管理人が二十年ほど前にサバイバルゲーム(サバゲー)から身を引いた一番の理由は、当時籍を置いていた&対戦していたチームで、やれパワーアップだの、やればら撒けだのが常態化してしまい、
新規参加者・弄る技術の無い&弄る気がない・潤沢に予算の無い人たちが、事実上の生贄(いけにえ)となってしまったから。
別な言い方をすれば、チームメイトや対戦相手に対する敬意が失われていったからです。
(当時のサバゲー仲間には、
「(被弾で)血が出ないなんて(スリルがなくて)面白くない。」
なんて奴(この記事見てないとは思いますが、元自H)まで居ました。)
時は流れ、いまやサバゲーは有志の多大な尽力により、一見さんが身一つで有料フィールド※に赴いても、ゲームに必要な物品は全てレンタルしてもらえ※、かつてのような危ない思いもすることなくプレーできるようになりました。
(※当記事投稿日現在、首都圏近辺での話、と但し書きはつきます。)
やはり首都圏の、事実上のオピニオンリーダー的存在のチームが深夜枠のバラエティ番組で紹介されたり、元プロレスラー某氏がサバゲー愛好者であることを公にしたりと、徐々にではありますが好材料も増えてきました。
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その一方で管理人の目には、今も決して少なくない割合のサバゲー関係者/愛好者が、危うさを孕んだいくつかの確証バイアスに陥っているように映ります。
たとえば、「サバイバルゲームはスポーツである。」的な当事者の文言はあちこちで目にします。
が、生誕から三十余年という、充分すぎる時間を経ているにも関わらず、未だに共通了解事項は基本のキ
「弾に当たったら退場」
「目を保護するゴーグル着用」
「フラッグを取るか相手チームを全滅させれば勝ち」
のみで、あとはチームやゲーム会ごとにルール/レギュレーションは、見事なまでにバラバラ。
“全国共通のルールと審判を加えた「フラッグハント」など、サバイバルゲームから生まれたスポーツもあります。”
(東京マルイウェブサイト 楽しみ方色々!より)
当然、サバゲー愛好者の意見を集約し統括する組織団体も、未だに存在していません。
(正確には、かつて連盟等を名乗り手を挙げた集団はありましたが、いずれも支持を集められることなく自然消滅、あるいは事実上の活動停止状態)
なぜこんなことになっているのでしょう。
煎じ詰めれば“ひとつ屋根の下に集う”気がない(各々好きにやりたい)から、としか思えません。
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サバゲーをスポーツと見てほしいのであれば、統一ルールより高い壁となるのが、愛好者の“道具偏向”でしょう。
特定の機種個体・被服装備そのものが目的などというプレーヤーがこれほど多い直接対人型スポーツを、少なくとも管理人は他に思いつきません。
(面/小手/胴/袴を着けたいから剣道を、
まわしを絞めマゲを結いたいから相撲を、
adidasのF50を履いていたいからサッカーを、
やっている、なんて方も、100%居ないとまでは言い切れませんが。。)
また、甚だ不本意ながら当ブログにも、「(サバゲーで人気の高い)銃の名前」+「改造」「威力」「初速アップ」「飛距離アップ」等で検索がかかることが毎日のようにあります。
そんな、道具に依って敵に勝とうとする、どこか戦争のそれにも似た考え方※は、管理人がサバゲーを辞め二十余年を経た今も根強い。
(※もちろん「同じ」ではありませんが、ぶっちゃけ「似ている」とは思います。)
一方で、自身の競技能力・体力向上あるいは維持・コンディション管理に努めているというプレーヤーは、(サバゲーはスポーツと声高く唱える方ですら)あまりにも少ない。
順序として先ず自らの切磋琢磨ブラッシュアップがあり、そのうえでなお埋められない最後の一歩を道具にフォローしてもらう。
百歩譲っても道具が担う範囲は、プレーヤーの能力差をひっくり返してしまうレベル以下というのが、直接対人型スポーツ全般に対する広い理解(コモンセンス)であると思うのですが。。
分かり易いよう極端な例えをしますが、もし、
椅子バスプレーヤーがフィジカルは放ったらかしで電動車椅子に乗ってプレーし、椅子のモーターやバッテリーの強化に血道をあげていたり、“見えなくなるユニフォーム”の追求に余念がなかったりしたら、、
たとえハンディキャッパーの彼らであっても、スポーツマンと見てもらえる可能性は相当に低いでしょう。
サバゲーがスポーツマンシップなくして成り立たない(ヒットが自己申告、等)ことは、かつてプレーしていた身ですから重々承知しています。
管理人が失望し去った当時とは違い、今のプレーヤーの多くはモラル・マナーがよくなったことも知っています。
それでも、
「なぜ初心者が“新兵”なのか?」
「なぜ用具更新が“軍拡”なのか?」
「なぜチーム参加が“入隊”なのか?」
「なぜスコアが“キル(殺)”なのか?」
「なぜゲーム(試合)が“戦闘”なのか?」
「なぜフィールド(競技場)が“戦場”なのか?」
「なぜヒット(アウト)が“死亡”や“戦死”なのか?」
「なぜプレーヤーが“隊員”、リーダーが“隊長”なのか?」
「なぜ武装組織/個人の姿をして、遊戯銃まで合わせるのか?」
いくらプレーヤーがスポーツ精神に則り、紳士的なプレーを心がけていようと、そういったふうに問われたとき、納得させ得る答を返せなければ、、
どれだけサバゲーはスポーツと声を枯らしたところで、誰か彼かに(誹り・軽蔑・理解不能の意味で)戦争ごっこと呼ばれ続け、受け取られ続けるのは無理からぬことでしょう。
人類史上稀代の知の巨人も言っています。
『同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。』
(アルベルト・アインシュタイン:理論物理学者)
管理人はこれほど“穴だらけ”の、
直接対人型スポーツとしてのアンコモンセンスに満ち溢れているサバゲーを、不用意にスポーツとは公言できません。
一定数存在する、サバゲーを否定的・批判的に見る、そして(三十年以上経っても実効力のある統括組織ひとつ生み出せない)サバゲー愛好者とは比較にならないスピード感・行動力のある層から、
こういった諸々(アンコモンセンスに満ち溢れている)を突き上げられ拡散されれば、下手をすると「信用に値しない奴ら」などというトンデモレッテルさえ貼り付きかねない。
換言すれば、大変なリスク要因になりかねないからです。
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マスメディアの、旬(好機)と見れば取材対象を持ち上げ、粗(好機)と見ればこき下ろすことで視聴率・部数を伸ばすやり方もまた、今も昔も変わっていません。
(どころか昨今の視聴率・出版不況下において、その「落差」がますます激しくなってきているのはご存じでしょう。)
“株価”というものは青天井に上がるものではなく、必ずどこかで下がります。
そして、「山高ければ谷深し」という株式市場の格言があるように、“上がれば”上がるほどに、下げ幅もまた大きくなる。
長かったサバゲー不遇時代の鬱憤を晴らすかの如く、“バブル”に突入しつつあるようにも思える昨今、舞い上がって脇が甘くなり気味な関係者愛好者を傍から見ていると、管理人は正直、終わりの始まりという言葉が頭に浮かびます。
『プレーヤーの“戦争(戦闘)コスプレ”や“(戦争のそれにも似た)道具依り”も、ひとたび風向きが変わり※向こうが手のひらを返せば、いくらでも「美味しく料理」され得る。
(※当記事投稿日現在、管理人が思いつく事態といえば、
◎ブーム化・ビジネス化で必然的に増加する、低意識関係者/愛好者の不埒・不祥事
◎北朝鮮や中国など、近隣国との戦端が開く
(とくに、サバゲー設定の下敷となっている“地上戦”が勃発し、(公務員(主に自衛隊員・海上保安官・警察官)/民間人を問わず)日本国民に犠牲者が出る)
等でしょうか。)
前者であればゼロにはできないまでも、当事者たちの啓蒙次第である程度は減らせます。
が、後者は事実上、完全に関係者/愛好者のコントロール範囲外要素です。
比喩ではない本物の株価と違う点は、サバゲーの創成期~今日に至るまで、日本が戦争状態下にあったことが未だ一度もないことです。
関係者愛好者は口をそろえて言います。「平和だからこそサバゲーが楽しめる。」
裏を返せば、
有事に(少なくとも過去~当記事投稿日現在の形の)サバゲーのパブリックイメージがどのようなものとなるか
常に明確に意識してはいなくとも、心の奥では皆知っているわけです。
事態が長引くようなことになれば、サバゲーのみならずその道具に使われるエアソフトガン、引いてはトイガン全般も巻き込む“大火事”になるのではないか。
取り返しのつかない事態を招く前に、大厄を小厄に留められるよう、いろいろな意味で“戦争色”を(無くす、とは言わないまでも)薄めたり等、予め備えておいたほうが好いのではないか?』
いざ「そうなって」しまえば底打ちした“株価”は、(例えではない本物の株式市場とは違い)二度と上昇曲線を描かない可能性がある。
(たとえば、日本のトイガン規制が可逆だった(規制が緩められた)ことは、これまでただの一度もないように。)
管理人の目には、決して少なからぬ割合のサバゲー関係者愛好者が、昨今の“上げ相場”に気が緩み、
マスメディアは最初に目的ありきで、後から理由をつける。
これが意識の外になってきているように見えてなりません。
いまさらですが、「目的」とは? 有り体に言えばカネです。
持ち上げるもこき下ろすも、基本「儲かる(あるいは儲かりそうだ)」から。
(当人たちは社会正義と嘯くかもしれませんが、もし一円も入ってこないと見込むならネタにするでしょうか。)
結局のところマスメディアと目的は同じで(商機とみて)、トイガン/サバゲー業界に擦り寄ってきているいくつかの他業種も、いざそうなれば共倒れもコラボするのは御免だと、蜘蛛の子を散らすように去っていくでしょう。
『戦場ではね、誰にも等しく弾が飛んでくるんだよ。
日頃、どんなに善い心がけをしていようとも、全く関係なくね。』
(池田武邦:建築家、実業家】
『よく報じてもらえる時は、叩きつぶされる時のスタートだなと思っています。』
(小泉進次郎:政治家)
『人間って、気が緩んでいないと自分では思っていても、気が緩んでいるものだと思う。
引き締めるには、くどいほど自問自答するしかない。』
(本田圭佑:プロサッカー選手、日本代表)
管理人には(以下、当記事投稿日現在の熱量順)、
3シーズン(春夏秋)登山
積雪期(初冬・残雪期)登山
写真撮影(主に山岳写真)
カメラ嗜好
プラモデル製作
かのような、社会から葬り去られる可能性がトイガン・サバゲーよりは低いと考えられる(特に3シーズン登山と写真は、現皇太子殿下の趣味でもありますし)他の愉しみが複数あるのでまだいいですが、
NO TOYGUN,
NO SURVIVAL GAME,
NO LIFE.
という方のダメージは計り知れないものがあるでしょう。
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ずいぶんと深刻で物騒な記事になってしまいました。
しかし管理人は決して“非殺傷うちあい”を否定しているわけではありません。
(であれば一円にもならないどころか、いわれなき誹謗中傷に晒されるリスクを負ってまで、こうやって懸念を記事にしたりしません。)
現ゲーマーではなく関係者間利権の外に居る、“しがらみ”のない管理人が煙たがられ役を引き受けることで、少しでもトイガン/サバゲーの未来が閉ざされる可能性を減らせるのであれば安いものです。
一方、「新しい流れ」が生まれていることに、一縷の望みを抱いている管理人も居ます。
具体的には過去に例のないレベルの、女性プレーヤーの参加増です。
少なくとも当記事投稿日(2011年3月8日)時点においては、彼女らの多くはサバゲーのアキレス腱(“料理”の材料)となり得る二大執着
>プレーヤーの“戦争(戦闘)コスプレ”や“(戦争のそれにも似た)道具依り”
が、男性プレーヤーに比較し薄いように見えます。
別な言い方をすれば、あくまで目的はプレーそのものという方が、男性より多いように見えます。
マスメディア側にせよ、彼らが供するネタを視聴する大衆側にせよ、当のサバゲーマー側にせよ、男は基本的に皆スケベですから、もしこういった女性プレーヤーの傾向が今後も続き、かつプレーヤーの男女比が半々、いえ6対4にでもなれば、、
「何だよ災厄なんて全然起こらないじゃん。あの管理人アタマおかしいwwww」
結局のところ、これが一番です。
少なくとも当記事投稿日現在、日朝/日中開戦はテールリスクと言えそうですし、昭和脳な管理人の杞憂であることを祈っています。
追記:補完記事をアップしました。
この記事を読んで、何かしら頷くものが
あったという方は、
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