、店員の一人が物凄い剣幕で私に食ってかかってきた。

他のドラムの音も大きかったので、私の耳元で店員は怒鳴りつけた。

「何そんな叩いてるんだよ!(ドラムの)ヘッド、全部張り替えなけりゃならねえじゃねえか!」

私は戸惑った。

そして、店員は決定打となる一言を突き刺した。

「お前のはなあ、ドラムになってねえんだよ!出ていけ、この野郎!!」

耳元で、そう怒鳴られ、その店員につまみ出された。

言っておくが、私はドラムセットを蹴飛ばしたり
商品を傷つけたり、そういった、無礼な真似は一切していない。

だが、当時私は何も知らなすぎた。
そういった場所でのマナーも何もかも。

言い返せなかった。















その後、今は靴屋さんになっている場所にあったオモチャ屋の街頭ゲームを
泣きながらやっているうちに、何かが沸き上がってきた。


























…俺、何もないじゃん。












あの時言われて何も言い返せなかったじゃん…


























ドラムになってない?












じゃあ、ドラムにしてやろうじゃねえか。












ちくしょう。












絶対、このままで終わらすもんか!!












そして、その数日後、
私はヤマハのドラム教室に通い始め、師匠に会い、ドラムを始める事になった。

高校では以前書いた中学校時代みたいなイジメは無かったが、
時折からかわれたり、ヤンキー連中に絡まれた事はあった。

ただ、私がドラムを始めたと話すも、周りの反応は散々たるものだった。

「お前がドラム!?」
「やめとけって~!(笑)」
「お前なんかがやってんじゃねえよ、やめちまえ、やめちまえ!」

普段の私は物静かな変な奴、という印象しかなかったのだろうし、
そんな奴がドラムやるなんて、想像すらつかなかったのだろう。

味方は当時一人もいなかった。

唯一の味方になってくれたのは
後にLUNA SEAのコピーバンドに誘ってくれた大久保くんとそのメンバーだけだった。

(ちなみに、親は「まあ、そんなにやりたいんなら、やってみれば?」という感じだった。
恐らく、部活やお稽古、"習い事"みたいな感じで見ていたのだと思う。)




必死こいて、師匠について練習した。




上手くいかない事ばかりで凹みまくった。




周囲の嫌がらせや中傷は続いた。




ついには生まれて初めて、本気で怒り、キレて
そのからかってきた連中の一人をボコボコにした。




初めて職員室に呼び出しをくらった。




そして、後に親と担任、校長先生と面談をし、自分の気持ちを全て話した。




結果、全面的に相手が悪い、という事でおとがめは無しだった。




その後、周囲に恐れられ、
そのボコボコにした奴のクラスメートに
「何でテメエは停学じゃねえんだ、オラ!」と脅されまくった。




数回脅迫電話まがいの電話が、かかってきた。




それでも、辞めなかった。




そして、卒業間近のライブで最後の最後に結果を出し、皆に証明してみせた。

気がついたら、乗り越えていた。

そして、今現在も音楽活動を、ドラムを続けている。


(余談だが、ドラムフェアで私をつまみ出した店員は既に辞めている。
そしてその現場のメッセホールさんに
何年も経った現在、お世話になるなんて、あの当時想像なんて出来ただろうか?)













そんな事があった。












ちょっと思い出していた。











考えてみたらそうじゃん。











やってきたじゃん。
乗り越えたじゃん。












出来たじゃん。












やろうや。













確かにキツいよ。辛いし、苦しいよ。













でも、俺は負けない。












絶対乗り越えて、勝ってみせる。












絶対乗り越えてやる!!!!!












BGM…X JAPAN「I.V」