心という「器」 | 「整体師」という生き方 ~ 一灯照隅、万灯照国 ~

心という「器」

みなさん、こんにちは。
無痛整体師、武道家の西田です。

ある方から、「心は器である」と教えられました。

とても納得ができました。
そして、病気の仕組みをうまく説明できるようになりました。

私たちは、いろんなものを、心という「器」で受け止めます。
器の中では、さまざまなものが混じり合います。
そして、その器の中身を、外部へ注ぎます。
それが、想念というものです。

もし、器が汚れていたら、どうなるでしょうか。
どんなに素晴らしいものを入れても、中身は濁ってしまいます。
つまり、濁った想念を発することになります。

汚れとは、さまざまな悪感情です。
自分勝手な欲望、執着心、怒り、憎しみ、嫉妬、恐怖、不安・・・
それが、心を汚し、想念を濁します。

濁った想念は、濁った現実をもたらします。
与えたものが、受け取るもの。
それが、宇宙の法則です。
何人も、それから逃れることは絶対にできません。

だから、心という器をきれいに保つこと。
それが大切だと、教えられました。

人間ですから、欲望も、執着もあります。
怒りや憎しみや嫉妬など、さまざまな悪感情に翻弄されます。
でも、感情に振り回されていては、なりません。

心は、御し難いものです。
しかし、本来、心は自由であります。
自分の心を操作できるのは、自分しかいません。
他者は、絶対に侵入できません。

整体とは、命の営みを整えること。

私は、そのように考えております。
肉体だけを扱うのであれば、現代医療と同じです。
それに、命の営みは、肉体だけでなされているのではありません。
ゆえに、心も、魂も、人間すべて、まるごとみる。
それが、整体の真骨頂であると私は考えております。

また、主は心であり、肉体は従です。
肉体は心の命ずるままであり、想念により変質や変調をします。
昔から「病は氣から」と申します。
氣は、想念のエネルギーでもありますから、当然でありましょう。
ゆえに、肉体だけでなく、心までみれる整体師が、いま、本当に求められているのだと思います。

しかし、前述の通り、人の心を操作はできません。
たとえできたとしても、断じてするべきではありません。

真理をお伝えし、ご自身で選択をしていただく。

それが、私たちにできる、精一杯のことです。
その中で、最大限のことができるよう、自らの心を磨く。
ゆえに、日々、修行です。

「整体師」という生き方 ~あなたがあなたであるために、心と身体にやさしさ、ぬくもり、安らぎを~

ほぼ、毎週のように整体法講座を開講しています。
今週も、多くの気付きと学びがありました。
共に、この修行の道を歩めることを、心から嬉しく思います。
ありがとうございます。