第1回イサミ杯に出場1 | 膝と柔術と私

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ブラジリアン柔術とボディビルをこよなく愛す、半月板損傷をしたオヤジのブログです。
同じ趣味を持ち、同じケガで悩んでいる人がいれば参考になるかなと思ってます。

前回の続き


2002年2月の話

初めて開催される

「イサミ杯」

に出場することに。


いよいよ迎えた試合当日。

イサミ杯は無差別の大会なので当然、全く減量の必要がないので朝食は腹いっぱい食べる。

この時の体重は今よりも10kg重い80kgくらい。

ただ無差別なのでこれでは軽い方かな?と少し心配。


会場はどこだか忘れたが台東リバーサイドではなかったような気がする。

試合い出ることを友達数人に伝えてあったので応援に来てくれるという友達が5人くらい。

それとなんとピーズラボで指導くださっている

北岡悟さんがセコンドに付いてくれるという。

(当時の北岡さんはピーズラボの会員が試合に出る時はほとんどセコンドに付いてくれていた)

それとピーズラボで一緒に練習している仲間が数人応援に来てくれる。

う~ん、これは変な試合は出来ないなかお

最寄り駅で友達と待ち合わせ試合会場へ。


会場は柔道場。

ここで1面仕様での試合だったと思う。


受付に行くと今では珍しいトーナメント表を渡される。

私の相手はパレストラ(現パラエストラ)の選手。

体重は90kgとある!!

でかい。

2階級は上の選手。

周りを見渡すと凄いゴツイ。そしてもの凄く強そうなそうな選手がヘッドフォンを耳に当て、既に臨戦態勢で柔道の一人打ち込みをやっている。


体重は90kg以上あると思われる。


一緒に来ていた友達が

「相手はあの人じゃない?」

と言ってくるショック!

まさかあんなに強そうな人が白帯の訳がないだろう。

しかも90kgということもないだろう。

と自分を落ち着かせるガーン

このものすごく強そうな人と言うのは今は亡き


小斎武志選手


「ヒョードルを倒した男」

詳しくはこちら


もちろん白帯なんかではなく、紫帯に出場。

確かストライプル所属だったと思う。

後で聞いた話では本当は青帯だけど紫帯に出場してきたということ。

今では聞いたことはないが12年前の話、そんなことが通用したみたい。


対戦相手ではないと分かりホッと胸をなでおろす。


この時の出場者総数はおそらく30名くらい。

白帯、青帯、紫帯のアダルトのアブソのカテゴリーのみ。

まだ茶帯、黒帯は日本で数人しかいなかった時代。

エントリーも少なかった。


定刻になりいよいよ試合開始。

私の出番が近付いてきた。


長くなったので続きはまた次回。




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